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サイボウズ青野氏らの夫婦別姓訴訟とそれに対する井戸まさえ氏の懸念。似て非なる「夫婦別姓」概念を巡って

おおたとしまさ育児・教育ジャーナリスト
イメージ(写真:アフロ)

従来の夫婦別姓訴訟と青野氏らの訴訟は、ゴール設定も理念も違う

男女共同参画社会実現への気運や、性差別の問題が世の中の大きな関心事になっているいま、「夫婦別姓」をめぐるこのやりとりにも、もっと注目が集まっていいのではないだろうか。

井戸まさえ氏が現代ビジネス4月19日号に「サイボウズ青野社長の『別姓訴訟』、日本会議への接近に戸惑う人たち」という論説を寄稿した。

それに対し、青野慶久氏は4月23日に自身のnoteにおいて「選択的夫婦別姓、井戸正枝氏の批判記事を批判」として記事を発表している。

ここで「井戸vs青野 どちらが正しい?」を論じたいのではない。論点整理をしたい。

もともとサイボウズ社長の青野氏らの訴えは、夫婦別姓によって生じるさまざまな不利益の解消を求めるものである。男女平等の理念に立脚しているわけではない。しかも、もともとそういう訴訟案件があったところに、後から青野氏が「自分も助太刀する」と相乗りした経緯がある。

しかしこの裁判で青野氏らが実現しようとしているのは、民法上の「夫婦同姓」を認めたうえで、戸籍の上で「旧姓」使用を認めることであって、少なくとも井戸氏らがこれまで求めてきた民法上の「夫婦別姓」とは意味合いが違うと、井戸氏は訴える。

「民法上?」「戸籍上?」。一般のひとたちには難しい問題だ。井戸氏の論説の中ではそれが論理的に丁寧に説明されているので、どちらの立場というのは関係なく、一読をおすすめする。

「スモールスタート」なのか「悪手」なのか、それが問題だ

青野氏のいう「夫婦別姓」とは、民法上は「夫婦同姓」の原則を崩さずに戸籍上で「旧姓」の使用を認めることで、いわば社会生活上の不利益を解消することがゴールである。

井戸氏が主張するのは、そもそも民法が「夫婦同性」を定めていること自体が人権問題であり、それがこの社会のさまざまな局面における女性差別の土壌にもなっており、あくまでもそこを変えることをゴールとすべきだということだ。

そのことを、一般の人たちにもわかりやすいように提示したことが井戸氏の論説の価値である。

少なくとも欧米諸国でいうところの「夫婦別姓」とは、井戸氏が使う意味での民法上の「夫婦別姓」のことであり、青野氏らが求める「夫婦別姓」とは似て非なるものであることは、もっと広く世の中に認知されるべきだと思う。

「青野氏らが勝訴すれば、長年の悲願が実現して、欧米と同じ夫婦別姓の世の中になる」と勘違いしているひとがいるとしたら問題だ。

そのうえで井戸氏が懸念するのは、青野氏らのいう戸籍上の夫婦別姓が実現してしまうことで戸籍が複雑化し、欧米と同じ民法上の夫婦別姓を実現するハードルが上がってしまうことだ。

青野氏は自分のやり方をビジネスでいう「スモールスタート(まずは小さく始める)」だと表現するが、井戸氏はそれをオセロなどでいう「悪手(目先の成果を得ようとして、大きな成果を逃すこと)」だととらえているという構図。

ただし、青野氏が「民法上の夫婦別姓」の実現までを見据えているのかそうでないのかは、はっきりしない。井戸氏がスクープした日本会議とのやりとりから察する限りは、そこまでは見据えていないようにも読める。

もし青野氏にそこまでを目指すつもりがなくて、夫婦別姓による社会生活上の不利益を解消するだけのために訴訟を起こすのだとしても、それにともない多くの人たちの不利益が解消されるのだとしたら、それはそれで大手柄だ。しかし自分の大手柄が、自分とは違う思いをもつほかの誰かの不利益になる可能性があるのだとしたら、彼らの声にも耳を傾け、慎重にことを進めるべきだろう。

