麻布十番。
こんなにも都会的で東京っぽい響きをもった地名がほかにあるだろうか。群馬で過ごした幼少のころから憧れた地名のひとつだ。ところで麻布十番の地名は何を意味するのだろうか?
「麻布」は、当時周辺に住んでいた農民が、麻の布をつくっていたのが由来だとか。古文書では、阿佐布・浅生・浅府・麻生・阿佐婦など、さまざまな表記があり、「麻布」で定着しはじめたのは明暦元年ごろらしい。
「十番」は、現在も麻布十番を流れる「古川」の改修工事が江戸時代にあり、「10番目の工夫(こうふ)を出した地域」だったからとか、「10番目の工区」だったからとか、諸説ある。しかしこの改修工事自体、5代将軍・徳川綱吉の別邸建設工事ともいわれ定かではない。
そして麻布で忘れてはならないのが、都内では浅草寺に次ぐ古刹「善福寺」だ。住職の姓は麻布、山号も麻布山。麻布十番の町は善福寺の門前町として栄え、現在のような商業地へとつながっている。浅草と同じくらい歴史ある土地柄だなんて、ちょっと驚き。
世界各国の大使館に囲まれた、閑静なスリバチの町
今更であるが、自分は東京スリバチ学会の会長として、東京都心の凸凹地形に着目し、町の観察と記録を続けている変人だ。都心に点在するスリバチ状の谷間や窪地を勝手に「スリバチ」と呼んでおり、学術的な呼称ではない。
今回紹介する麻布十番周辺も、丘に囲まれたスリバチ状の谷間の町。古川(上流部では「渋谷川」と名を変える)沿いの低地に広がる「山の手」の下町だ。まずは麻布十番商店街を中心に、麻布十番周辺の地形を俯瞰(ふかん)してみよう。
麻布十番をはじめとした東京都心部の「山の手」と呼ばれるエリアは、台地と谷間が絡み合った複雑な凸凹地形の上にある。都心部に坂道が多いのはそのためだが、戸越銀座や赤羽の記事でも紹介した通り、坂を上った台地は閑静な住宅地、坂を下りた谷間や低地はにぎやかな商店街となっている場所が多く、町の雰囲気がガラッと変わる。性格の異なる町が隣り合い、気分に応じて坂上・坂下の町を楽しめる。
麻布十番周辺も「麻布十番商店街」から外れると、暗闇坂や鳥居坂、仙台坂、大黒坂といった坂道マニアにはたまらない、趣ある坂道が町を取り囲んでいる。そして、坂を上ると都内でも屈指の住宅地が広がる。瀟洒(しょうしゃ)なマンションや私立学校などが閑静で奥ゆかしい町並みをつくり出している。
そんな都会的な豊かさと、山の手台地特有の都市構成を味わえる代表的な町なのだ。
各国の大使館が点在しているのも、この界隈の特徴だ。例えば仙台坂付近に大韓民国とアルゼンチン、古川を挟んで対岸にあたる日向坂周辺にはオーストラリアやイタリア、暗闇坂上にはオーストリア、そして鳥居坂上にはシンガポール。麻布十番に世界各国の大使館が多いわけは、もともとこのエリアに大名屋敷や武家屋敷があったからだ。明治維新の際、広大な武家地だった土地が、近代化により都市施設の用地として「置換」されたのだ。法政大学江戸東京研究センター長の陣内秀信氏によると、
東京が近代国家の首都となりえたのも(中略)多くの施設や建物を受け入れるだけの格好の器として、大名屋敷の大きな敷地がそっくりそのまま使えたからにほかならない。(中略)主人のいなくなった武家地の個々の敷地の中に近代の変化、新しい要素を吸収することによって、都市の基本的な枠組をこわさずに、連続的かつ柔軟なやり方で都市の近代化がなしとげられたのである。
『東京の空間人類学』(ちくま学芸文庫)より引用
ということらしい。だから山の手台地の閑静な町並みは、江戸時代の武家屋敷の面影を継承してくれているともいえる。
