プロトレイルランナーに学ぶ やり遂げる技術』(鏑木 毅著、実務教育出版)は、昨年2月にご紹介した『日常をポジティブに変える 究極の持久力』(鏑木 毅著、ディスカヴァー・トゥエンティワン)の著者による新刊。

著者は28歳でトレイルランニングを始め、群馬県庁で働きながら実績を積み上げていったプロトレイルランナーという、ちょっと変わった肩書の持ち主。当然のことながら本書もプロトレイルランナーとして積み上げてきた経験がベースになっているわけですが、注目すべきは、ただ専門的な話題だけを並べているわけではないこと。

この本は、100キロを超えるウルトラトレイルのレースを何十回と完走し、数々の地獄を乗り越えてきた僕自身の考え方や経験、メンタルの鍛え方を述べた本です。トレイルランニングの話をベースに解説していますが、みなさんの仕事にも生かせるように工夫しました。僕自身も、プロトレイルランナーになる前は、15年間サラリーマンをしていたので、そのときの経験も加味してあります。 (「はじめに 僕は絶対にあきらめない」より)

根底にあるのは、「人生においても、仕事においても、いざというときに真の実力を出せるかどうかは、それまでくぐってきた修羅場の数で決まるもの」だという考え方。著者は自身について「決して強い人間ではなかった」と記していますが、そのことを踏まえたうえで、

・ なぜ最も過酷なウルトラトレイルの世界でトップランナーの仲間入りができたのか

・ 限界を超えて自分の力を引き出す、絶望的状況の自分を変えるというのは、どういうことか

・ 何回失敗しても折れない心はどうやって育むことができるのか

を説いているわけです。

きょうは「集中力」に焦点を当てた第2章「集中力を極限まで高める 勝負どころのメンタルマネジメント」のなかから、いくつかのポイントを抜き出してみましょう。

本番に向けて気持ちの波を乗りこなす

レースの場合、本番に向けて気持ちを盛り上げていくのが重要だという人もいれば、平常心を保つことが大切だという人もいることでしょう。ちなみに著者の場合は、どちらも大事だと考えているのだそうです。その理由は、以下のとおり。

人間というのは、つねに一定ではなく揺れ動いているものなので、周囲のプレッシャーに押しつぶされそうになったとき、弱気になって逃げたくなったときはモチベーションを高めていくことが重要だし、気持ちが高ぶりすぎて前のめりになったときはリラックスして平常心を保つのが重要になります。(48ページより)

答えはひとつではないからこそ、メンタルに限らず、「このときはこれ」「別のときはあれ」といった具合に、複数のやり方をバランスよく取り入れることを心がけているというのです。

ひとつのことにこだわり、がんじがらめになってしまうよりも、そのときの自分の状態に合ったやり方を柔軟に取り入れていくほうが、結果的には無理がないということ。

なお、そういう話だけを聞くと、著者はいかにも逆境に強そうに思えます。ところが実際は、レースのたびにものすごいプレッシャーを受けているのだそうです。

たとえば著者の人生を決定づけることになったUTMB(ウルトラトレイル・デュ・モンブラン)では、初出場の2007年に12位、翌2008年に4位、2009年に3位と順位を上げていったため、多くの人から「次は1位」「今度こそ優勝」と言われることに。しかし、そのことをうれしく感じる一方、その期待に押しつぶされそうになる自分もいたというのです。

とくに2009年からはテレビのドキュメンタリー番組で取り上げられ、密着取材を受けたため、「失敗したらどうしよう」「番組が成り立たなかったらどうしよう」と不安が襲いかかることに。しかもプレッシャーはレースが近づくにつれて高まってくるため、気持ちがおかしくなって、いつもの自分でいられなくなるほどだったといいます。

しかし、そういうときこそ、できるだけプラスになることを考えるようにしているというのです。注目されるのは、つらい半面、とても幸せなシチュエーションだともいえます。そこで、「こんな機会は滅多にない」「人生のよい記念になる」というふうにモチベーションを上げていくようにするというのです。気持ちを高揚させ、辛い練習も乗り越えていくというわけです。

とはいえ、いつもギンギンでいられるわけはなく、ときにはふっと息を抜いて落ち着かせることもあるのだとか。本番で最高の状態に持っていくためには、高揚感と平常心の間を行ったり来たりしながら、精神的な波をうまく乗りこなす必要があるということです。(48ページより)

