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八尋伸

「被害者の実名」なぜ報じるのか

2018/04/03(火) 10:04 配信

オリジナル

何の落ち度もない被害者がなぜ実名で報じられなければならないのか――。社会を震撼させる大きな事件が起こるたび、被害者を実名で報道することの是非について議論が起こるようになった。被害者遺族に対するメディアスクラム、ネットによる真偽が入り交じった情報の拡散を背景に、世論における匿名報道を望む声は年々強まっているようにも見える。メディアはどのような姿勢で報道に取り組んでいるのか。実名報道がわれわれの社会にもたらす公益とは何なのか。あらためて事件報道のあり方について考える。(ライター・庄司里紗/Yahoo!ニュース 特集編集部)

社会に伝えるべきことを伝える姿勢が最も重要

NHK横浜放送局・放送部 松井裕子ニュースデスク

2016年7月、神奈川県相模原市の知的障がい者施設で入所していた19人が殺害され、元職員の男が逮捕されました。戦後最悪の殺傷事件とされましたが、警察が「遺族の意向」を理由に、被害者を匿名で発表したことも私たちにとっては衝撃でした。

当時、社会部でこの事件の取材班キャップとなった私は、匿名の被害者の「人となり」を何とか伝えられないかと取材を続けました。取材班がすべての被害者の実名にたどり着くまでには、数カ月の時間を要しました。

2002年、NHK入局。甲府局等を経て報道局社会部に。記者として東日本大震災の被災者取材、児童虐待問題、教育を担当。障がい者殺傷事件取材班として特設サイト「19のいのち」の立ち上げに関わる。現在は横浜局デスク(撮影:塩田亮吾)

悩まされたのは、その間、報道では自らの行為を正当化する被告側の主張が目立ってしまったことでした。被害者や遺族の声を伝える報道が少なく、その痛みが共有されないことで、結果的に被告に賛同する声や障がいのある人を中傷する“ヘイトスピーチ”を助長してしまうことが懸念されました。

一方で、取材を続けるうちに、遺族たちが匿名を望んだ理由もわかってきました。

例えば、55歳の兄を亡くした女性は、事件そのものやネット上にあふれるヘイトに恐怖を感じ、「遺族とわかってさらなる差別を受けることが怖い」と話していました。

65歳の姉が被害にあったという男性は「障がいを持つ姉を恥ずかしく思ったことはないし、当初、匿名を希望する人がいると知り疑問を感じた。ただ、家族に障がい者がいることで差別を受ける現実があることも知っているので、匿名を望む他の遺族の意向に同意した」と伝えてくれました。

相模原障がい者施設殺傷事件の現場となった施設前で(写真:ロイター/アフロ)

私たちは事件から半年後、19人の人となりを伝える特設サイト「19のいのち」を公開しました。サイトには写真ではなく、遺族の了承を得て被害者の似顔絵や、思い出の品をイラスト化した画像を掲載しました。サイトは反響を呼び、「人となり」が具体的に伝わったことで、事件について深く考えるきっかけになった人々が多くいたことを実感しました。

(NHKサイト「19のいのち」から)

事件の報道にこれらのイラストを使用することについては、局内でも議論がありました。原則に従い、顔写真を掲載すべきだ、という意見もありましたし、イラストでの報道という前例をつくってしまうことで、今後の報道に影響が出るのではないか、という指摘もありました。

報道機関として、どんな形であれ「社会に伝えるべきことを伝える」ということを大切にしました。悩みながらも、時間をかけて向き合っていく中で、遺族の気持ちにも変化が生じていきました。

現在、サイトに似顔絵のイラストを掲載していた被害者のうち2人は、遺族の理解が得られ、写真に差し替えています。思いを手記で寄せて下さった遺族もいます。

(NHKサイト「19のいのち」から)

匿名を望む世論の高まりは、実名報道の意義が視聴者や読者に理解されていない現実をあぶりだしているともいえます。今回の特設サイトは、事件の特殊性などから、あくまで特例的な手法を用いましたが、私たち自身もあるべき報道の形を模索するきっかけとなりました。なぜ私たちが被害者の人生や、その痛みを実名で報じるのか、その意義と判断の経緯についても、人々にしっかりと伝えて理解を求めていく必要がある。私はそう感じています。

(撮影:塩田亮吾)

「娘が記号で呼ばれるのは耐えられなかった」

犯罪被害者遺族・岩瀬正史、裕見子夫妻

私たちの娘・加奈が殺害されたのは2015年11月12日のことでした。11日後の誕生日を迎えていれば、加奈は18歳になっているはずでした。

犯人の逮捕容疑は当初、強盗殺人でした。そのため警察は被害者である娘の名前を実名で発表し、マスコミも実名で報道しました。気づいたときには、娘の名前は写真とともにさまざまなメディアに掲載されていました。最愛の娘が殺害され、正気を保つことさえ難しい苦しみの淵にいた当時の私たちには、事件報道を気にする余裕なんて微塵もありませんでした。

(撮影:八尋伸)