「住む場所」としてはイメージがしづらい方も多いとは思うが、煩わしくない程度に都会的な人との触れ合いがある生活を送れるし、これから紹介するようにとても奥深い場所なので、ちょっと近所を寄り道しながら散歩をするだけでも、旅をしたような気分に浸れる楽しみがある町だと思う。
仙台からやってきた友人たちと一緒に、麻布十番界隈を歩く
それでは麻布十番の町をスリバチ学会的視点で歩いてみよう。今回の同行者は、「仙台藩伊達家の江戸屋敷跡を巡りたい!」と東京へやってきた「宮城スリバチ学会」に所属する3名だ。
筆者は東日本大震災の後昨年までの5年間、大学時代を過ごした第二の故郷・仙台に拠点を移し、復興支援のお手伝いをしながら、仕事の合間に地形に着目した町歩きのイベントを仕掛けていた。東京へと戻る際に、地元仙台の方々が活動を継続させるために自主的に立ち上げたプラットホームが宮城スリバチ学会だ。
さて、仙台出身、あるいは仙台に住んだことのある人でも、東京のどこに仙台藩の屋敷があったかを知る人は少ないと思う。
先に答えを言っちゃうと、外桜田上屋敷は今の日比谷公園、芝口上屋敷(浜屋敷)は汐留、そして品川下屋敷は品川区東大井、麻布下屋敷は港区南麻布にあった。下屋敷があった二つの土地には、「仙台坂」の名が残されている。
せっかくなので麻布界隈の町の面白さを歩いて体感してもらおうと、今回は東京メトロ日比谷線広尾駅で待ち合わせをし、広尾橋の交差点から南麻布の仙台藩屋敷跡を目指すルートを組み立てた。
スリバチ地形の周辺には「表と裏」「光と影」の魅力がある
交差点を高級外車やスポーツカーが通り過ぎ、外国人がオープンカフェでくつろぐ広尾の町を歩きながら、まずは有栖川宮記念公園へと案内する。大きな池を囲む緑豊かな池泉回遊式の日本庭園は、手入れの行き届いた木々が都会の公園らしい。池のそばでは外国人の子どもたちが走り回り、池で釣りを楽しむ人も何人か見られる。
有栖川宮記念公園のある土地はもともと、宮城県のおとなり岩手県・盛岡南部藩の下屋敷だった。都心にありながら起伏ある地形と、緑豊かな自然が保全された、この界隈ではオアシスのような存在だ。オアシスと呼ぶのも決して誇張ではなく、スリバチ状のこの土地ではかつて湧水があり、公園の池も元々は清水を溜めたものであった。流れる清流を眺めながら、源流のある谷の奥・スリバチの最深部へと遡(さかのぼ)る。まるで山奥のハイキング気分である。
「こういう谷間の土地が、会長のいうスリバチ地形なんですね」
メンバーの一人は、スリバチ初体験だった。まさに百聞は一見に如かず、東京のスリバチ地形の面白さは現地で体感するのが一番だ。そして、麻布十番周辺は、スリバチの面白さを体感するにはぴったりなエリアなのだ。
「せっかくなので、仙台屋敷跡へ行く前に、秘蔵のスリバチを案内するよ」
有栖川宮記念公園の地形に喜んでくれた3人を、薬園坂近くの路地裏にあるとっておきのスリバチへと案内することにした。急な坂道が向かい合い、スリバチ地形が一目瞭然だ。絶え間ないシャッター音が谷間にこだました。スリバチを喜んでもらえると何だか自分もうれしくなる。
薬園坂の近くにある釣り堀「衆楽園」にも立ち寄った。谷底に隠れ家のようにひっそりとたたずむ池の存在に3人は驚いた様子だった。
静かな水面を眺めていると、一人の男性参加者がこの池の魅力に気付いてくれた。
「あっ! ここは中沢新一さんの『アースダイバー*3』にも取り上げられた池ですね。オシャレな麻布のイメージからは程遠い独特な雰囲気の場所だけど、麻布の表と裏、あるいは光と影を感じます。麻布って奥が深い町なんですね」