正しい情報の共有と論点整理と意見を言いやすい環境づくりを

大筋で「夫婦別姓」に賛成である人々がいま、青野氏らの訴訟に対してとり得るスタンスの選択肢は3つ。

1 青野氏らの訴訟によって実生活上の不利益が解消すればそれで良いとする(人権問題としての夫婦別姓には触れない。欧米型の夫婦別姓は目指さない)

2 青野氏らの訴訟を、「民法上の夫婦別姓」実現への一里塚として歓迎する(ただし、一里塚を設けることで、その先に進みにくくなる可能性もある)

3 青野氏らの訴える「戸籍上の夫婦別姓」は「民法上の夫婦別姓」をむしろ遠ざける可能性が高いので、あえて回避する(結局膠着状態が続く可能性もある)

自分にとってのゴールは何で、どんな手段がいいと思うのか、よく考えてみてほしい。

最後に、この件について4月26日の朝日新聞オンラインに社会学者の森千香子氏が寄せた「論壇委員が選ぶ今月の3点(2018年4月・詳報)」を引用する。リンク先の最後の部分である。

△井戸まさえ「サイボウズ青野社長の『別姓訴訟』、日本会議への接近に戸惑う人たち」(現代ビジネス、4月19日)

 「サイボウズ」社長ら男女4人による「夫婦別姓」訴訟は著名人が起こしたことで話題を呼んでいるが、実はその要求の内容が一般に理解されているような「夫婦別姓」ではなく、「夫婦同姓」を容認した上での「通称使用の拡大」であることには注目が集まらない。この事実を著者は丁寧に解説した上で、原告側には民法改正よりもハードルの低い「通称使用」を要求して、容易に支持を広げようという思惑がうかがえるが、そのような戦略は「夫婦別姓」問題の根底にあった人権問題をなおざりにし、結果的に従来の差別を別の形で固定化し、本末転倒の結果につながりかねないのではないか、と警鐘をならす。この訴訟に違和感を抱きながらも「モノが言えない空気」があり、それこそが「『夫婦別姓』が置かれている状況である」という本文最後の指摘は実に的を射ている。

出典:「論壇委員が選ぶ今月の3点(2018年4月・詳報)

今回の訴訟が社会に大きな話題を提供したことは間違いない。ただし、空気に流されてはいけないし、結論を焦ってもいけない。法整備の面からも社会的コストの面からも、正しい論点整理に基づいた冷静な議論を盛り上げていきたい。私たちの人生観、子供たちの未来にも関わる大きなテーマである。

ただし、日本の戸籍制度が世界的に見て珍しいものだということすら知らないひとが多いのではないだろうか。私も含めた一般のひとたちにはこのテーマに関する基礎知識があまりに不足している。正しい判断ができるように、大手メディアには、専門家の見解などを含めた能動的な報道を期待したい。

批判を受けなかったアイディアも、批判を無視したアイディアも、未熟でひ弱で社会を変える力をもち得ない。批判を受け入れ、それを糧にできたアイディアだけが、本当に成熟し、社会を変える力をもつ。「モノが言えない空気」の中からは社会を変える力は生まれない。

育児・教育ジャーナリスト

1973年東京生まれ。麻布中学・高校卒業。東京外国語大学英米語学科中退。上智大学英語学科卒業。リクルートから独立後、数々の育児・教育誌のデスクや監修を歴任。男性の育児、夫婦関係、学校や塾の現状などに関し、各種メディアへの寄稿、コメント掲載、出演多数。中高教員免許をもつほか、小学校での教員経験、心理カウンセラーとしての活動経験あり。著書は『ルポ名門校』『ルポ塾歴社会』『ルポ教育虐待』『受験と進学の新常識』『中学受験「必笑法」』『なぜ中学受験するのか?』『ルポ父親たちの葛藤』『<喧嘩とセックス>夫婦のお作法』など70冊以上。

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