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サイボウズ青野氏らの夫婦別姓訴訟に対し、夫婦別姓賛成派の中からも不安・不満の声が上がるのはなぜか?

おおたとしまさ育児・教育ジャーナリスト
イメージ(ペイレスイメージズ/アフロ)

プロローグ

サイボウズ青野氏らによる夫婦別姓訴訟について、もともと夫婦別姓に賛成していたひとたちの間からも懸念の声が上がっている。青野氏は「後ろから刺されたような気持ち」とショックをあらわし、ときにかなり攻撃的な態度で批判者を罵るが、どうやら論点がかみ合っていない。

そこで、Yahoo!ニュース個人で、論点整理の記事を書いた。

サイボウズ青野氏らの夫婦別姓訴訟とそれに対する井戸まさえ氏の懸念。似て非なる「夫婦別姓」概念を巡って

続いてブログで、個人的に疑問に感じることを書いた。

サイボウズ青野氏らの提案する「夫婦別姓」は、本当に簡単に低コストで実現するのか?

それをツイッターで告知したところ、青野氏本人が運営する夫婦別姓専用アカウントから大量のコメントが付いた。そのやりとりで、どこに分断と混乱の原因があるのかが少しわかった。

今回のやりとりを通して私が考えたことを、総論として、下記本文にまとめる。そのあとに全ツイートを並べる。

「無知の善意は悪にもなる」ともいう。難解かとは思うが、夫婦別姓に関心があるひとはぜひ読んでもらいたい。このページが、夫婦別姓に対する社会的な理解を促進し、少しでも建設的な議論の材料になることを願う。

本文

夫婦別姓賛成派が「本当の別姓賛成派」と「エセ賛成派」に分裂!?

いま、基本的には夫婦別姓に賛成のひとたちの中でも、以下の2つの立場がある。

(1)夫婦別姓には賛成だが、青野氏らの案には反対=別姓賛成&青野案反対

(2)夫婦別姓に賛成で、青野氏らの案にも賛成=別姓賛成&青野案賛成

青野氏は「別姓賛成&青野案賛成」派を「本当の別姓賛成派」と呼び、「別姓賛成&青野案反対」派を「エセ賛成派」と揶揄する。「エセ賛成派」が青野氏らの案に反対する理由については、「男性が注目されるのが腹が立つとか、今までとと違うやり方を主張するのが気に食わないとか、そのレベルがほとんどです」という。

まさか夫婦別姓賛成派の中から自分に対する反対者が現れるとは、青野氏は想定していなかったのかもしれない。しかしいま一度、青野氏も、冷静に真摯に「別姓賛成&青野案反対」派の懸念に耳を傾ける必要があるのではないかと、今回のやりとりを通して私は感じた。

ツイッターのやりとりの中に、青野氏の考えと熱意は込められている。一方で、「別姓賛成&青野案反対」派の「青野案反対」の理由は何なのか。そこで過去の夫婦別姓に関する報道を読み返し、にわか知識ではあるが法律についても自分なりに調べてみた。さらに、井戸氏ともコンタクトがとれた。そして、彼女の記事「サイボウズ青野社長の『別姓訴訟』、日本会議への接近に戸惑う人たち」で私の理解があやふやだったところを直接(ネット上でのやりとりだが)教えてもらうことができた。

それらをもとに私なりに理解・考察した結果見えてきた、今回の分断と混乱の構造を以下に記す。

青野氏らの「夫婦別姓」は欧米の「夫婦別姓」とは似て非なるもの

「サイボウズ青野氏らの夫婦別姓訴訟とそれに対する井戸まさえ氏の懸念。似て非なる「夫婦別姓」概念を巡って」の記事では、「夫婦別姓」とはいっても、青野氏らが今回の訴訟で目指す「夫婦別姓」と、「別姓賛成&青野案反対」派が目指している「夫婦別姓」はそもそも似て非なるものであることを整理した。

一言で言うならば、今回青野氏らが実現を目指すのは「呼称上(戸籍上)の夫婦別姓」。「別姓賛成&青野案反対」派が求めているのは「民法上の夫婦別姓」。「夫婦別姓を選択できないのは世界でも日本くらい」などとよくいわれるが、少なくとも欧米における「夫婦別姓」とは、「別姓賛成&青野案反対」派が求めている「夫婦別姓」のことであり、彼らからすれば今回の青野氏らの案は、「それじゃない!」とツッコミを入れたくなる話なのだ。