そう、東京の都心には台地と谷間の世界が並列に共存するが、多くの場合、どちらか一方の町にしか関心が払われない、あるいは気付いてもらえない。「もうひとつの世界」は置き去りにされがちなのだ。
でもそれって何だかもったいないし、別の世界を知ることでそれぞれの良さも理解できることがあると思う。
地形で見る仙台藩下屋敷の「痕跡」
「それではお待ちかね、仙台藩下屋敷へと馳せ参じよう!」
「おーっ!」と声が上がると思ったら、みんな無言だった。
それもそのはず、南麻布にある仙台藩の下屋敷跡は、知る人ぞ知る都内でも屈指の高級住宅地。筆者はかつて、仕事の打ち合わせで、ある一軒のお屋敷に招かれたことがあるが、映画のワンシーンのように、メイドさんが忙しく働いていることにびっくりした。そして打ち合わせの席に、メイドさんが運んできてくれたメロンが、なんとまあ夕張メロンで、さらに4分の1カットだったことに、マジでのけぞった。
残念ながら仙台藩下屋敷の遺構は何も残っていない。しかし住宅地を囲む道路がかつての敷地割の「痕跡」であることに3人は気が付いてくれた。
閑静な住宅地は仙台坂から東に向かって緩やかな斜面となっており、崖状に落ち込む。崖下の建物の4階部分に相当する高さなので、10m程度の比高があることになる。明治初期の地図を調べてみたが、当時からこの土地は崖で隔てられていたようで、崖下には池も存在していたことが古地図から見て取れる。有栖川宮記念公園と同じく、元々は湧水を溜めた池だったのかもしれない。
明治時代に測量された地図。画像中央下が仙台藩下屋敷のあった場所(赤点線)で、崖下に池の存在が確認できる(青点線)
崖下を含む広い範囲が下屋敷の敷地だったのだから、大名庭園があったのも崖下の方だろう。古地図に描かれた池は池泉回遊式の大名庭園の名残かもと妄想は膨らむ。崖下は現在は住宅地となっているが、下りる階段は見つからなかった。
「アヴァンティって、実際にはねえんだよね?」
参加者が唐突に問いかけてきた。その懐かしい響きに、自分も遠い記憶を手繰り寄せた。
「アヴァンティ」とは、1992年〜2013年に放送されていたラジオ番組「サントリー・サタデー・ウェイティング・バー」の舞台となった、仙台坂上にある架空のバーの名だ。夜な夜な業界関係者や芸能人が集う都会の隠れ家、という設定だった。ラジオ番組の設定なので、もちろん実在はしないといわれているのだが、ちょっと付け足すと、仙台坂上にはバーは存在し得ない。
なぜなら仙台坂上のような第一種中高層住居専用地域には、都市計画法によりバーなどの飲食店舗関連の出店が規制されているからだ。言い方を変えると住宅地としての静かな環境が法で守られているわけで、バーなどのお店を構えられるのは坂の下、麻布十番商店街の方なのだ。
東京の町は、あちこちから水が湧いている
懐かしい気分に浸りながら、バーがありそうな麻布十番方面へと仙台坂下の交差点まで下りると、参加者の女性がある店に気付いた。
「あっ! あそこの青い旗に『地下水コーヒー』って書いてありますよ!」
「よくぞ気付きました!カリーズというカフェで、井戸水を沸かしてコーヒーを入れてくれるお店なんだ。ケーキもあるよ!」
「わーい!」
仙台藩の屋敷地は盛り上がらなかったのに、花より団子である。
カフェ・カリーズは明るく開放的な店内で、床の一部がガラス張りになっており、地下の井戸が見える。
「地下の井戸は伊達屋敷にあったのを継承しているものです。浅井戸で、今でも地下水が豊富なんです」
