「日本のサッカー」では今のW杯は戦えない
サッカージャーナリスト 大住良之
「日本のサッカーを『日本化』する」――。2006年7月、日本代表監督就任に当たって、イビチャ・オシム氏はそう宣言した。以来、「日本のサッカー」探しは代表をはじめ、年代を問わず日本のあらゆるチームのテーマになった。
「日本化した日本のフットボールというものがあります。その中には技術力を最大限に生かしたり、規律や結束して化学反応を起こしたりして戦っていく強さがある。そういうものをベースにしたうえで、構築していく必要があると思います」
4月12日、バヒド・ハリルホジッチ監督解任を受けて日本代表を率いることになった西野朗新監督はこんな話をした。
■一部の選手の言葉に妙に合致
その言葉は「速く攻めるだけでなく、それができないときには、ゆっくりとパスを回すことも必要ではないか」と主張し続けていた日本代表の一部の選手たちの言葉に妙に合致する。
「日本スタイル」の頂点は2011~12年の日本代表にあった。アルベルト・ザッケローニ監督が率いた日本代表は11年のアジアカップで4回目の優勝を飾り、12年6月にスタートしたワールドカップのアジア最終予選ではオマーンに3-0、ヨルダンに6-0で連勝し、破壊的な攻撃力を誇示した。
ドイツでドルトムントの2連覇に貢献した香川真司(当時23、以下同じ)は、欧州の年間ベストイレブンに選出されるとともにマンチェスター・ユナイテッドへの移籍が発表されたばかりだった。本田圭佑(26)は、ロシアのCSKAモスクワで確固たる地位を築き、さらなるビッグクラブへの移籍の話題が絶えなかった。
岡崎慎司(26)、長谷部誠(28)、吉田麻也(23)は欧州のクラブで着実な前進をみせており、長友佑都(25)はインテル・ミラノでレギュラーとして活躍していた。Jリーグ所属選手も遠藤保仁(32)、今野泰幸(29)らが円熟期を迎え、衰えの兆候もなかった。
ザッケローニ監督はこうした選手たちを絶妙のバランスで配置し、リズムよくパスをつないで攻め崩すサッカーをつくった。まさに伸び盛りの選手たちが躍動し、日本代表は美しく強いサッカーを実現した。互いのよさを引き出すコンビネーション、チーム一体となっての攻守は13年にコンフェデレーションズカップでイタリアを相手に3-4という大接戦を演じた。まさに「日本のサッカー」として、ワールドカップで世界にその真価を問うにふさわしいものだった。
もちろん実際には、ザッケローニ監督のチームは最後の1年間で崩れ、小さくない失望を与えたのだが……。
だがそれから4年、現在の日本代表は全く別のチームといっていい。バヒド・ハリルホジッチ前監督は全く別の方向性を模索した。日本とワールドカップ出場チームの力関係を考えれば、しっかりとパスをつないで攻撃を展開するようなサッカーで勝利をつかむのは至難の業と考えたからだ。
現在の世界のサッカーでは、どんなチームも最前線の選手から献身的に守備を行い、ボールを失ってから瞬く間に相手に強烈なプレッシャーをかけ、同時に堅固な守備組織をつくる。ブラジルがその最高の例だ。ネイマール、ガブリエルジェズス、コウチーニョといった世界最高クラスのテクニシャンたちの攻撃から守備への切り替えの速さは、現在のチームの重要なバックボーンとなっている。ブラジルさえこのような厳しさを身につけている。他のチームは言うまでもない。
■日本代表の「技術は高い」?
こうした状況で、コツコツとパスをつなぐ「日本のサッカー」はどこまで通じるのだろうか。
現在の日本代表は想像を絶するようなコンビネーションプレーを持っているわけではない。かといって、一人で何人も抜いていけるテクニックがあるわけでもない。「技術が高い」と自負しているが、「技術」の高さというものを「厳しいプレッシャーを受けても正確にパスを通す精度」という物差しでみれば、そしてそのプレッシャーをワールドカップのレベルに設定すれば、現在の日本選手の技術は決して抜きんでているわけではない。むしろ、このレベルのプレッシャー下ではミスが頻発するだろう。
12年当時の日本代表チームであれば、こうしたプレッシャーをなんとかくぐり抜け、パスをつないでゴールに迫ることができたかもしれない。しかし現在のチームでは難しい。
そうなってしまった原因の一端はハリルホジッチ氏の指導にもあるかもしれない。しかし根本的には選手は成長し、ピークを迎え、そして衰えていくものであるという自然の摂理の中にいることを理解しなければならない。現在の本田や香川に、12年当時のスピードやキレを期待することはできない。彼らは経験を積むことで新しい力を身につけたかもしれないが、この間に失ったものも小さくない。
そして、残念なことに12年当時の本田や香川のような勢いで世界の舞台に駆け上がろうという若手も、いまは存在しない。彼らがだらしないのではない。12年当時の香川と本田と同じ力を持っていても、そこから6年進んだ現在のサッカーの中では同じ効果を発揮することができないのだ。
ハリルホジッチ氏のプランはこうした現実を見据え、ボールを奪ったら相手ゴールに直接的に向かう速い攻撃を、そしてピッチ全面でひるまずに体をぶつけて相手と戦う守備を求めた。それが「日本のサッカー」とどれほどかけ離れていようと、ワールドカップで何かを成し遂げる可能性を求めるには、それしかないと考えたからだ。
そしてそのサッカーは、17年8月のオーストラリア戦で一つの結実をみた。パス数は少なく(90分間で305本、14年ワールドカップ3試合の平均は563本)、成功率は低く(同70.8%、同76%)、ボールを支配した時間は非常に短かった(同33.5%、同60%)。しかし90分間を通じて日本は試合をほぼコントロール下に置き、シュート数はオーストラリアの5本に対し18本。2-0の快勝だった。
だがそのサッカーを「ハリル・ジャパン」は継続することはおろか、再現することさえできなかった。そして選手たちの口から出てきたのが、「ゆっくりとパスを回すことも必要」という「ハリル戦術」への不満だった。
「日本化したフットボール」を西野監督がどう表現しようとしているのか、まだわからない。確かなのは、現在のワールドカップはただ選手の力をフルに出させるというだけでは、逆立ちしても勝てるものではないということだ。
「日本のサッカー」を追い求めることと、ワールドカップで1次リーグ突破を求めることは違う。残念なことだが、現在の選手でその両方を手に入れることはできない。