何日か前、ツイッターのタイムラインに、わたくしども日本人の働き方を題材とした、なかなか考えさせられるツイートが流れてきた。

 内容は、4つのツイートのスクショ(スクリーンショット、画面写真)を並べて、それらがいずれも同じ主張を含んでいることを指摘したものだった。スクショの中で紹介されている主張は、つまるところ「うちの国の労働生産性が上がらない理由は、われら日本人が、仕事の成果ではなく、時間にしばられる働き方をしているせいなのではなかろうか」という問題提起であった(こちら)。

 ツイートの中で指摘されているポイントは、多くの人が以前からそう感じていたところと一致しているはずで、なればこそ、このツイートはすでに9万件以上リツイートされ、13万以上の「いいね」を獲得している。

 当該のツイートを読んで、思い出した話がある。
 はるか昔、私が中学2年生だった頃の話だ。

 数えてみると48年前ということになる。なんと、半世紀前だ。
 当時、私が通っていた近所の区立中学校は、生徒のアルバイト労働を禁じていた。

 もっとも、ことあらためて学校側が禁じるまでもなく、当時も今も中学生を働かせてくれる職場がそうそう簡単に見つかったわけでもないのだが、そんななか、冬休み期間中、地元の郵便局が、押し寄せる年賀状を整理する仕事のために、中学生を募集していた。

 局が求めていたのは、ポストに投函された年賀状を宛先別に分類する仕事だった。彼らが中学生を募集の対象に含めたのは、この種の単純作業が、むしろ中学生に向いていると考えたからなのだろう。

 仲間うちの何人かが郵便局で働くことになった。
 私は、学校の校則を尊重する気持ちを持っていたからなのか、それとも単にめんどうくさかったからなのか、そのアルバイトには参加していない。

 だから、これからここに書く話は、私の直接の体験談ではない。

 郵便局でアルバイトをした同級生たちが異口同音に語っていたのは、あそこでは真面目に働くと叱られるんだぞということだった。

 なんでも、郵便局では、時間内に処理しなければならないノルマの総量が決まっていて、勤勉な中学生ががんばってそれ以上の仕事量をこなすと、局員に叱責されるというのだ。

 たとえばの話、5時間分のノルマを3時間で処理し終えれば、早く帰っても良いのかというと、そうはいかない。拘束時間は決まっていて、早く作業をしたからといって早く帰れるわけではない。

 かといって、定められたノルマ以上の件数をこなすと、割増分の報酬をもらえるのかというと、そういう仕様にもなっていない。

 一方、時間内にノルマをこなせない場合は、その分が時給から差し引かれることになるのだが、ふつうに働いている限り、まずノルマ以下にはならない。というのも、設定されている時間あたりのノルマを達成するための労働強度が、中学生の目から見ても大変にヌルかったからだ。

 ということはつまり、求められているのは、一定時間内に一定量のノルマを、ダラダラとこなしながら、終業時間を待つことだった。

 これは、当時の中学生にとっても、比較的意外な要求だった。
 「だって、頑張ると怒られるんだぜ」
 「やり過ぎてないか、時々監視のヤツが見にくるんだから」
 と、彼らは証言していた。

 この話について、ある年かさの親戚が漏らした
「そりゃ、サボタージュ体質ってやつだな。あの組合の人間は、働けば働くほど損をすると考えているんだ」
 という解説を鵜呑みにしたわけでもないのだが、ともあれ、中学生だった私が、この時の郵便局の人間の働きぶりの話から強い印象を受けたことはたしかだ。

 「なるほど。頑張りすぎないように気をつけることが、自分の身を守る大切な心得であるような職場があるのだな」

 という私の当時の観察が正しかったのかどうかはいまとなってはよくわからない。

 ともあれ、昭和のある時代に、雇用側の労働強化に対する抵抗の仕方のひとつとして、ひたすらにダラダラ働く人々がいたことについては、この場を借りて、証言しておきたい。

 無論この話は、半世紀も前の逸話だし、当時、日本中のすべての郵便局の組合員がダラダラ働いていたわけでもないのだとは思う。でも、少なくとも、私の住んでいたあたりの郵便局の50年前の局員たちが、年末年始にアルバイトでやってきている中学生に、根を詰めて働きすぎることをいましめる旨の指導をしていたことは、事実なのだ。

 似た話はいくらでもある。
 いったいに、われら日本人が集まって働くことになる職場では、人並み外れて優れた仕事ぶりをアピールすることよりは、周囲の同僚の能力なり労働強度なりに同調することが重要視されることになっている。

 あんまりガツガツ働く態度は、あからさまに手を抜く仕事ぶり同様、最終的には白眼視を招く。

 この傾向は、昨今、コンサルだったり経営評論家だったりする人たちが繰り返し指摘している定番の日本特殊論エピソードのひとつで、概念的には「プロセスよりも結果が重視される諸外国の職場において、個々の働き手が自己裁量で仕事の進め方を決めているのに対し、結果よりプロセスが重視され、ひとつのプロジェクトをチーム単位で請け負うことの多いわが国の職場では、個々の労働者のノルマはチーム内の同僚の顔色から算出される」ぐらいなマイナスの実例として紹介されることになっている。

