122 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・[sage ] 投稿日:2001/02/22(木) 04:02
祖父は高野山で小坊主として幼少時代を過ごした、静かで穏やかな人だった。私は
孫の中でも、一緒に住んでいたこともあって良く可愛がってもらっていた。弟は
人見知りが激しく、私と違って登校拒否を起こしたり、病気がちで、祖父にも私ほど
懐いていなかったと思う。
その祖父が亡くなった後、私は順調にキャリアにも家庭にも恵まれ、幸福な毎日を
おくっていたのだが、弟は暫く暗中模索の時期を過ごしていた。そして暫く経って
本当にやりたいことを見つけ、その道で成功し、いい奥さんを貰って子供にも恵まれて
今は幸福に暮らしている。
そんな弟と最近話していたらふと祖父の話になった。「おじいちゃん、毎日来てくれてたよ」
と言うのだ。どういう意味、と問い返すと、弟が自分の将来について色々迷っていた頃、
枕もとに毎晩の様に祖父が正座しているのだという。何を言うわけでもないのだが、じっと
弟の事を見守っては、小さく頷くだけだったそうだ。
祖父は生前も何も言わなかったが、きっと弟の気持ちがわかっていたんだろう。そして心配して
助けてくれたのだろう。私は祖父に見守って貰い、自分の道を見つけることが出来た弟のことが
羨ましく、誇らしくて堪らない。
でもその一方で、ああ、私の所には一度も来てもらえなかったなぁ、と恨めしく思う気持ちもある。
祖父の姿だったら怖くない。夢でいいから、一度来て欲しい。会いたい。
祖父は高野山で小坊主として幼少時代を過ごした、静かで穏やかな人だった。私は
孫の中でも、一緒に住んでいたこともあって良く可愛がってもらっていた。弟は
人見知りが激しく、私と違って登校拒否を起こしたり、病気がちで、祖父にも私ほど
懐いていなかったと思う。
その祖父が亡くなった後、私は順調にキャリアにも家庭にも恵まれ、幸福な毎日を
おくっていたのだが、弟は暫く暗中模索の時期を過ごしていた。そして暫く経って
本当にやりたいことを見つけ、その道で成功し、いい奥さんを貰って子供にも恵まれて
今は幸福に暮らしている。
そんな弟と最近話していたらふと祖父の話になった。「おじいちゃん、毎日来てくれてたよ」
と言うのだ。どういう意味、と問い返すと、弟が自分の将来について色々迷っていた頃、
枕もとに毎晩の様に祖父が正座しているのだという。何を言うわけでもないのだが、じっと
弟の事を見守っては、小さく頷くだけだったそうだ。
祖父は生前も何も言わなかったが、きっと弟の気持ちがわかっていたんだろう。そして心配して
助けてくれたのだろう。私は祖父に見守って貰い、自分の道を見つけることが出来た弟のことが
羨ましく、誇らしくて堪らない。
でもその一方で、ああ、私の所には一度も来てもらえなかったなぁ、と恨めしく思う気持ちもある。
祖父の姿だったら怖くない。夢でいいから、一度来て欲しい。会いたい。
幼少期から柔剣道を習い、地元の武闘派としてかなりヤンチャしてたそうな。
仏教大学を卒業後、知恩院で修業ののち香川県の某寺にて住職に納まり妻帯するも赤紙がきてシナ事変に従軍。
幸い生還するも、またぞろ太平洋戦争にて南方に引っ張りだされ、今度は生きて祖国の地を踏むことはないだろうと思い定めた挙句に還俗。
・・・再び生還。
復員後は何らかのコネにて、大阪市役所勤務で地方公務員として生涯を全うする。
余談としては、坊主を廃業したにも関わらず昭和30年代から新興宗教の金光教信者となっていた。
ほぼアル中。
幼少期の自分を膝の上に乗せて、戦時中の思い出話に花を咲かせながらウイスキーで晩酌するのが唯一の楽しみだったみたいだ・・・今でも懐かしく思い出せてならない昭和47年生まれの俺。