文春オンライン

「(身体に)悪いのは分かっている、でもやめられない」という普遍的な問題

『世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事』を読んで

2018/05/17
note

 酒を飲むと脳が萎縮し、昔は一理あるとされていた酒の効用も現在では完全に否定されている、という話を酔っ払った医師と宴会で語り合っているわけです。

 私も持病がありますので、一時期は毎日浴びるように飲んでいたビールや、出張のとき朝からあおっていたウオツカもほとんど飲まなくなりました。外で飲むのは月2回ぐらいでしょうか。ドクターストップというわけではありません。ただまあ、いまさら酒をやめても遅いのかもしれないけど、不慮かつ無駄に死にたくありませんからね。

©iStock.com

「なんで飲んでいたんだっけ?」

 しかしながら、飲み親しんだ酒を控える、ほとんどやめてしまうというのは辛く苦しいわけであります。まあ、先週ゼロだったから今週はいいだろうという風に、欲望が私の理性を試してくるわけなんですよ。あるいは、酔い加減を楽しめない人生なんて味気ない。さらには、ご一緒する方が気持ちよく飲んでいる前で私はなぜお茶を飲んでいるのか。しまいには、気のおけない友人と割り勘で飯屋に入って損ではないのか。

ADVERTISEMENT

 振り返ると、酒を飲んでいたのは何故だったのでしょう。コマーシャルで憧れる人が出演してかっこよく酒を飲んでいたから? 辛い現実を少しでも忘れたいから? 惰性? まあさまざまあるんでしょうけれども、酒を控えるのは意外に苦しい反面、飲まないでいると「なんで飲んでいたんだっけ?」と思い返すわけです。そして、その理由が分からない。

 久しぶりに飲むビールは苦い。あれっ、これ、私ってば美味しいと思って飲んでなかったっけ。まあ、飲み直していくと「あ、やっぱりビール美味しいでござる」となるわけですが、ウオツカはまったく美味しくない。なんで一晩一本とか空けてたの。

 このように「我慢する楽しさ」は別にマゾいからやっとるわけではなく、「あ、欲に流されてこのまま毎日飲んでたら死ぬな」って思うからであります。