物理的な原理原則が分かると、今まで見えていたものと全く違う世界が見えてくる――過去30年以上、航空機開発一筋できた四戸哲氏にかかると、今まで漫然と理解した気分になっていた飛行機のあれこれが、まったく違った方向から光を当てられる。取材の中で出た本筋以外の話題をまとめ、四戸氏の了解を得てここに掲載する。

※上の写真は前回などで触れた、米国の「自作飛行機好きのコミケ」的なイベント、EAA AirVenture Oshkosh(オシコシ、オシュコシュ)。主催のEAA(EXPERIMENTAL AIRCRAFT ASSOCIATION)へのリンクはこちら。写真提供は八谷和彦氏(こちら

松浦:ついでにといっては申し訳ないのですが、せっかく四戸さんから話をお聞きするチャンスなので、MRJや日本の航空産業から離れたテーマについても、質問してしまいましょう。

 私には、空を飛ぶ道具がものすごい変革期に来ているんじゃないかという気がするんです。具体的には電動モーターとバッテリー、そして制御です。

 ドローンは、今や実用に使われるようになりつつあります。4つから8つのプロペラを上に向けて飛ぶことが、電動モーターと制御の技術でできるようになったからです。

四戸:マルチコプターというやつですね。プロペラ4つならクワッドコプター、8つならオクタコプター……。

松浦:そこで世界中を見渡してみると、人が乗れる電動のマルチコプターを作って飛ぼうとする計画がどんどん出ています。YouTubeを見ると彼らの動画がたくさんあります。それこそ、搭乗者の腰のあたりでプロペラを回すような危ない機体もあって、「ひとつ間違ったら胴体切断だから止めろ」と思ったりもしますが。あれ、四戸さんはどのように見ておられますか。

バッテリーと制御技術が飛行機械を変革する

四戸:おっしゃる通りだと思います。きっかけはまずバッテリーの進歩ですね。バッテリーのエネルギー密度が高くなって、より軽く、より大容量になりました。この結果、電動で空を飛ぶことが現実的になってきたわけです。

松浦:30年前にラジコンの模型飛行機で起きたことと同じパターンですよね。それまでエンジン機だったところに、バッテリーの進歩で電動モーターが使えるようになり、はるかに扱いやすいものだから、ラジコン機の電動化が一気に進みました。

 今回はバッテリーに加えて、もう一つの技術要素があります。制御です。制御技術の進歩でクルマの自動運転が出てきたわけですが、自動運転は、実は地上よりも空の方がはるかにやりやすい。

四戸:障害物がないですからね。自動運転の無人航空機は区分けされた空域、つまり3次元のブロックの中を、厳密に外れることなく飛行できます。

松浦:今や、ドバイでは警察用に有人マルチコプターを試験的に導入しようとしているじゃないですか。ひょっとしたら電動モーターと自動運転を組み合わせた飛行機械は、人間のモビリティ、動くための道具の革命になるんじゃないでしょうか。飛行機という機械の概念自体がひっくり返るかもしれない。

四戸:そうですね。ただし、2乗3乗の法則を皆さん失念されています。

編集Y:なんでしたっけ……。

松浦:面積は寸法の2乗に比例して大きくなるけれども、重量は3乗に比例して大きくなるという法則ですよね。マルチコプターも人が乗るほど大きくなると、成立しにくくなるということですか。

四戸:今話題になっている、無人で宅配便を配達するとか、上空から無人で交通違反車両を監視するといった用途に使おうとしているマルチコプターは、みな小さいですよね。積むのは比較的軽いカメラとか宅配の荷物などで、人間という重い荷物を積む必要はありません。マルチコプターはプロペラの推進力で浮上します。人を積むために大型化すると2乗3乗則でどんどん重くなりますから、大きくて重い機体ほど高出力のモーターと大容量のバッテリーが必要になります。

 では、なぜドローンでマルチコプターがここまで流行したかというと、松浦さんの言う通り電動モーターの制御が容易になったからです。

ドローン:無人航空機の総称。英語のdroneはハチの羽音のことで、ブンブンと音を立てて飛ぶことから無人航空機もドローンと呼ぶようになった。

マルチコプター:複数、通常は4つ以上のプロペラを上に向け、下方に吹き付ける空気の流れで浮上する航空機の総称。

回転翼とプロペラ、そしてサイクリックピッチコントロール

Y:人間の移動手段として使うには、2乗3乗則があるからモーターとバッテリーでは力不足、ということなんでしょうか。

四戸:現状ではその通りなんですが、もう一つ大きな問題があります。マルチコプターはプロペラを上に向けて浮上していますよね。マルチコプターとヘリコプターの違いって分かりますか。

Y:プロペラの数ですか。

四戸:ヘリコプターの上についているのはプロペラではないです。回転翼です。ヘリのことは日本語で回転翼機というじゃないですか。もっと具体的に言うとプロペラは連続的にねじれていますよね。ヘリの回転翼はねじれていません。あれは回っている翼なんです。