被害者の遺族には、実名か匿名かを選ぶ権利などありません。報道に際して、遺族である私たちの意思や思いが確認されることは一切ありませんでした。加奈や私たち遺族の情報は知らぬ間に漏れ出し、拡散されていったのです。

事件直後、警察から帰宅すると、自宅前にマスコミの黒塗りの車が何台も止まっていました。自宅には多数のマスコミから電話がかかり、通っていた学校が特定され、娘の顔写真は中学の卒業アルバムのものが使われました。そして、テレビで繰り返し流された、加奈と犯人が映った防犯カメラの映像……。このような報道のされ方には、恐怖と憤りを覚えずにはいられませんでした。

(撮影:八尋伸)

実名と匿名の問題に触れたのは、裁判でのことでした。

犯人は「強盗殺人」「強盗強姦未遂」の罪で起訴されることになりました。性犯罪の被害者については匿名を選択して裁判ができますが、私たちは実名での裁判を希望しました。匿名で裁判をすれば、法廷で娘は「Aさん」と呼ばれます。これに私たちは耐えられませんでした。

娘には「加奈」という名前があります。

17年間、私たちが大切に育て、愛した娘です。真面目で、アルバイト代で毎年家族をディズニーシーに連れていってくれるような、親孝行でやさしい娘でした。

その娘が、なぜ記号で呼ばれなければならないのか。娘にこれほどひどい行いをした犯人を許していいのか──。

そう世の中に問いかけるためにも、裁判での実名は大きな意味を持つと思ったのです。

(撮影:八尋伸)

裁判で実名を選択したことで、初報以降は報道で匿名となっていた名前が、公判が始まってからは実名報道になりました。

重大な事件を社会に伝えることは必要ですし、実名報道は仕方がない面もあると今では理解できます。むしろ私たちは、実名・匿名の是非を問う前に、メディアや記者の“伝える姿勢”そのものを問いたい。ある新聞社は、明らかな誤報を出しておきながら、謝罪すらありませんでした。ところが、実名での裁判を望む記事が出た途端、態度を一変させ、しつこく謝罪の機会を求めてきました。このような報道姿勢を、到底許すことはできません。

重要なのは、何を、どこまで伝えるか、という線引きです。事件直後、被害者や遺族は悲しみとショックで混乱しています。だからこそ、もっと警察がマスコミと連携し、遺族の思いや意向を報道機関にしっかりと伝えられるしくみを作るべきです。

何げなく書いた記事が、一人の名誉を傷つけ、遺族にさらなる苦しみを与えることがある。

だから記者の方たちには、事実を伝えるだけではなく、情報の向こう側に存在している被害者と遺族の存在を強く意識しながら、記事を書いてほしい。

そう強く願います。

(撮影:八尋伸)

匿名と実名の狭間で悩む記者

東京新聞 編集局・加古陽治局次長

1962年愛知県生まれ。東京新聞社会部、文化部長などを経て編集局次長。原発事故取材班(第60回菊池寛賞)総括デスク。編著書に『一首のものがたり』(東京新聞)、『真実の「わだつみ」』(同)、共著に『レベル7 福島原発事故、隠された真実』(幻冬舎)など(撮影:塩田亮吾)

新聞報道は実名報道が原則です。

事実を正確に伝えるためには「When(いつ)、Where(どこで)、Who(誰が)、What(何を)、Why(なぜ)、How(どのように)」という5W1Hの要素が欠かせません。

被害者の実名は、この「Who(誰が)」に相当する核心的な情報です。真実性を担保し、事件の重みや背景、被害者の生きた証しを社会に訴えるために必要なものです。北朝鮮に拉致された横田めぐみさんが匿名で写真もなかったら、と考えたら分かりやすいでしょう。

その原則が揺らいだのは、2016年に起きた相模原市の障がい者施設殺傷事件、そして昨年の座間9人殺害事件です。

相模原のケースでは、神奈川県警が匿名発表という異例の措置をとりました。実名の情報は報道の起点ですが、報道各社は被害者を匿名で報道せざるを得ませんでした。

相模原の殺傷事件で現場を埋める報道陣(写真:Abaca/アフロ)

一方、座間9人殺害事件のケースでは、警察は実名を公表しましたが、同時に被害者のご遺族から匿名報道への強い要請があったとも伝えました。被害者の方たちが自殺願望を口にしていた背景、そして性犯罪が絡む可能性もありました。

東京新聞では第一報のみ被害者の実名を写真つきで報じました。ただし、ネット版の記事と翌日の夕刊以降の紙面では、写真の掲載を取りやめています。報道の公益性と、被害者遺族が被る不利益を勘案した結果です。

事件報道を例外的に匿名で行う場合について、メディア各社はそれぞれ内規を設けています。おおむね性犯罪の被害者や自殺者は匿名で報じることを基本としていますが、座間の事件は自殺ではなく殺人の疑いが濃い事件でした。

(撮影:塩田亮吾)