 まあ、おおむねその通りなのだとは思う。
 とはいえ、それでは、業務分担のあり方をチーム単位から、個人の責任に着する方向に改めれば万事解決なのかというと、たぶんそんなに簡単に話が運ぶことはない。

 われわれは、心の奥深いところで、みんなと一緒にダラダラ過ごす時間を至上の経験として重んじている。
 この設定は、簡単には変わらない。

 というのもわたくしどもこの極東の島国で暮らす人間たちは、伝統的に、成果を出すことや利益をあげることそのものよりも、みんながいっしょである状況を愛しているからだ。

 国会の答弁にも、この傾向はあらわれている。
 つい昨日(4月11日)、衆院予算委員会での質疑の様子を映し出すテレビ中継を見るともなく見ていたのだが、国会でも、焦点となっていたのは、質疑の内容ではなくて、時間の過ごし方だった。

 どういうことなのかというと、野党議員からの質問に答える首相ならびに政府側の答弁者が、回答の内容を研ぎ澄ますことよりも、ただただひたすらに「持ち時間をしのぎきる」ことに重点を置いて言葉を並べているように見えたということだ。

 質問者には、それぞれ所属する政党の議席数から割り出された質問時間があらかじめ割り当てられている。

 ということは、答える側が、質問とは直接に関係のない背景説明を延々と並べることで時間を浪費すれば、質問者の側の持ち時間を奪うことができるわけで、してみると、質問に対してどのような答えを提供するかではなくて、答えにくい質問に答えないためにいかにして余計な寄り道をするのかといったあたりが、答弁者にとっての当面の着地点になるからだ。

 サッカーのロスタイム戦術に似ていなくもない。

 説明する。
 サッカーの世界では、リードしている側のチームが、試合終了のホイッスルを間近に控えた2分か3分ほどの間、勝利を確実なものにするべく、点を獲るための努力を放棄して、あえて無駄な時間を空費する目的で、自陣ゴールライン際で無意味なパス交換を繰り返したり、コーナーキックエリア付近で身体を張ったボールキープを続けることがよくある。

 この間、競技としてのサッカーは死んでいる。
 というのも、サッカーはゴールを奪うためにボールを前に運ぶスポーツであり、そのほからならぬゴールを断念したところから出発する時間稼ぎのプレーは、原理的に非サッカー的な営為だからだ。

 であるからして、この種の露骨な非サッカー的時間稼ぎは、せいぜい3分間しか許されない。

 たとえばの話、リードしている側のチームが、終了10分前から時間稼ぎのプレーに走ったら、敵チームはもとより、味方チームのサポーターからも激しいブーイングを浴びるはずだ。もし仮に、露骨きわまりない時間稼ぎプレーを毎度10分間以上にわたって繰り返すチームがあったとすれば、そのチームは、早晩観客から見放されることになるだろう。

 ところが、わが国会では、なんだかんだで少なくとも3カ月以上にわたって、ほとんど答弁拒否に等しいダラダラした迂回答弁が繰り返されている。

 ゴールライン近辺でのボール回しがアンチサッカー的行為であるのと同じ意味で、現在繰り広げられている無内容な答弁は、非国会的、アンチ議会政治的な言語道断の非道ということになるはずだし、本来なら、こんなことを何カ月も繰り返している政権の支持率は、測定限界以下に低迷するはずだ。

 ところが、政権支持率は、大筋において安泰だ。森友問題が再燃しているこの半月ほど、じりじりと下がり続けてはいるものの、調査主体にもよるが、いまなお4割に近い底堅い支持層を確保し続けている。

 「とにかく、質問時間をしのぎ切ったのだからこっちの勝ちってことだろ?」
 と、首相周辺の人々が本気でそう考えているのかどうかはわからない。
 とはいえ、現政権のコアな支持層の多くが
 「こんなくだらない言い掛かりみたいな質問にいちいち真正面から答える必要はない」
 「とにかく相手の持ち時間を粛々とツブしながら、論点をはぐらかしおおせばOKなわけだ」
 「これで野党の側に追い打ちをかける手が無いのだとしたら、要するに連中が無能だってことだ」

 と考えているであろうことはどうやら間違いない。

 サッカーファンの一部に、試合内容よりもとにかく勝利だけを重視する一派が含まれているのと同様な構造において、おそらく、政権支持層の中にも、国会質疑の内容よりも、結果として野党の追及をかわし切る手腕を評価する人々がいる。そして、その彼らにしてみれば、安倍総理や麻生副総理が、無内容な答弁を繰り返しつつ、まんまと野党の質問を無効化し去っている現状は、痛快ではあれ、屈辱ではないのだろう。

