映画はセルロイドとともに生まれたということを、決して忘れてはいけない:映画監督ショーン・ベイカー

社会の片隅で生きる人々の日常を、どこか現実離れしたパステルカラーで彩りながらも、リアルに描き出す…。全編iPhoneで撮影した『タンジェリン』(2015)で世界中を驚愕させたショーン・ベイカーの最新作『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』は、またしても、眩いほどの映像美=ベイカー・レインボーに満ちている。今回もiPhoneで撮影されたのだろうか? 映画制作の背景を訊いた。
映画はセルロイドとともに生まれたということを、決して忘れてはいけない:映画監督ショーン・ベイカー
PHOTOGRAPHS BY YURI MANABE
ショーン・ベイカー|SEAN BAKER
1971年アメリカ・ニュージャージー州生まれ。ニューヨーク大学映画学科卒業後、『Four Letter Words(原題)』(00)でデビュー。監督第4作目『チワワは見ていた ポルノ女優と未亡人の秘密』(12)では、インディペンデント・スピリット賞のロバート・アルトマン賞を受賞。全編iPhoneで撮影した『タンジェリン』(15)はサンダンス映画祭でプレミア上映され、サンフランシスコ映画批評家協会賞の脚本賞受賞をはじめ、22受賞33ノミネートを果たした。

──構成、ストラクチャー、演技…。さまざまな面で触発される作品でした。『タンジェリン』でもみせたヴィヴィットなカラーは、あなたの特徴でもありますね。

『タンジェリン』の前の『チワワは見ていた』あたりから、こういうパレットを使うようになり、映画作家としての自分の特徴のひとつとなりました。今回の『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』の色彩設計は、子どものときに感じるワンダーな感じや、すべてが研ぎ澄まされているような感覚を表現しようと考えた結果できたパレットだったんです。もちろん、フロリダという場所も影響しています。

──本作は、「子どもの視点」で、「サブプライム以降の貧困」をテーマに描いているわけですが、どのあたりに、あなたの映画づくりとの接点があったのでしょうか。

映画というのは、逃避を与えることができる娯楽性のあるメディアだとぼくは思っています。よりタフな題材だったとしても、娯楽性をもちながらメッセージを伝えられたら、と思っているんです。今回はそのあたりが映像作家としての興味でした。

6歳のムーニーと母親のヘイリーは、定住する家を失い、“世界最大の夢の国”フロリダ・ディズニー・ワールドのすぐ外側にある安モーテルで、その日暮らしの生活を送っている。シングルマザーで職なしのヘイリーは、厳しい現実に苦しむものの、ムーニーから見た世界は、いつもキラキラと輝いていている。しかし、あるできごとがきっかけとなり、いつまでも続くと思っていたムーニーの夢のような日々に、現実が影を落としていく…。(C)2017 Florida Project 2016, LLC.

──貧困層の人たちと寄り添う視点は難しいと思います。自分はそうではないわけですし…。どのようにアプローチしたのでしょうか。

デリケートに、リスペクトをもってリサーチは進めなければいけないし、ある種、ジャーナリスティックな方法でアプローチをしました。多くの人に話を聞いて、取材をしました。彼らにも、映画をつくるにあたってどんな部分をカバーすべきかを問いかけました。ほとんどの人はオープンにそれに対して答えてくれましたね。

──前作の『タンジェリン』は、全編iPhoneで撮影された作品でした。今回も一部はiPhoneですが、35㎜フォーマットのカメラでも撮ったそうですね。

iPhoneは、ローライトでも結構いいんです。『タンジェリン』はiPhone6で撮りましたが、それから7、8と変わるたびに、実はローライトには弱くなっているんです。次のモデルは修正が効いていると嬉しいです(笑)。

35㎜は、主に屋外のシーンで使いました。今回は、「映画をつくっています」といった雰囲気を現場にもち込みたくなかったんです。こういう題材の映画を撮っているのに、大がかりな装置を使って撮影するのだと、役者も違和感を感じるのではないかと思ったからです。ぼく自身、そうした撮影はやりたくありませんでした。

ただ、照明を使わないと35㎜は使えません。なので、たとえばプールのシーンやブリトースタンドのシーン、クラブに行くときの路上のシーンといった屋外のシーンで、アレクサという35㎜フォーマットのデジタルシネマカメラを使いました。

今回はデジタルで撮ったものをフィルムに変換しているんです。最後のiPhoneで撮ったフッテージも、フィルムに変換しています。せっかくデジタルで撮ったのに、なぜフィルム変換するのかですか? それはもう、ぼくのこだわりとしかいえません。

──いまのお話を聞くと、全編iPhoneで撮ったほうがラクだったのでは?

フィルムにこだわったのは、質感を求めたからです。デジタルは、どんなにがんばってもデジタル感が残りますからね。光化学の工程から生まれる有機的な奥行きや豊かな質感というのは、デジタルではつくり出すことができないんです。この作品は、そんなフィルムがふさわしいと思いました。

観る人は大人の観客が多いと思うけど、「子どもだったころのひと夏」を思い出してほしいと思いました。ディズニー・ワールドに来た人が友達や家族に送る絵葉書のような、そういう質感を求めたんです。そのためには、どうしてもフィルムが必要でした。

──前作はiPhoneで全編撮影していましたし、周囲からはデジタル信奉者だと誤解されているのでは? 映画監督としては、デジタル技術に関しては肯定的なのでしょうか?

ぼくはすべてのメディアのファンでもあるので、企画にぴったりくるものを選べばいいと思っています。前作は超低予算だったので、どこをカットできるのかと考えて、iPhoneでの撮影に行き着きました。映画監督にとって大切なのは、作品を完成されることなんです。そのためには、いろいろなツールを使えばいいと思います。

実際、いろいろなツールがデモクラタイズされていますよね。映画はさまざまなアートのなかで、最もお金がかかるものだと思いますし、映画業界は、すごく業界に入るのが難しい。だから、新しいテクノロジーにはものすごく助けられているんです。

それと同時に、ぼくはフィルム、つまりはセルロイドを守りたいとも思っています。今回はデジタルかフィルムかを選べる立場にあったので、応援したいという気持ちもあり、あえてフィルムを選びました。

新しくて安いメディアが出てきたからといって、セルロイドを捨て去ってはいけません。実際のところ制作費なんて、ある程度のレベルに達すれば、フィルムでもデジタルでも変わらなくなってくるんです。だからぼくは両極端、つまりiPhoneと、35㎜フォーマットのデジタルシネマカメラを今回選びました。

もちろんテクノロジーの進化は、おおむね映画作家を助けてくれるものです。たとえばこちら側から撮り、今度は逆側から撮ろうと思ったら、エキストラをみんな動かさなければなりませんでした。でもデジタルなら、簡単にできてしてしまう。お金も時間も節約できるわけですから、とてもいい進化です。

それにぼくは編集もするので、ノンリニア編集をオンラインでできるようになったのは、とても大きな進歩でした。あと、音楽やキャストをSNSで見つけることだってできます。新しいツールを使いたいのであれば、なんでも使えばいいと思います。でも、新しいものがいいからといって、古いものを捨ててはいけません。

映画はセルロイドとともに生まれたということを、決して忘れてはいけないと思います。そういう意味では、クリストファー・ノーランとまったく同じ意見です。

フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法

TEXT BY ATSUKO TATSUTA

PHOTOGRAPHS BY YURI MANABE