東京新聞では「事件報道のガイドライン」で「被害者や遺族に十分配慮した取材をする」と定めています。取材や報道によって二次被害を起こしてはならないからです。「せめて葬儀が終わるまで待ってほしいという遺族の願いを正面から受け止める」などと考え方を記していますが、細かいマニュアルはあえて定めていません。現場で取材する記者やデスクに、ケースごとに自ら考えてほしいからです。

座間の事件報道を通じて、社内でもさまざまな意見が噴出したことを受け、私たちは昨年12月、社内に「被害者報道のあり方を考える勉強会」を立ち上げました。編集局社会部を中心に、30人前後の有志が参加しています。これまで、記者同士のディスカッションや、犯罪被害者支援に携わる弁護士、被害者の遺族との意見交換を行い、時代に即したよりよい報道のあり方を探っています。

座間9遺体遺棄事件。手前から2軒目が白石容疑者の住んでいたアパート。逮捕の当日夜(写真:読売新聞/アフロ)

私は実名報道の原則は守るべきだと思っていますが、節度を持って報道しなくてはならないのは当然のことです。報道の公益性に寄りかかるのではなく、弱い立場で苦しんでいる被害者や遺族の望みに耳を傾ける。その努力を、これまで以上に続けていくことが求められているのだと思います。

被害者遺族に寄り添うことの大切さ

東京大学大学院法学政治学研究科 宍戸常寿教授

憲法上、報道機関にはメディアを通じて国民に事実を伝達する「報道の自由」が認められています。2005年に施行された個人情報保護法(2015年改正法)においても、報道機関による報道は義務規定の適用が除外されています。

なぜなら、ジャーナリズムの基本には「国民の知る権利に奉仕する」という公共性があるからです。客観的、公正な報道のもとで、国民が多様な意見にふれ、自分の言論や世論を形成するには、こうした健全なジャーナリズムが必要です。

1974年東京生まれ。1997年東京大学法学部卒。一橋大大学院法学研究科准教授などを経て、東京大学大学院法学政治学研究科教授。専門は憲法学、国法学、情報法。著作に「憲法 解釈論の応用と展開」(日本評論社)など。

メディアは、具体的な事実を正確に伝えなければなりません。実名は、その正しい情報になくてはならない要素です。しかし、昨今は相模原の事件のように警察が被害者の実名を発表しないケースや、被害者遺族が報道機関に匿名での報道を求めるケースも増えてきています。

背景にあるのはインターネットの存在です。ネットの普及で今や誰でも情報を発信できるようになりました。それ自体は表現の自由の拡大で歓迎すべきことです。

問題は、ネットユーザーが情報の真偽を確かめないまま、噂レベルのものも拡散してしまう場合もあることです。その結果、実名報道を起点に被害者や遺族のプライバシー情報が拡散されたり、彼らが不当に名誉を傷つけられたりするケースが多発しているのです。

座間9遺体遺棄事件。送検される白石容疑者を乗せた車両(写真:毎日新聞社/アフロ)

法的には、亡くなった方の名誉毀損については、虚偽の事実があった場合を除き、処罰されないとする規定があります(刑法230条2項)。また、プライバシーの保護はその人が亡くなった時点で消滅する、というのが法の解釈です。ただし、遺族の敬愛追慕の情を侵害するような場合には、法的な責任が問われます。

ネット上で問題になっているケースの多くは、報道をもとに虚実入り混じった情報を流すまとめサイトや個人ブログなどによるものです。つまり、報道機関が被害者の実名を報道すること自体を非難する根拠にはならない場合も多いように思います。

既存マスメディアに対して匿名報道の圧力が強まる背景には、むしろメディアスクラムのような報道姿勢への不信感が大きいのではないでしょうか。

スクープや「いい画」を速報することも大事ですが、被害者や遺族の方々の声に耳を傾け、その心に寄り添った報道をするのもメディアの重要な役割です。

(撮影:塩田亮吾)

活版印刷による新聞の誕生以来、タブロイド紙の登場、テレビの普及など、情報伝達にまつわる大きな環境変化が起こるたびに、報道のルールやモラルは問い直されてきました。

ネットが普及した今、既存マスメディアは、ヤフーやフェイスブック、ツイッターなどニュースを配信するプラットフォーマーとも連携し、ネット上の健全な言論空間の構築に真剣に取り組むべきではないでしょうか。

最も危険なのは、報道機関がこのような匿名化の風潮を忖度し、報道すべきことまで報道しなくなることです。報道機関は萎縮することなく、「国民の知る権利」と「報道される側の尊厳」を調和させるゲートキーパー(門番)の役割を、目指してほしいものです。


庄司里紗(しょうじ・りさ) 1974年、神奈川県生まれ。大学卒業後、ライターとしてインタビューを中心に雑誌、Web、書籍等で執筆。2012~2015年の3年間、フィリピン・セブ島に滞在し、親子留学事業に従事する。明治大学サービス創新研究所・客員研究員。公式サイト

[写真] 撮影:塩田亮吾、八尋伸
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト 後藤勝