Y:……そういえば、そうですね。じゃ、マルチコプターは回転翼じゃなくて、プロペラなんですか。

プロペラ(左、カーチスP40戦闘機)はねじれているが、ヘリコプターの回転翼(陸上自衛隊のAH-64攻撃ヘリ)はねじれていない(写真:松浦晋也)
プロペラ(左、カーチスP40戦闘機)はねじれているが、ヘリコプターの回転翼(陸上自衛隊のAH-64攻撃ヘリ)はねじれていない(写真:松浦晋也)

四戸:ヘリコプターもマルチコプターも回転面に平行に飛びます。ところがマルチコプターの場合は、この飛び方は非常に非効率的なんです。

Y:水平飛行が苦手、なぜでしょう。

四戸:飛んでいる時の空気の流れを考えてみて下さい。ヘリコプターの回転翼は、翼が回ることで上に浮く力、揚力を発生させます。回転翼が上から見て反時計方向に回っているとして、この状態で前に進むと、回転翼周囲の空気の流れはどうなりますか。

前進するヘリの回転翼にかかる空気の流れ。進行方向右側では回転翼の回転速度とヘリの前進速度が足し合わされて速くなり、左側では前進速度から回転速度を引くことになり遅くなる。
前進するヘリの回転翼にかかる空気の流れ。進行方向右側では回転翼の回転速度とヘリの前進速度が足し合わされて速くなり、左側では前進速度から回転速度を引くことになり遅くなる。
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Y:ええと……進行方向に向かって右は、プロペラの回転速度と前に進む速度が足し合わされて空気の流れが速くなりますね。左は逆で遅くなる。ああ、翼は流れの速度に比例して揚力を発生するから右は揚力が大きくなって、左は小さくなります。ヘリコプターは横にひっくり返っちゃいますよ。

四戸:そうですね。ですからヘリコプターの回転翼はサイクリックピッチコントロールということをやって左右の揚力を釣り合わせています。翼の発生する揚力は、空気の流れにたいする翼の上向きの角度、迎え角といいますが、迎え角の大きさで変化します。迎え角が大きいと揚力は大きくなり、小さいと小さくなる。だから今の例だと右側では回転翼の迎え角を小さくして揚力を小さくし、左側では迎え角を大きくして揚力を大きくします。1回転の間で迎え角を周期的に変化させるから、サイクリック(周期的な)、ピッチ(迎え角)、コントロール(制御)というわけですよ。この制御をやっているから、ヘリコプターは効率的に前進できるんです。この制御で同時に姿勢も制御して、前向きに前進する力を生み出しています。

Y:……複雑だということはよく分かりました。

四戸:ところでマルチコプターは空中停止している時は良いのですが、横移動では各ローターはひっくり返ろうとしています。そこでマルチコプターは、プロペラの半数を右回転、半数を左回転にして、ひっくり返ろうとする力を相殺しているのです。ですからマルチコプターのプロペラは必ず偶数です。

 こうすれば、複雑なサイクリックピッチ動作をせずに済む。しかしその代償として、横方向の移動ではプロペラに横方向の空気の流れが入りますので、効率がダダ落ちになるんです。機体が小さくて軽いうちは問題になりませんが、大きく重くなるにつれ、マルチコプターが長距離移動には本来向かない様式だということが露わになるのです。

松浦:じゃあ、マルチコプターも、ヘリコプターのように回転翼を使ってサイクリックピッチコントロールを行えばいいのでは。すでに可変ピッチプロペラというものがあるわけですし。

四戸:そうです。サイクリックピッチコントロールをすればいい。ただしそうなると沢山あるプロペラを全部可変ピッチにする必要があるので、機構的には非常に煩雑になって、モーターの制御だけで飛ぶことができるというマルチコプターの利点が失われてしまいます。結論としては、人が乗るサイズのマルチコプターは、効率が悪すぎて実用的には成立しにくいです。

 でも、プロペラを2つまで減らして、実際にサイクリックピッチプロペラを装備して飛んでいる機体があるんですよ。色々と話題になっているオスプレイです。

松浦:ああっ!