もちろん青野氏もそれは理解している。あえて今回はトリッキーな方法で「違憲判決」を取りにいくスタンスだ。戸籍法にたった1文を追加するだけで夫婦別姓が実現すると喧伝する。「そんなに簡単ならば、とりあえずその方法でもいいんじゃないか」と支持を集めた。

しかし、実際は「1文追加」だけで実現可能だとは思えないという、私自身の考えを書いたのが「サイボウズ青野氏らの提案する『夫婦別姓』は、本当に簡単に低コストで実現するのか?」という記事だった。

それでも、「今回は手堅く実利を取りにいく。なぜならば1日も早い夫婦別姓を求めているひとたちがいるのだから。欧米における夫婦別姓のようなものを実現したいのならば、それはそれで自分たちで訴訟を起こせばいいじゃないか」というのが青野氏のこれまでの主張だ。しかし「ことはそんなに単純ではない」というのがここから先の話となる。

夫婦別姓反対の急先鋒・日本会議の話から始めなければならない。

青野氏も書いている通り、日本会議は、2010年に実施した署名用紙に「選択的「夫婦別姓」制度を導入する民法改正を行うことなく、婚姻時の改姓に伴う不利益解消のため、旧姓の使用を認める関連法整備をもって対処されますよう、強く要望致します。」と記した。

これだけを見ると、「民法をいじらなければよい」といっているように見える。しかしその実の心は、おそらく違う。「旧姓の使用を認める関連法整備」とは具体的にどういうことか。

井戸氏の記事中から同署名用紙に記されていた内容を引用すれば、「私共は、選択的『夫婦別姓』制度の導入に強く反対するとともに、働く女性の不利益の解消のためには、旧姓を通称として認めることが最善であると確信します」とある。

どういうことか。

私の理解では、日本会議は「民法上の夫婦別姓」だけでなく「呼称上(戸籍上)の夫婦別姓」にも断固反対の立場だ。「戸籍上の夫婦別姓」が可能になれば彼らが堅持・強化しようとする「家制度」的構造が瓦解するからだ。

そこで戸籍上に、本名とは別に、「ペンネーム」のような「通称」を付記する欄を設け、それを銀行手続きなどで使用する氏名として認めるように社会に対して要請するという方法を考えているのだと、私は理解している。

(参照)高市早苗私案「婚姻前の氏の通称使用に関する法律案」の概要

そうすることによって、「実生活での不便が解消されたのだから、民法上も戸籍法上も夫婦別姓は必要ない」という論理で夫婦別姓議論を封じ込める作戦である。「肉を切らせて骨を断つ」発想だ。

実際、2015年の最高裁判決で「夫婦同姓は合憲」という判決に異議を唱えた当時の判事は、2018年3月1日の朝日新聞に「夫婦別姓の議論 『実利』の落とし穴に陥るな」という記事の中で次のように語っている。

「同姓の強制には不都合が多いという実利的な主張のせいで、揚げ足を取られた格好になってしまった」

出典:2018年3月1日朝日新聞

旧来の夫婦別姓賛成派は当然それを知っている。だから、これまでうかつに動けなかった。民法上の夫婦別姓を一気に勝ち取らないと、日本会議の術中にはまってしまう可能性がある。

日本会議との接触がスクープされ青野案反対派の不安は増大

ところが今回の青野氏らの案は、まさに実生活での不便を解消することを目的にしている。夫婦別姓を認められなかった者が、実生活上不利益を被っていることが「違憲」だと認められれば、当然国は法整備を迫られる。しかし実生活上の不利益を解消できればいいというのなら、上記日本会議の案で事足りてしまう。今回の訴訟で下手に「違憲」を勝ち取ってしまうと、「飛んで火に入る夏の虫」になる可能性がある。

あくまでも民法上の夫婦別姓を求めるひとたちにとって、それは恐い。

青野氏らが日本会議の案に勝る具体的な法改正案を用意しているというのならいいのだが、今回のやりとりを見る限り、そこも不確かだ。

青野氏は戸籍法に「婚姻により氏を変えた者は,戸籍法上の届出により,旧姓を戸籍法上の氏として用いることができる。」の1文を追加するだけで戸籍上の夫婦別姓が実現するというが、民法と戸籍法の絡みで生じる「夫婦同姓」「同姓同籍」の原則がある限り、どうやってそんなことが可能なのか、私には理解ができない。戸籍法という手続法によって、民法という実体法の原則を骨抜きにするというのはさすがに無理があるのではないかと、素人ながらに思う。

