米Lifehackerが人生の役に立つ言葉を紹介するシリーズ「Mid-Week Meditations」へようこそ。ストイック派の知恵を探求しそれを使って自らを省みて、人生を好転させましょう。

今週紹介するのは、ローマ帝国の哲学者セネカのOn Providence(摂理について)からの引用です。セネカは「なぜ私たちは、運命づけられている苦難に対して不平を言いエネルギーを浪費するのか」と問いかけます。

それゆえ、すべてを勇敢に耐えねばならない。それは、よく思われているように、すべてが起きるからではない。すべてがやって来るからだ。何に笑い、何に泣くかは、とうに決まっている。個々の生がいかに多種多様に異なって映ろうとも、最後は同じところに至りつく。われら滅びゆく者の取り分は、滅びゆくもの。

『怒りについて 他二編』セネカ著 兼利琢也訳 :岩波書店、2008年

これに続くセクションも重要です。

だから、どうしてわれわれは憤ることがあろう。なぜ不平をこぼすのか。われわれはそうなるべく用意されているのだ。自然は望むように己の身体を用いるがよい。われわれは、いっさいの出来事に対して、喜びのうちに雄々しくこう考えようではないか。ーわれわれに属するものは何も滅びない、と。善き者の努めとは何か。みずからを運命に差し出すことだ。宇宙とともに奪い去られるのは、大きな慰めだ。このように生き、このように死ぬよう、われわれに命じたものが何であれ、それは同じ必然性をもって神々をも拘束する。

その意味するもの

人生で起きるすべてのこと、良いことにも悪いことにも、私たちは耐え忍ばなければなりません。それが宇宙の摂理だからです。逆境も現実の一部です。この世に存在している以上、絶え間なく変化する世界がもたらす苦難に耐え忍ぶほかに選択肢はありません。先人たちも同じ苦難に何度も何度も耐えてきたのです。人の喜び、悲しみは、人類が誕生したときから変わっていません。自分だけは特別だと思うかもしれませんが、そうではありません。あなたは苦難に見舞われます。あなたは死にます。そして、あなたがかき集めたすべての財産は、あなたのものではなくなるのです。

こうしたことは誰もが知っている事実であり、どうしようもないことです。なのになぜ憤るのですか? 変えられない現実を嘆いてエネルギーを浪費するのはなぜですか? 人生という贈り物をもらったことを喜んでください。そして、死ぬときにも何も失わないことを思い出してください。私たちの身体は自然に属するものです。時がきたら自然に返さねばなりません。そのことを運命として受け入れてください。そして、運命の中に慰めを見つけてください。あなたは、宇宙の摂理に従って、生き、死ななければならないのです。

そこから学べるもの

あなたが今苦しんでいるなら、それは、この世界に生きる生き物のしての義務を果たしているだけなのだと考えてください。生きるとは、苦しみあがくことです。腹をすかせた動物は餌をあさります。水を求める植物は雨が降るのを願い、待ち続けます。金属の梁は重さを支えるために重力と戦い、人間は目の前に置かれた難題を乗り越えようと苦闘します。

それが私たちの現実であり、変えられないことです。ですので、こんど自分が不平を言っていたり、怒りのうちに叫んだり、こんなに苦しいのは自分だけだとすねているのに気づいたら、このことを思い出してください。感情的になることでエネルギーを浪費するかわりに、前に進む道を見つけることにエネルギーを使ってください。

「苦しみあがくのが人の運命である」だとしても、落ち込んだり、人生を悲観する必要はありません。この言葉を、解放であり慰めであると捉えてください。あなたは呪われているわけでも、罰を与えられているわけでもありません。また、嵐をくぐり抜ける力を与えられていないわけでもないのです。苦難と向き合い、他の人と同じように苦しみあがいてください。もちろん、言うは易し行うは難しですが、人生のすべてが楽しくて簡単なことばかりだとしたら、あなたはもはや神なのであって人間ではありません。


Image: the.mutator

Patrick Allan - Lifehacker US[原文