Y:オスプレイに付いているのは、ただの「でかいプロペラ」じゃないのか……。

オスプレイ:米ベル・ヘリコプターとボーイングが開発した垂直離着陸軍用輸送機。主翼の両端に装備したエンジンポッドの向きを水平から垂直まで変えることができ、ヘリコプターのように離着陸し、通常の航空機のように飛行できる。大型輸送ヘリコプターに代わる高速大量輸送手段として1986年から開発が始まり、1989年に試作1号機が初飛行したが、度重なる墜落事故と機械トラブルのために計画は大幅に遅延し、2005年にやっと部隊配備が始まった。日本への配備を巡って反対闘争が起きている。

CV-22オスプレイ軍用輸送機(画像:米空軍)
CV-22オスプレイ軍用輸送機(画像:米空軍)

電動パーソナルモビリティ機はオスプレイ型になる

四戸:オスプレイは空力的に、一本スジが通った機体なんです。だから私は、電動モーターを使った空を飛ぶパーソナルモビリティを考えた場合、目指すべきはマルチコプターではなくて、オスプレイのような形式だと考えています。オスプレイはいちど飛び上がったら今度は主翼で揚力を得て飛行します。翼で飛ぶのは、回転翼やプロペラを回し続けて浮上するよりもはるかにエネルギー効率が良いです。

松浦:オスプレイはあのサイズで軍用輸送機として求められる性能を成立させるために、非常に複雑な機構になっているんですね。

四戸:そこです。電動モーターを動力にするなら、オスプレイ型の航空機は単純な機構で実現できるんです。まず、オスプレイは左右のエンジンをシャフトでつないでいます。どちらか片方のエンジンが停止した場合でも、操縦不能にならず安全に飛行し、着陸できるようにするためです。でも、電動モーターなら、通電したけれど回らないということはまずないですから、そういう機構は不要です。不安ならば片側に装備するモーターを複数にしてもいい。

 あるいは、離着陸だけはマルチコプターの形式で行って、水平飛行に移ったら、マルチコプター部のプロペラは止めてしまうという形式も考えられます。マルチコプター部のモーターが水平飛行では余計な重量となりますが、エンジンの向きを変える機構とどちらが重くなるかは、設計次第でしょう。

 おそらく、オスプレイ型のパーソナル飛行機械は、オスプレイとは全く異なる外見になるでしょう。でも飛行原理は同じです。プロペラを上に向けて垂直離陸し、横に向けて翼で揚力を得て飛行する。

松浦:あるいは、マルチコプターと通常の航空機を組み合わせて、マルチコプターとして離着陸して、航空機として水平飛行するか、というわけですね。

Y:オスプレイの場合、上下動はヘリコプターの「回転翼」、水平飛行は飛行機の「プロペラ」+「翼」。まさにいいところ取りなのか。

四戸:私はオスプレイは、現在の航空工学の粋を尽くした素晴らしい機体だと考えています。特にプロペラは「回転翼兼プロペラ」という設計が必要なので、簡単に真似できるものじゃないでしょう。現在起きているオスプレイの事故は、全く新しい形式の機体に対するパイロット養成課程がどうあるべきかも含めた、パイロットの熟練度の問題であろうと見ています。

ダイダロスが示す“設計する力”

松浦:次にお聞きしたいのは、日本テレビ系列の讀賣テレビが長年開催している「鳥人間コンテスト」です。今、アマチュアが自作航空機をやろうとした場合、一番簡単で、かつ楽しめるのは鳥人間コンテストに参加することでしょう。でも、1977年以降ずっと開催しているにもかかわらず、このコンテストがあったから日本の航空産業が底上げされた、とは思えないのです。確かに人材は輩出していますが。

四戸:鳥人間コンテストは、なんと言いますか、日本人の特性が非常に良く出ていると思います。要は人力でどれだけ長距離を飛ぶかという競技ですが、実はその分野ではマサチューセッツ工科大学(MIT)が、「ダイダロス」という機体を作って、1988年4月にギリシャのエーゲ海で115.11kmという世界記録を出しています。この記録は今も破られていません。

MITが開発し、長距離飛行の世界記録を樹立した人力飛行機「ダイダロス」画像:By National Aeronautics and Space Administration (en:NASA) / Beasley - http://www.dfrc.nasa.gov/Gallery/Photo/Daedalus/HTML/EC88-0059-002.html [1]This image or video was catalogued by Armstrong Flight Research Center of the United States National Aeronautics and Space Administration (NASA) under Photo ID: EC88-0059-002.This tag does not indicate the copyright status of the attached work. A normal copyright tag is still required. https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=874042
MITが開発し、長距離飛行の世界記録を樹立した人力飛行機「ダイダロス」画像:By National Aeronautics and Space Administration (en:NASA) / Beasley - http://www.dfrc.nasa.gov/Gallery/Photo/Daedalus/HTML/EC88-0059-002.html [1]This image or video was catalogued by Armstrong Flight Research Center of the United States National Aeronautics and Space Administration (NASA) under Photo ID: EC88-0059-002.This tag does not indicate the copyright status of the attached work. A normal copyright tag is still required. https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=874042

 そのことを知った上で、航空機の設計を見ていくと、今、鳥人間で良い成績を出している機体はみんな「ダイダロスの息子」なんですよ。

Y:みんなダイダロスの真似というか、強い影響を受けている、ということですか?

