Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

はじめてブラのホックを外した夏を覚えているかい?

夏が近づくとバカばかりやっていた第二校舎の屋上を思い出す。1991年、高校3年7月の屋上。神奈川の田舎にある県立高校の、運動部の連中のよれよれになったTシャツやタオルが、風に吹かれて遡上する魚の群れのように活き活きと揺れ、放置されたプランターからキュウリやアサガオがだらしなく顔をのぞかせる、そんな、どこにでもある焼けたコンクリートの屋上。あれほど太陽が近かった夏を僕は知らない。

「勉強してくる」と家族に嘘をついて家から抜け出しては仲間とそこに集まっていた。誰が言いだしたのかわからないが、その屋上は「ヘブン」と呼ばれていた。当時、僕の通っていた高校は、授業のあと、補講という名目で自由参加の受験対策をやっていて、クラスメイトの大半は教室でテキストと格闘していた。その様子をヘブンから眺めるのに飽きてしまうとカセットのウォークマンでロックを聴きながら昼寝ばかりしていた。

ガンズ。ニューオーダー。プリンス。ポリス。ストーンローゼス。ハッピーマンデーズ。ニルヴァーナ。それからレッチリ。自分で編集したマイ・ベスト・ロック・テープ。B面の最後はテープが足りなくて、後半のピアノ・パートが丸々カットされていた「いとしのレイラ」。夕方。尻切れトンボのレイラが終わると、僕は、背中とお尻の砂を払ってヘブンをあとにした。仲間たちはひとりふたり脱落していき7月の終わりには2人になってしまう。「ワイルド・バンチ」のように。

「何者にもなれる」という根拠のない自信が、「何者にもなれない」という確固たる現実に侵略されていくのが悔しくて、歯痒かった。もどかしくて、大声ばかり出していた。その声は侵略への反抗への狼煙であり、ここではない、どこか、自分の探している場所を捜索するソナーでもあった。ターゲットを見失ったソナーは今もどこかを彷徨い続けているのだろうか。

ヘブンでは、くだらない話題やエロい話題には事欠かなかった。ごくごく短い間、僕らが夢中になった話題は、学校内の可愛い子やセクシーな子がその日、何色のブラジャーを付けているか。夏服のブラウスは当時エアコンのない教室で汗ばむと透けてしまい、ブラのラインがサインのように浮かんできたのだ。ほとんどの女生徒は白だったけれど、セクシーな子は青やピンクやパープルの鮮やかな天使の羽を背中に浮かばせて、ヘブンの僕らを熱狂させたものだ。デジカメやスマホもない時代。網膜に焼き付けた天使の羽は今も色鮮やかに残っている。

ふいに誰かが「ブラを外したこと、あるか?」といった。返事はなかった。それが17歳の僕らの答えだった。屋上に持ち込んだエロ本で僕らに微笑んでいるモデルはブラをつけているか、外しているかのほぼ2択で、ごくまれに、背中に手をまわして挑発的にブラを外すようなポーズをとっているものもあったけれど、そこからブラの外し方を学ぶことはほぼ不可能だった。「いざ、というときどうする?」と誰かがいった。僕らはバカだった。鮮やかな色の天使の羽をこの手で解放する。そんな甘美な思いだけでスキルと実践がともなっていなかった。まったく。女の子の素晴らしさを歌い上げるブリティッシュロックの名曲たちはブラの外し方を教えてはくれなかった。

練習をすることになった。速さ。正確さ。クールさ。ホックを外す際のそれらエレメントを追究するためには全員の力が必要だった。一人が犠牲となって母親のブラを持ち出すプラン。遂に自ら犠牲になる殉教者はあらわれなかったので、ジャンケンで決めることになった。僕はグーで勝ち抜けた。以来、僕はここぞの勝負のときはグーを出すことにしている。負けた奴は、最大限の敬意を込めて「殉教者V3」と呼ばれた。V3、チョキで3連敗を喫した勇者にのみ与えられる称号だ。V3が屋上の手すりから光るプールを見下ろしながら「アーメン」と呟いたのをつい昨日のことのように覚えている。

V3は真の勇者だった。明くる日、太陽に焼かれたヘブンに母親のブラを持ってきた。「意外と余裕だった」とV3は胸を張った。スポーツバッグから取り出したブラは、くすんだベージュ色で、天使の羽とは程遠い代物だった。巨大なバンドエイドのようであった。僕らは、V3から順番にブラのホックを外す練習をした。最初はうまくいかなかったけれど、何回か試すうちに、イチ二ノサンのリズムで外せるようになった。誰かが「アン・ドゥ・トロワ」といって次第に声が重なり大きくなっていった。「アン・ドゥ・トロワ!アン・ドゥ・トロワ!アン・ドゥ・トロワ!」僕らは全員、バンドエイドで磨いたスキルを披露することなく卒業した。天使の羽には誰も手が届かなかった。

バカ騒ぎをしていたあの頃。大声を出して、ここではないどこかを探していた。1991年のソナーは、今も、名前の変わった街並みの空を彷徨い続けているのだろう。あれから天使の羽を求めるようにそれなりにブラのホックを外してきて、探している場所が見つからないことを知った。あの頃、大きな声を出していたあの場所、ヘブンこそが探していた場所だったのだから。

ゴールを探していたつもりだったけれど、探していたのはスタートだった。自分が何者かをまだ知りたくないという思いから、スタートに立つことを恐れ、逃げていた。サラリーマンになってからもゴールを目指して走っていられるのも立ち戻る場所、ヘブンが心の中にあるからだ。夏、カーステから「いとしのレイラ」が流れてきたり、天使の羽を見かけたりすると、僕はヘブンを思い出す。そのたびに僕はまだ走れるような気がする。アン・ドゥ・トロワ。その足並みはカール・ルイスのように速くはないけれど。(所要時間23分)