世界最大の電気街、深圳の華強北に行くと、だいたい一週間サイクルで新製品が見られる。たとえば冒頭の写真にあるLED電球は、Wifiに接続されていてスマートフォンアプリで色が変えられる。このアイデアはもともとPhilipsのHueというWifi電球の安直なコピーから始まったものだと思うが、
- ・電球にスピーカーがついて音が鳴る電球になった
- ・形が変わって、本型の電球を開くと光と音が出るようになった
- ・形がアラビア風になり、時間になるとコーランが流れるようになった
などの派生品が続々と現れ、2~3ヵ月で店頭は写真のようになった。
組み合わせでどんどん新製品が出てくる深圳の電気街
写真の折りたたみキーボードも、二つ折りはさまざまな企業が出しているのを見かけるが、便せんのように長辺を四つ折りにするのは他では見たことがないものだ。安直なコピー品が、お互いをコピーし合う間に突然変異を生んで進化する、まるでカンブリア紀の生物を見るような新製品開発が、深圳では行われている。
このスピードはすごいが、優秀な人たちなら安直なコピーから距離をおきそうなものだ。なぜこのような高速の、かつ大半が安直で、たまに大ヒットが生まれるカンブリア紀のような製品開発が可能なのだろう。
その秘密の一つは、深圳独自の知的財産管理システムにある。
深圳で製品のプロトタイプを作る場合、コモディティ化された部品を買うと、関連する知財がついてくる。たとえば「アクションカメラ」「スマートフォン」「タブレット」などは、設計済みのマザーボードが部品として売られていて、数百という単位の小ロットで購入できる。購入すると他に必要な部品(スマートフォンであれば無線モジュールとかカメラセンサーとかタッチパッドとか液晶とか)のリストがもらえる。公板(Gongban、public board)と呼ばれるものだ。
- ・マザーボードの設計
- ・関連部品の選定、テスト
は、「設計・開発」の大部分を占める仕事だ。というよりそこを除くと企画と品質管理、マーケティング、アフターサービスぐらいしか残らない。深圳ではそれが低コストで外注でき、そのことがさまざまな企画のハードウェアが大量に市場に現れる原因になっている。
日本だと1億円の製品開発費が、深圳だと500万円に
深圳で日本向けの製造受託サービス(EMS)を行うJENESISは日本交通のタクシーのドライブレコーダーや車載タブレットなどを製造している。彼らの資料によると日本で1億円・7カ月以上の初期投資が必要な開発が深圳では500万円・3カ月で可能だという。
もちろんそこまで単純ではなく、その価格で日本向けの品質を実現するにはたゆまぬ努力が必要になる。その全貌は藤岡社長の著書『「ハードウェアのシリコンバレー深圳」に学ぶ』に書かれている。
MITの研究者バニー・ファンは、公板などに見られるこうした知財の扱いを、「公開(Gongkai)スタイルの、中国型オープンソース」と呼んでいる。
良し悪しはともかくこの公開スタイルにより、結果として知財のシェア、再利用、リバースエンジニアリング、小変更や組み合わせ(マッシュアップ)による新規開発が圧倒的にしやすくなり、それはちょうどソフトウェアの世界でオープンソース運動がもたらしたものによく似ていると語る。
(全貌は『The Hardware Hackers』という彼の著書で見られる。僕は2018年中の出版を目指して翻訳中)
もちろん、知財が保護されない形だけが深圳ではない。製薬など、旧来の知財モデルでないとうまくいかないビジネスも深圳には存在するし、ファーウェイのような世界で戦う巨大企業は、AppleやSamsungといったライバルたちと同じサイズの知財部を持ち、特許等を数多く申請している。世界企業になるには、コモディティ化された技術だけでは戦えない。ここで紹介している公開(Gongkai)は、あくまでありふれた技術の組み合わせでパパッとつくるような新製品の話だ。
ただ、技術が早くコモディティ化し、コモディティ化された技術が使いやすくモジュール化されて提供されることは、ハイエンドの技術開発とは別のイノベーションを生む。
オープンソースソフトウェアが生んだシリコンバレーの新サービス
バニー・ファンが語ったとおり、オープンソースのソフトウェアは、シリコンバレーから新しいサービスが次々生み出される大きな要因となっている。
コストが下がることは、こういう「まず作って売ってみて、売れてみんなが使ったことではじめてイノベーションとなる」ケース、マスイノベーションではとても大事だ。
第1回、第2回と、若者が小さく始めたビジネスがみるみる大きくなった話を書いてきたが、シリコンバレーでインターネットビジネスがみるみる大きくなる現象は2005年ぐらいから起こった。その原因は、オープンソースソフトウェアにより開発コストが劇的に安くなったことから始まった。
ぼくは1990年代の末頃、新入社員としてインターネットサービスを作ることを仕事にしていた。その頃僕が書いた企画書はどういうサービスを作るのでもとりあえず2000万~3000万円を計上していた。データベースソフトのOracle、アプリケーション実行環境のWeblogicなど、ソフトウェアのライセンス費に数百万~数千万円の費用がかかった。これらはサーバマシンの台数分いる。マシンもあらかじめ買いそろえておく必要があり、当時は開発するプログラミングソフトも数十万円するものがあったし、それを人数分そろえる必要があった。これは開発工数とは別にかかる費用だ。
大きい投資になるし、その分たくさんの会議と稟議書に押されたハンコが必要になる。結果として「突っ込んだお金がいくらで、それ以上のリターンがあります」という形でしかサービスをスタートさせられなかった。そういう大きな金額は、前回で話したアクセラレータからでなく、大きい会議を開いて何個ものハンコでもたらされる。
2000年頃からLinux、Apache、MySQLといったオープンソースのソフトウェアが業務で使えるようになった。それによりサービス立ち上げのコストが急激に下がり、「まず始めてみよう」というサービスが多く出てくるようになった。第2回で紹介した、立ち上げ前のアイデアのある起業家を支援して加速させるアクセラレータという投資ビジネスの草分け、Yコンビネータは2005年にシリコンバレーで創業している。
マスと科学技術、2つのイノベーションを支援する中国政府
2006年頃からamazonやGoogleがクラウドコンピューティングサービスをはじめてそれがさらに加速した。クラウドコンピューティングというのは従量課金制のサーバサービスだ。それ以前は何百万円もするサーバマシンをあらかじめ買っておかねばならなかったものが、ユーザがサービスにアクセスした(コンピュータを使った)分だけ後払いすれば済むようになった。
実際にアクセスが殺到して従量課金の支払いに苦しむぐらいになったサービスの実績を持って投資を募るほうが、圧倒的に資金調達はやりやすい。大人気になればお金はついてくるものだ。
そうしたハードウェアの立ち上げが中華式オープンソースの恩恵で低コストでできる深圳は、変わったハードウェアビジネスの聖地になっている。
こうした「多くの人が低コストの思いつきを何個も市場に出して、売れたものが生き残る」というマスイノベーションのやりかたと、「専門家に集中投資して世界最高の性能を出す」という従来型の科学イノベーションのやり方を、中国政府はどちらも、別々の手法で支援している。
次回はマスイノベーションとは対照的な集中投資がなされるエリート達のイノベーション支援、北京・清華大学のやり方を紹介する。
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