四戸:ダイダロスの示した基本コンセプトに乗って、より一層洗練させる、という方向で機体を開発しているんです。

 ダイダロスは、当時MITの助教授、現在は教授のマーク・ドレラという方が設計しています。ところがですね、ドレラは、ダイダロスの設計は決して理想ではなく、「この予算・この期間」という既定の枠の中で最大の成果を出すための設計だ、と明言しています。彼はダイダロスのために新たにDAEという翼型を開発しました。

Y:翼型ってのは翼の断面形ですね。

四戸:そう。航空機の性能に大きな影響を与える部位ですね。DAEは非常に変わった形の翼型でして、私も最初は「なんでこんな形にしたんだろう」と不思議だったんですが、「翼の後ろ半分がフィルムを貼る構造だった場合に、飛んだ時に変形して最適形状になる翼型」だったんです。抵抗が小さく、捩じり荷重も極めて小さい優秀な層流翼型です。

松浦:つまり機体構造から考えて「その構造で最適になる翼型」を開発したんですか! すごい。単に機体の性能だけ考えていたらそういう発想はでてこない。

四戸:しかもその機体構造はといえば、「何度落ちてもすぐに修理できて飛行にリトライできる」という観点で決めて行ったそうです。で、今、琵琶湖で飛んでいる機体は例外なくDAEを使うんです。

 これはもう設計の総合力の勝利ですよ。ダイダロスのチームは、期間と金額を限った状態で、その制限内で世界記録を出すにはどうしたらいいか、という視点で設計を行っていったんです。それでいて性能が悪いかというとそうではないですしね。もしも琵琶湖にマーク・ドレラが殴り込んできたら、琵琶湖の条件と資金と開発期間に最適な、全く異なる設計コンセプトで勝負をかけてくるでしょう、それに設計レベルで勝てるかどうか……。

鳥人間コンテストが日本の航空技術を押さえつけていないか

四戸:こういう設計能力の格差は鳥人間以前からありました。いや、設計というよりむしろ発想力の差なのかも知れません。クレーマー賞はご存知ですか。

松浦:人力飛行機に懸賞金を出した賞ですよね。8の字飛行を行ったチームに賞金を出すという。

四戸:ええ。この賞はアメリカのポール・マクレディが「ゴッサマー・コンドル」という機体を開発して、1977年に8の字飛行を実施して獲得しました。

スミソニアン航空宇宙博物館別館に展示されている「ゴッサマー・コンドル」(写真上方、撮影:松浦晋也)。下の機体はティルトローター実験機のベルXV-15(1977年初飛行)。オスプレイ実用化に向けた試験機といえる機体。
スミソニアン航空宇宙博物館別館に展示されている「ゴッサマー・コンドル」(写真上方、撮影:松浦晋也)。下の機体はティルトローター実験機のベルXV-15(1977年初飛行)。オスプレイ実用化に向けた試験機といえる機体。

 ここでゴッサマー・コンドルの設計コンセプトを確認しましょう。根本にあるのは「人間の脚力は、300W以上の出力を出すとすぐに疲れてしまって後が続かなくなる。けれど、300Wぐらいだったらけっこう長時間出力を発生することができる」という事実です。ですから、ゴッサマー・コンドルは、ゆっくりふわふわ飛ぶので構わないから、300W以下の出力で長時間飛ぶことができる機体として設計されました。

 ゆっくり飛ぶので、張り線を使って機体強度を保つ設計です。遅いと張り線の空気抵抗はさほど大きくなりません。むしろ張り線を使うことによる重量軽減の効果の方が大きいです。後は8の字飛行の障害となる風がない日をずっと風待ちできる体制を整え、それで8の字飛行を成功させました。

 そうしたら、日本の人力飛行機はみんな「ゴッサマー・コンドル」の真似をし始めたんです。

 ところで、クレーマー賞は、ひとつ目的を達成すると次の目的を、という賞でして、次は人力飛行機によるドーバー海峡横断でした。これもマクレディが「ゴッサマー・アルバトロス」という機体で成功させてクレーマー賞を取りました。次の目標は太陽電池をエネルギー源とするソーラープレーンによるドーバー海峡横断で、これまたマクレディが「ゴッサマー・ペンギン」という機体で獲得しました。

マクレディが設計したソーラープレーン「ゴッサマー・ペンギン」。一連のゴッサマーシリーズは同じコンセプトで設計されている。(画像:By NASA - <a rel="nofollow" class="external free" href="http://www.dfrc.nasa.gov/gallery/photo/Albatross/HTML/ECN-13413.html">http://www.dfrc.nasa.gov/gallery/photo/Albatross/HTML/ECN-13413.html</a>, Public Domain, <a href="https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=675288">Link</a>)
マクレディが設計したソーラープレーン「ゴッサマー・ペンギン」。一連のゴッサマーシリーズは同じコンセプトで設計されている。(画像:By NASA - http://www.dfrc.nasa.gov/gallery/photo/Albatross/HTML/ECN-13413.html, Public Domain, Link