ツイッターでもそのことを聞いているのだが、「(論理的な)矛盾も(戸籍の)作り直しも生じないと考えています」「『できる』と思っている」とくり返すばかりで法的な根拠は語ってくれない。日本会議の作戦を出し抜く具体的で実務的な案なくして突き進むのであれば、それは「無鉄砲」というものだ。

そういう不安がもともとある中、「日本会議の提案内容が実現される訴訟です」として、青野氏らが実際に日本会議に接触を試みたことを井戸氏がスクープした。「別姓賛成&青野案反対」派の不安が増大したことはいうまでもない。

実際のところ、日本会議は面会を拒絶する。当然だ。

青野氏らが求めているのは「呼称上(戸籍上)の夫婦別姓」。日本会議はそれすら認めず、本名はあくまでも「夫婦同姓」を堅持し、「通称(ペンネーム)」を戸籍に付記する方法を実現したいのだ(本当はそれすらしたくはないはずだが)。似て非なるものである。

仮に青野氏らが「実生活上の不利益」を理由に「違憲」を勝ち取ったとしても、そのとき日本会議としては、配下の国会議員を利用して、粛々と用意してあった案を実現すればいい。いまの政権ならそれができてしまう。

現時点で話し合いに応じなくても、青野氏らが勝手にお膳立てをしてくれるのを待っていればいいわけだ。

「違憲」を勝ち取るかどうか定かでない現段階で縁起でもないシナリオを想定して反対するのも気が引ける。しかし本当に「違憲」を勝ち取ってしまったら自分たちの望みが遠のくかもしれない。そんなモヤモヤを感じている夫婦別姓賛成派が少なからずいるはずなのだ。

実は青野氏は、私とのやりとりの中で「戸籍の問題と名前の問題を同時に解決しようとするのではなく、切り分けることによって名前の問題だけを解決するファストパスがある」とツイートしている。何を言っているのか私には意味がわからなかった。しかし、ひょっとして青野氏らの中に、日本会議の「通称(ペンネーム)付記案」でもいいという心づもりがあるのかもしれないと考えてみた瞬間、私の不安も大きくなった。

「民法上の夫婦別姓」を求める「もうひとつの別姓訴訟」

「実生活上の不便がなくなるのなら、日本会議の方法でもいいじゃないか」と感じるひとたちもいるだろう。

しかし「民法上の夫婦別姓」にこだわるひとたちのロジックはこうだ。現在進行中の「もうひとつの別姓訴訟」の原告らの訴えを記述した以下の記事を参考にしてまとめる。

「夫婦別姓訴訟」3月に再び提訴へ…最高裁判決から2年「再度、判断求めたい」

■憲法14条第1項違反・・・夫婦別姓を希望する「信条」が差別されている。

■憲法24条違反・・・約96%が男性側の姓に改名しており、「両性の実質平等が保たれていないことは明らか」。

■国際人権条約違反・・・自由権規約と女性差別撤廃条約に違反している。

夫婦別姓を人権問題としてとらえていることがわかる。

原告は、法的な婚姻制度から排除されることでさまざまな不利益があることを覚悟のうえで事実婚を選択した夫婦4組だ。まさに「信条」として、夫婦別姓を勝ち取りたいのだ。

その価値観に共感できないひとたちがいることは事実だろう。「実生活上不利益がないならいいじゃないか。何をそんなにこだわっているのだ」と。しかしだからこその「選択的夫婦別姓」である。「選択的」なのだ。ひとの「信条」を否定することはできない。

彼らからしてみれば、日本会議の案などとんでもないまやかしに見えるだろう。「呼称上(戸籍上)の夫婦別姓」も、「信条」にそぐわない。

青野氏が「本当の別姓賛成派」と呼ぶひとたちも、「エセ賛成派」と呼ぶひとたちも、おそらくこの点においては同じ考えをもっているはずだ。青野氏から見た「本物」と「エセ」を分けているもののはおそらく、青野氏らの訴訟によって民法改正が遠のく不安をどれだけ強く感じているかである。

青野氏は5月2日ツイッターで「戸籍をどうするか議論がまとまるまで夫婦別姓の実現を待つ意味がわからない。同姓の強制によって、今まさに精神的な痛みや経済的コストで苦しんでいる人たちを想像できているのだろうか」と述べた。しかし青野氏自身は、青野氏らの訴訟によってさらに民法改正が遠のくのではないかと感じるひとたちの不安を十分に想像できているだろうか。これだけツイッターにコメントが並んでもそこに対する配慮の言葉は見つけられなかった。