失敗してもいいから高い壁に挑む

新しい仕事にはチャレンジがつきもの。しかし高すぎる壁を前にすると、尻込みしてしまう人がいるのも事実です。でも「自分には無理」と最初からあきらめたり、「能力を超えている」と勝手に自分の上限を決めたりして、本気で取り組まないとしたら、いつまでたっても自分の限界を超えることは困難。

自分にとって高いハードルに挑む際に大切なのは、「失敗してもいいんだ」と思うこと。これまでやったことのないチャレンジをする以上、失敗するのはむしろ当たり前。「成功したら儲けものだ」くらいの気持ちで取り組めば、やる前から怖気づかずにすむという考え方です。

「失敗してもいい「命までとられることはない」と思えば、思い切り力を出すこともできるものだと著者は主張しています。

「うまくいかなかったらどうしよう」というような不安は、誰にでもあるもの。そして失敗したときの自分を真っ先に思い浮かべてしまうからこそ、なるべく失敗しないようにハードルを低く設定し、無難に飛び越えられる程度の小さなチャレンジで満足してしまうわけです。しかし、それでは大きく飛躍することはできません。

イヤでも自分の限界と向き合わざるを得ないウルトラトレイルを何度も走破した僕でも、つねに自分にとってチャレンジングな目標を選べるかというと、決してそんなことはありません。弱い人間ですから、「これぐらいだったら、みんなも納得してくれるだろう」というラインをどこかで想定していて、実際にそれを選んでしまうこともあります。 しかし、そうやって妥協して低いハードルを設定して、実際にそれしか達成できなかった自分と向き合ったとき、「ああ、もっと高みを目指さないといけないな」といつも反省しています。自分に対してがっかりする気持ちもあるし、そもそも、すぐに実現できるようなチャレンジでは、ワクワクできないのです。(61ページより)

逆に、思い切って高いゴールを目指したときは、自分の能力がぐっと引き上げられ、それまでの限界を超えられるのだといいます。だからこそ、低い目標設定では絶対に出せない力を出せるように、できるだけ高い目標を設定することが重要。そのためには、「失敗してもいいんだ」と考えることが大事だというのです。

なぜなら「失敗してもいいんだ」と思えば、気持ちが楽になるから。そのため、できないはずのことができるようになるかもしれないし、仮に失敗したとしても、チャレンジしなければ気づけなかった学びを得ることが可能。だとすれば、その経験を生かし、もう一度同じ山にアタックすれば、次は成功するかもしれないというわけです。

山が高ければ一度でクリアできないのは当然ですし、頂上まで一直線で登っていけるとも限らないでしょう。上がったと思ったら少し下がったり、ときには休んだりしながら、それでもあきらめることなく高みを目指していれば、いつかは頂上にたどり着くということ。

僕がUTMBに何度も挑戦しているのも、世界最高の舞台で1位になったら、どんな世界が見えるのだろうかと、それを考えただけでもワクワクするからです。 UTMBで優勝することだけを思い描いて、2009年で3位になります。でも、それは3位を目指していたから3位になれたわけではなくて、「優勝したい」「世界一になるんだ」と願い続けたからこそ3位という高みに到達できたわけです。そこに至るまでのプロセスも、こんなにおもしろいことはないというくらい充実していました。だからこそ、自分の限界を超えて力を発揮することができたのです。(62ページより)

ウルトラトレイルであれ、他のスポーツであれ、あるいは仕事であったとしても、つらく、苦しい状態をくぐり抜けた先にこそ新しい世界が待っているもの。そこにこそロマンがあり、苦しければ苦しいほど、それを乗り越えたときには異次元の自分と出会えるというわけです。

高いハードルに挑戦し、自分の能力がアップデートされる経験を一度でも味わったことがある人なら、「壁が高いほどワクワクする」という気持ちは理解できるはず。そして、自分の潜在能力を引き出すために、「自分にはちょっと高すぎるのではないか」と思うような壁にも挑戦してほしいと著者は記しています。(60ページより)




著者がいうように、本書に書かれた内容は多くのビジネスパーソンが応用できるものばかり。だからこそ、トレイルランニングに縁のない人にとっても、なにかと力になってくれる1冊だといえそうです。

Photo: 印南敦史