 その次に設定されたのが、人力飛行機による速度と運動性を試す、という目標でした。全長1500mの三角形コースを2分以内に回れ、というものです。

 今度はドイツのギュンター・ローヘルトという方が、全複合材料製の、つまりはフィルムを貼るタイプではなくてかっちりとした超高速型の機体「マスキュレアー2」を作って獲得したんです。この機体の基本コンセプトは、ゴッサマー・コンドルの逆です。「人間の脚力は、数分なら600Wぐらいの出力を出すことができる。だから出力600Wを前提にして、2分で1500mを飛びきる高速型の機体を作ろう」なんですよ。高速型ですから張り線なんて空気抵抗のもととなる構造は論外です。支柱や張り線が不要で、かつ高精度の表面仕上げが可能な構造が採用されました。

ローヘルトが設計した高速型人力飛行機「マスキュレアー2」。現在はミュンヘンのドイツ博物館航空別館に展示されている(撮影:松浦晋也)。一見して、マクレディのゴッサマーシリーズと全く異なるコンセプトで設計されていることがはっきり分かる。
ローヘルトが設計した高速型人力飛行機「マスキュレアー2」。現在はミュンヘンのドイツ博物館航空別館に展示されている(撮影:松浦晋也)。一見して、マクレディのゴッサマーシリーズと全く異なるコンセプトで設計されていることがはっきり分かる。

 実はマスキュレアー2は、1976年に日本大学が開発して、2094mという当時の飛行距離世界記録を出した人力飛行機「ストーク」に触発されたんです。これはローヘルトが論文にはっきりとそう書いています。ストークは、設計を高速側に振った、当時としては画期的な機体だったんです。

 つまりですね。結局、日本の人力飛行機というか、ソーラープレーンも含めた極小動力航空機は、海外の動向で右往左往してしまって、記録を全部海外に持っていかれたんです。ストークのような、せっかく国内で芽生えていた良い発想を掘り起こすことができなかったんです。そして現在はといえば、ダイダロスをひたすら磨き上げる競技会ばかりになってしまった。

 とは言え、ダイダロスを踏襲するだけでもたいへんな技術が必要です。60人乗り旅客機YS-11と同等のスパン(翼幅)を持ち、パイロットよりずっと軽い「飛行する構造物」を作ること自体、容易ではありません。そのために、上位チームは長い年月とすさまじい努力を重ねてきました。それはよく理解できますし、この競技に参加している方の熱意を軽んじるつもりはもちろんありません。

 だけれど私には、現状の琵琶湖の鳥人間コンテストは、「ダイダロス」という解答の示された「道」をひたすら追求するという非常に日本人的な姿、いわば「ダイダロス道」を一生懸命に追究しているように思えます。ダイダロス以外にも参照すべき膨大な過去の財産、航空技術、工学知識があるのに、「正解はこれだ」という認識が生まれ、機能しているために、今では日本の航空時術を押さえつける蓋にさえなっているように感じます。日本において、みんなが飛行機を作ってわっと盛り上がれる貴重な場所であり、とっても良いイベントなんですよ。もっと落ち着いて、木だけではなく森を見て、つまり体系的な知識を基盤に据えて、そのうえで独自の発想を競えたらどんなにすばらしいか。

 そこで思い出すのは本庄季郎先生のことです。1977年の第1回鳥人間コンテストで優勝したのは、当時すでに70歳を超えておられた本庄先生が設計した「H-7」という機体なんですよ。本庄先生は、別に主催者に呼ばれたわけではなく、自発的に参加して、それで優勝したんです。本庄先生の機体が見事な飛行を披露した結果、鳥人間コンテストは1回限りの番組から、毎年開催するイベントへと昇格しました。ちなみに審査員の側には、木村秀政先生がおられました。

Y:かつての仲間の前で「へへ、俺作っちゃったもんね。すごいだろ」とやったわけですか。

「なにがなんでも作りたい」意欲

四戸:本庄先生は、戦前から戦中にかけて三菱の航空部門の最先端にいた方です。もしも機体が失敗したら「本庄も老いたな」とか陰口を言われたでしょう。晩節を汚すことも恐れずに鳥人間コンテストに挑んだ姿勢には、先生のエンジニアとしての飽くなき意欲を感じます。これこそが、いまMRJに欠けている要素ではないかと思います。私は、今の三菱のエンジニアに「なにがなんでも作りたい」という意欲があるのか、と疑問を覚えるんですよ。

Y:それは、精神論のようにも聞こえますが。

四戸:いいえ。仕事を離れても、自分が損をしようが得をしようが、自分で作りたいという喉の渇きにも似た意欲が、航空機の設計には不可欠なんです。

松浦:正解がないところに道を作ろうというなら、普通の仕事のモチベーションでは足りない、ということでしょうか。

マーク・ドレラ(1959~):マサチューセッツ工科大学・航空宇宙学科教授。人力飛行機の長距離記録を保持する機体「ダイダロス」の設計者。人力飛行機の分野においてはカリスマ的存在である。氏の業績ならびにダイダロスについてはこちら