ちなみに、戸籍をどうするか議論をまとめない限り青野氏らの案も夫婦別姓を実現できるわけがないのだが、なぜこういうことが言えてしまうのかは不思議だ。

しかも、もしかしたら実は、青野氏らの案よりも「もうひとつの別姓訴訟」のほうがよほど実務的で実現性は高いかもしれない。前回だって惜しいところまではいっており、今回はその弱点を補強して臨んでいるのだから。「青野氏らの案に即効性があり、民法改正は時間がかかる」と思い込むのは性急だ。

青野氏は自分の使命感が強すぎて、無意識のうちに「別姓賛成&青野案反対」派の不安を過小評価してしまっているのかもしれないと、ツイッターでのやりとりの中で私は感じた。しかしそれではコミュニケーションが成立せず、夫婦別姓賛成派の中での分断と混乱は収まらない。批判にも、「論」には「論」で返していってほしい。大変だとは思うが、「日本会議に乗り込む決死の覚悟」(青野氏自身のツイッターより)があるくらいなのだから、きっとできる。

くり返すが、私は夫婦別姓についても法律についてもまったくの素人である。今回は一市民として疑問に感じたことを発信したが、これ以上、私の知識はない。今後は、ぜひ大手メディアを舞台に、専門家の見解を含めた議論が展開されることを期待したい。これは「みんな」の問題である。

※今回も痛感したが、やはりツイッターでの議論は非効率で好きではない。「部分」しか見えなくなり、「全体像」がぼやける。今後はこの件に関してツイッター上でのやりとりはしないつもりであることを、ここで断っておく。この記事に対する意見も、私のツイッターではなく、ご自身のブログなりnoteなりに記載してほしい。

5月4日から5日にかけての青野氏とのツイッターでのやりとり

↑ここは非常に大きなポイントだと思う。

↑「戸籍の問題」と「名前の問題」を切り分けるという意味が具体的にどういうことなのかが理解できない。端的に言えば、「1文追加」によって、我々の戸籍はどういうフォーマットになるのだろうか。「日本会議との妥結点」とはまさか「通称」の付記でもよしとすることなのかと不安になる。参考までに、戸籍謄本のサンプル画像を貼り付けておく。

画像

↑「『できない』と思われるのは自由」ではなくて、「できる」と思う法的根拠を示せば、みんなが安心できると思うのだが。

↑質問も言葉足らずだったかもしれないが、全体の流れを見ればわかるように、質問の主旨はYESかNOかを聞いているのではない。法的根拠を教えてほしかった。それが具体的に示せないのであれば、「1文追加だけで可能」ということをあまり強調しないほうがいいのではないかと思う。

↑1996年の法制審議会で、何らかの欠点が指摘されたから反古になったのではないか。であれば今回の訴訟でそれを反面教師にすることはできるはず。そこを調べていないのはちょっと意外である。

↑意図的なのか、そうでないのか、質問の意図とはズレた返し。

↑井戸氏の記事はスクープであり、「無許可」は問題ではないと私は考える。ここから先の「個人攻撃」に私がどういう印象をもったかは、読者のご想像におまかせする。

↑井戸氏は自身のお子さんが一時、無戸籍になったことから訴訟を起こし勝訴した経験をもち、民法・戸籍などの問題で困っている人たちへの支援をライフワークにしている。民法・戸籍については膨大な知識をもっており、このたびの彼女の記事は社会への問題提起としても意味のあるものだと思う。「裁判を起こさないのなら黙っていろ」は暴論。「モノが言えない空気」をつくってはいけない。

↑実生活上の不利益を強いられ精神的苦痛を感じている方々の気持ちをくみ取ることはもちろん、民法上の氏を変更することに精神的苦痛を感じている方々の気持ちもくみ取る必要があると思う。

育児・教育ジャーナリスト

1973年東京生まれ。麻布中学・高校卒業。東京外国語大学英米語学科中退。上智大学英語学科卒業。リクルートから独立後、数々の育児・教育誌のデスクや監修を歴任。男性の育児、夫婦関係、学校や塾の現状などに関し、各種メディアへの寄稿、コメント掲載、出演多数。中高教員免許をもつほか、小学校での教員経験、心理カウンセラーとしての活動経験あり。著書は『ルポ名門校』『ルポ塾歴社会』『ルポ教育虐待』『受験と進学の新常識』『中学受験「必笑法」』『なぜ中学受験するのか?』『ルポ父親たちの葛藤』『<喧嘩とセックス>夫婦のお作法』など70冊以上。

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