 彼らの見るところでは、答弁の内容が不毛なのは、首相ならびに政権側のスタッフが無能だからではなく、野党側の質問そのものがあまりにも荒唐無稽だからだってなことになる。とすれば、恥ずかしいのは、無内容な答弁を繰り返している政権側ではなくて、その無内容な回答を論破するに至る有効な弁論術を持っていない野党側のタマ切れの方だ、と、まあ、そう考えればそう考えられないこともないわけだ。

 働き方についても、相容れない二つの立場がある。

 すなわち、一方には、しかるべき仕事量をこなして、所属先に対して報酬に見合った利益なり貢献をもたらすことが大切だという考え方があり、その反対側には、とにかく定められた勤務時間の間、働いているように見える体を保ちながら自らの身を職場に存在させておくことを第一とする考え方の持ち主がいるということだ。

 議会人としての所作について言うなら、国民からの付託を受けた選良として、国会で実りのある議論をして、ひいてはその議論を国政に活かすことをあくまでも重視する理想家肌の議員さんもいれば、逆に、どんな法案をいくつ通して、結果として自分たちの政見をどれほど現実の国政の中に落とし込むことができたのかという結果だけが政治家の仕事を評価する唯一の物差しだと考えるリアリストの議員もいる。

 どちらが正しいという話ではない。
 このお話は、つまるところ、わたくしども国民が、いずれの態度を高く評価するのかという選択の問題に帰着するのだと思っている。

 ちなみに、昭和の半ば頃の中学生にダラダラ働くことを教えていた郵便局は、その何十年か後、政府の手で解体されることになった。

 解体という選択が正しかったのかどうか、今の段階では、私は確たる答えを持っていない。
 ただ、なるほどね、とは思っている。

 組織も人も、長い目で見れば、いずれ、過ごしてきた過ごし方にふさわしい末路を迎えることになっている。

 最後に私自身の話をすれば、私は、この3年ほど、毎週木曜日に2本の原稿と2つのイラストを描き上げ、夕方にラジオの仕事をこなすスケジュールで仕事をこなし続けている。

 単純な仕事量としては、週のうちの作業量の6割から7割ほどを、木曜日1日だけで処理していることになる。

 もっとコンスタントに働いた方が水準の高い仕事ができるのではないかという意見もあるし、私自身、時々、落ち着いた暮らし方に心ひかれる瞬間もある。

 でも、何回か試してみてわかったことなのだが、原稿を書く仕事の場合、執筆者は、ゆっくり考える時間を与えられれば与えられるほど、結果としてまじめに考えない方向で帳尻を合わせに行ってしまうものなのだ。
 少なくとも私はそうだ。

 執筆時間が3日あれば、3日がかりでダラダラ書いては消しを繰り返してしまうし、〆切まで半日しかないということになれば、半日でさっさと書き上げることになる。
 だから、私は、毎週木曜日に、早起きして頑張ることで集中力を高める方法を選択している。

 逆にいえば、必死になって取り組まないと間に合わないスケジュールを自らに課すことでしか集中力を保てない、ということでもある。

 国会に集まっている議員さんたちも、自分たちに残された時間が限られていることを意識した方が良い、と思う。

(文・イラスト/小田嶋 隆)

どちらの態度を取るかは、自分がその仕事が好きか、
誇りを持っているかどうか、だと思います。

 小田嶋さんの新刊が久しぶりに出ます。本連載担当編集者も初耳の、抱腹絶倒かつ壮絶なエピソードが語られていて、嬉しいような、悔しいような。以下、版元ミシマ社さんからの紹介です。


 なぜ、オレだけが抜け出せたのか?
 30 代でアル中となり、医者に「50で人格崩壊、60で死にますよ」
 と宣告された著者が、酒をやめて20年以上が経った今、語る真実。
 なぜ人は、何かに依存するのか? 

上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白

<< 目次>>
告白
一日目 アル中に理由なし
二日目 オレはアル中じゃない
三日目 そして金と人が去った
四日目 酒と創作
五日目 「五〇で人格崩壊、六〇で死ぬ」
六日目 飲まない生活
七日目 アル中予備軍たちへ
八日目 アルコール依存症に代わる新たな脅威
告白を終えて

 日本随一のコラムニストが自らの体験を初告白し、
 現代の新たな依存「コミュニケーション依存症」に警鐘を鳴らす!

(本の紹介はこちらから)

■変更履歴
記事掲載当初、本文4ページの最後が1段落抜けておりました。現在は修正済みです [2018/04/13 12:40]
まずは会員登録(無料)

登録会員記事(月150本程度)が閲覧できるほか、会員限定の機能・サービスを利用できます。

こちらのページで日経ビジネス電子版の「有料会員」と「登録会員(無料)」の違いも紹介しています。

春割実施中

この記事はシリーズ「小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明」に収容されています。フォローすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。