クレーマー賞:1959年にイギリスの実業家ヘンリー・クレーマーが創設した人力飛行機の賞。英王立航空学会が賞のマネジメントを担当している。当初は人力飛行での8の字飛行を最初に達成した者に対して賞金を出すというものだったが、課題達成に応じて目標を次々に変え、航空関係者の技術開発を促進している。

ポール・マクレディ(1925~2007):アメリカの航空機設計者。ゴッサマー・コンドルによるクレーマー賞獲得に始まり、人力飛行機と太陽電池を動力とするソーラープレーンの分野に重要な貢献をした。白亜紀の翼竜ケツァルコアトルスの模型を飛行させ、翼竜が実際に飛行可能であったことも実証している。

ギュンター・ローヘルト(1939~):ドイツの航空機設計者。世界最初期の太陽電池動力のソーラープレーン「ソルエアI」を1980年に飛行させるなど、ソーラープレーンと人力飛行機の両面での実績を持つ。

ストーク:日本大学が1976年に開発した人力飛行機。日本大学は1963年から木村秀政教授を中心に、学生の卒業研究として人力飛行機の開発を開始した。ストークは一度墜落、大破したものの、その後修復されて「ストークB」と改名。1977年1月に2093.9mの当時の飛行距離世界記録を出した。同機は、180度の旋回飛行も成功させておりこの時点では8の字飛行のクレーマー賞獲得の最有力候補であった。

戦後日本最高の傑作機、三菱MU-2

Y:うーむ、色々考えてしまいます。たらればですけれど、日本の航空技術が、「ここでうまくやっていれば世界市場へと離陸できた」というようなタイミングはなかったのでしょうか。

四戸:そうですね。まず富士重工(現スバル)のFA-200エアロスバルですね。あれは良い機体でした。もっときちんとアメリカ市場に売り込めていれば……。

 そしてなによりも一番惜しいのは三菱重工のMU-2です。MU-2を後継機の開発にまでつなげることができていたら、今とは違った状況になったのではないでしょうか。あんなに見事な飛行機はそうあるものじゃないです。私は第二次世界大戦後に日本が開発した飛行機の一番の傑作はといえば、迷わずMU-2と答えます。

上から見たMU-2。機体サイズと比べて主翼が小さいことが分かる。この機体は航空自衛隊浜松広報館に展示されている救難捜索仕様のMU-2S(撮影:松浦晋也)
上から見たMU-2。機体サイズと比べて主翼が小さいことが分かる。この機体は航空自衛隊浜松広報館に展示されている救難捜索仕様のMU-2S(撮影:松浦晋也)

Y:MU-2のどこが優れていたのでしょうか。

四戸:まず速いこと。あのクラスの機体で最大速度460km/hというのは半端ではないです。それでいて離着陸距離は短いんです。その高性能っぷりに、今でもアメリカにはファンがいるぐらいです。

 その性能を実現した設計上の工夫が、スポイレロンだったんです。

Y:スポイレロン? スポイラーでもエルロンでもなくて?

四戸:飛行機が、3軸回りの回転で操縦するのは知っていますよね。3軸に対応する舵面があって、それを操作することで操縦します。

松浦:ピッチ、ヨー、ロールですよね。それぞれ舵面ではエレベーター、ラダー、エルロンで操縦する。

Y:えーと、まずピッチは機首の上下ですよね。これはエレベーター…どこでしたっけ。主翼?

松浦:いや、水平尾翼についた舵面です。

Y:そうか、昇降舵ですね。飛行機を上昇させるか下降させるかを操る。ヨーは機首を右に振るか、左に振るかで、舵はラダー、これは垂直尾翼についている。ロールは機体を右に傾けるか左に傾けるかで、ああ、こっちが主翼ですね。エルロン。

松浦:そうです。エルロンは左右の補助翼を互い違いに動かします。

ロール、ピッチ、ヨーの3軸の回転と、それぞれを制御するエルロン、エレベーター、ラダーの舵面(Wikipedia掲載の画像より作成)。
ロール、ピッチ、ヨーの3軸の回転と、それぞれを制御するエルロン、エレベーター、ラダーの舵面(Wikipedia掲載の画像より作成)。

四戸:その通り。そしてスポイレロンは、そのエルロンに相当する左右の傾きをエルロンの代わりに操縦する舵です。

Y:なぜ、エルロンの代わりがいるんですか。

四戸:飛行機の最高速度を上げるにはどうするかといえば、主翼を小さくするんです。しかし主翼を小さくすると離着陸の速度が大きくなりすぎてしまう。つまり短距離では離着陸できなくなります。そこで現在の飛行機は主翼の後縁にフラップを付けます。フラップというのは、主翼の後ろを下に下げて、より低速で飛べる翼型に変化させる機構です。ところで、フラップもエルロンも主翼の後縁につけますから……。

Y:ああ、場所の取り合いになっちゃうんだ。

四戸:そうです。そこでMU-2はどうしたかというと、主翼の後縁を全部フラップにしました。すると離着陸時のフラップの効果が大きくなるので、より小さな主翼でも短距離で離着陸できます。そしてエルロンをなくしてしまった代わりに、ロール軸回りはスポイレロンで操縦するようにしたんです。スポイレロンというのは、主翼の上側に空気の流れを阻害する板を突き出すというものです。主翼回りの空気の流れを阻害すると、浮く力、揚力が減りますよね。右主翼のスポイレロンを突き出すと、右主翼の揚力が減りますから、左主翼の揚力によってロール軸回りに右側に回転します。左のスポイレロンを出すと左回転です。こうしてエルロンなしでの操縦を可能にしたんです。こうして、高速性能と短い離着陸距離を両立した傑作機MU-2ができあがったんです。

Y:素晴らしいじゃないですか。

四戸:設計の難しいスポイレロンをMU-2で実用化した当時の三菱のエンジニアは、本当に優れた人達だったと思います。

ブルーインパルスの悲劇

四戸:ところがその後があったんです。MU-2の開発があった時期は学会でもスポイレロン関係の論文発表が山のように出てました。「スポイレロンは三菱のお家芸」とまで言われたんです。MU-2の成功体験があったので、三菱は次に自衛隊から超音速練習機の仕事がきた時にもスポイレロンを使いました。それがT-2です。T-2からはF-1支援戦闘機が派生しました。

Y:ああ、英仏共同開発のジャギュア攻撃機そっくりの機体ですね。子供のころ、T-2とジャギュアのプラモデルを作ったときに「あれ?」と思った記憶が。

四戸:単純な事実として言えば、外観はたいへんよく似ています。

松浦:つまりF-1はエルロンをスポイレロンに入れ替えたジャギュアだ、と。

四戸:一言に要約するとそういう設計です。もちろん実際の開発はそんなに簡単なものではなく大変な苦労があったのですが。ところで、スポイレロンには、エルロンと違って操舵できなくなる状態があるんです。

Y:は?

四戸:スポイレロンは主翼に揚力が生まれている状態で、片側の翼の揚力を減らしてロール軸回りの操縦をします。つまり、主翼に揚力が生じていない状態では操縦できないんです。

松浦:む? そんな状態って……。

四戸:垂直上昇、および垂直降下の時です。

松浦:それ、軍用機としてはまずくありませんか。MU-2のようなビジネス機はそもそも垂直上昇できませんし、垂直降下することもまずないでしょうけれど、軍用機はどんな飛行をするかもしれないというのに。

四戸:いや、実戦では戦闘機も攻撃機も垂直降下するような機動はまずしません。T-2は「超音速を出せる練習機」というのが基本コンセプトですから、スポイレロンの採用は間違っているわけではないのです。

 ところがですね、T-2は、アクロバット飛行チームのブルーインパルスが採用してしまいました。

Y松浦:T-2ブルインで垂直降下って……ってことはあの事故!

四戸:そうです。T-2ブルーインパルスの浜松基地航空祭の墜落事故につながるんです。1982年11月14日でした。

ブルーインパルスの塗装を施したT-2練習機(航空自衛隊浜松広報館にて。撮影:松浦晋也)
ブルーインパルスの塗装を施したT-2練習機(航空自衛隊浜松広報館にて。撮影:松浦晋也)

ジャギュア:英仏共同開発の攻撃機/訓練機。1968年初飛行。

フランス空軍のジャギュア攻撃機(画像:By DoD photo by: TSGT MIKE BUYTAS, USAF - <a rel="nofollow" class="external autonumber" href="http://www.dodmedia.osd.mil/DefenseLINK_Search/Still_Details.cfm?SDAN=DFSD0505511&amp;JPGPath=/Assets/Still/2005/Air_Force/DF-SD-05-05511.JPG">[1]</a>, Public Domain, <a href="https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2390761">Link</a>)
フランス空軍のジャギュア攻撃機(画像:By DoD photo by: TSGT MIKE BUYTAS, USAF - [1], Public Domain, Link

T-2:三菱重工が開発した、航空自衛隊向け超音速練習機。日本初の超音速機である。1971年初飛行。開発当初から支援戦闘機への展開が可能な設計となっており、派生型として対艦攻撃と対地攻撃を主任務とするF-1支援戦闘機が開発された。支援戦闘機とは空自における攻撃機の呼称。こちらは1977年に初飛行している。

ブルーインパルス:航空自衛隊のアクロ飛行チーム。正式部隊名は第4航空団飛行群第11飛行隊。現在はT-4練習機7機体制で、松島基地を本拠地としている。

ブルーインパルス浜松基地航空祭墜落事故:1982年11月14日、航空自衛隊浜松基地開設25周年祭に出演したブルーインパルスが起こした墜落事故。演技飛行途中の下向き空中開花で4番機の引き起こしが遅れ、基地北方500mの駐車場に墜落、炎上。この事故によりパイロット1名が死亡。店舗・住宅各1棟が焼け、近隣にいた住民や見物人など12名が重軽傷を負った。ブルーインパルスの演技飛行は1年8カ月にわたって停止した。

垂直降下180度ロールはT-2では禁じ手だった

Y:あの時は6機編隊が垂直降下からブレイクして6方向に機体が散る「下向き空中開花」という演技をしていて、4番機の引き起こしが遅れて近くの駐車場に突っ込んでしまったんですよね。鮮明に覚えています。

松浦:事故調査では編隊長が出すブレイクの指示が遅れたのが原因ということになっていましたけれど、それだけではなかったということでしょうか。

四戸:ブルーインパルスは、6機が編隊長の1番機を先頭に、2列目に2機、3列目に3機という三角形の編隊を組んで演技をします。下向き空中開花の演技では先頭の1番機がまっすぐロールせずに機体を引き起こします。2列めの2番機3番機、そして3列目左右の5番機と6番機が、それぞれ左右にほぼ60度と120度ロールして左右に分かれます。問題は3列目中央の4番機です。この機体だけは垂直降下から180度ロールしてから機体を引き起こすことになります。4番機は一番ロール角度が大きいんですよ。

Y:ロールは機体を右に傾けるか左に傾けるかですよね。ということは4番機はぐりっと機体の表裏をひっくり返してからエレベーターで機体を引き起こし、正常な状態では1番機と反対方向に飛んでいくわけですね。

四戸:さっきも言ったように垂直降下ではスポイレロンは効きません。主翼に揚力が発生していないから、そのままではロールできないんです。どうするかというと、まずちょっとだけエレベーターを引いて機体を引き起こして主翼に揚力を発生させ、それからスポイレロンを動かすんです。非常に微妙で難しい操縦です。しかも4番機はそれで180度ロールをしなくてはいけませんから、操縦にそれだけ時間がかかるんです。当然、引き起こしもそれだけ遅れます。

 アクロバット飛行は風にも左右されます。風向きによっては鋭敏なパイロットの勘も狂うんですよ。もしもちょっとスポイレロン操作に不都合な風向きで風が吹いていて、その状態で、編隊長からのブレイク指示が遅れたら……。

Y:T-2の機体には、そういう事情があったんですか。

四戸:事故の翌日、私は学校で久世紳二先生という、YS-11の設計に参加し、C-1輸送機では設計主任を務めた方の授業に出席しました。授業の冒頭で事故が話題になり、久世先生に「スポイレロンですね」と言ったら「お前、よく分かったな」と言われました。今までこの話をしたことはありませんが、もう時効でしょう。

旅客機にこそ向いていた技術

Y:しかし、航空機の設計者ならばその久世先生のように一発で分かることで、こうやって説明を聞いていれば、私のような素人でもなるほどと理解できる話じゃないですか。何でまた……。

四戸:さっきも言った通り、実際問題として、戦闘機も攻撃機も実戦で完全な垂直降下を行うことはまずありませんから、飛行機の設計としては間違っていません。いけなかったのは、スポイレロンを採用したT-2を、頻繁に垂直降下を行う曲技飛行に使うことです。

 ですから、この事故に関しては、そんな操縦特性を持つT-2練習機をなぜブルーインパルスに採用してしまったのかという、航空自衛隊の問題だと思います。三菱側の問題は、機体の性格をすべて把握している設計側としてそれを引き留められなかった、少なくとも垂直降下中のロールを演技からはずすよう強く進言できなかったところにある、と私は思います。その後、三菱は一切スポイレロンを使っていません。

松浦:なるほど、この悲劇が理由なのでしょうか。

四戸:ひとつ思い当たるとしたら、1985年8月12日に起きた日本航空123便の御巣鷹山への墜落事故も関係しているのかもしれません。伝聞ですが、航空機の主要エンジニアの方が複数名亡くなられたとか。スポイレロンを使わなくなったのも、経験豊かな技術者の喪失と関係しているのかも知れません。これは想像ですけれど、そう考えてしまうくらい日本の航空エンジニアは層が薄いんです。

 しかし、エルロンの代わりにスポイレロンを使い、主翼の後縁をすべてフラップにして高速性能と離着陸性能を両立させるという設計は、激しい機動を行わない旅客機では理に適っています。

松浦:なるほど、その通りですね。

四戸:本当はMRJでこそ、スポイレロンを採用してほしかったと、私は思います。

C-1:航空自衛隊の中型戦術輸送機。1970年に初飛行し、1976年から正式運用を開始した。

C-1輸送機(画像:防衛省ホームページより)
C-1輸送機(画像:防衛省ホームページより)
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