4人で長々と井戸を覗きこんでいたら、地下水や麻布十番の歴史に詳しい店員さんが教えてくれた。都内の坂下は概して地下水位が浅く、井戸水を得るのが比較的容易だ。本郷や谷中でも現役の井戸を数多く見つけることができる。地下水に恵まれているのは坂下の町の豊かさのひとつだ。
ふと、善福寺の「柳の井戸」がこの近くにあることを思い出し、3人を連れてゆくことにした。表の参道からは、善福寺の立派な山門が望める。山門へと近付く3人が、柳の井戸を通り過ぎそうになったので、指をさして教えてあげた。
「おー!こんなところで水が湧き出てっぺ~!!」
「こんな都会なのに不思議ですね」
みんな感激してくれて自分も誇らしくなってきた。東京は町のあちらこちらで水が湧き出る不思議な町なのだ。そして水が湧き出るのはスリバチの底である場合が多い。
「麻布七不思議といって、麻布に古くから伝わる不思議話があるんだ。この柳の井戸もそのひとつ。ほら、善福寺の境内に見える、あの大きな銀杏の木も『逆さ銀杏』と呼ばれる七不思議のひとつだよ。このほかにも、がま池や一本松とかがそうだったかな」
「麻布ってオシャレな町のイメージだけど、そんな謎めいたところもあるんですね。そんな伝承が残っているのって、やはり麻布の歴史が古い証拠ですよね。新興住宅地ではあまり聞かないですもの」
実は麻布十番の不思議話は七つにとどまらず、30以上もの不思議伝説が残されているといわれている。やはり麻布は光と影が寄り添う、長い長い歴史に育まれた町なのかもしれない。
にぎわう商店街と静かな坂の上。正反対の魅力がスリバチにはある
陽が傾きかけ、麻布十番の町はますます活気を帯びてきた。まるでお祭りのようなにぎわいだ。自分たち4人も麻布十番商店街でブラブラ歩きを楽しむことにした。大型犬を連れて歩くオシャレなおじさん、道端のカフェで議論を交わす業界人っぽい人たち、八百屋さんで野菜を覗きこむ外国人女性、図面を脇に抱え足早に通り過ぎるそれっぽい人、買い物のキャリーバッグを引く年配の女の人。職業も年齢も国籍も、雑多な人たちが町を行き交う。
町の魅力を奏でるものって、建物だったり街路樹だったりするかもしれないけど、やはり「人」なんだなと麻布十番に来るたびに思う。その場所ならではの「空気」をつくるのって、場に集う人、あるいは場に呼び寄せられる人たちなのだ。
麻布十番商店街には、蕎麦の「総本家 更科堀井」をはじめ、焼き鳥の「あべちゃん」、『およげ!たいやきくん』のモデルともいわれる鯛焼きの「浪花家総本店」、洋食の「グリル満天星」、そして豆菓子の老舗「豆源本店」など、話題の店にこと欠かない。しかし、今回のレポートからは割愛しよう。自分はあくまでも地形マニアだし、おまけに味音痴なので。仙台から来た3人は興味津々でお店を覗き込み、一軒一軒に立ち寄りたそうで申し訳なかったが、地形を感じてもらうために、にぎわう商店街を後にして高台へ至る暗闇坂へと向かった。
暗闇坂の名は、鬱蒼(うっそう)と茂る木々が光を遮り、昼間でも薄暗かったことに由来するといわれている。東京都内では富士見坂と同様に多い坂の名前であるが、台地と低地をつなぐ坂道には木々が茂る場所が多かった証しでもある。
息を切らせて長い坂道を4人で上った。坂を上りきると麻布十番商店街の喧騒が嘘に思えるほど静寂につつまれた住宅地が待っていた。動と静、あるいは明と暗、対照的な別世界が隣り合っている事実は歩いてみるとよく分かる。夜の帳(とばり)に包まれはじめた住宅地はどこまでも続いているようで、暗闇が少々怖かった。麻布七不思議の伝説も、こうした町の奥深さ、別世界が隣り合う互いの好奇心が育んだものなのかもしれないなと思った。
「坂を上った丘の上は、こんなにも静かな住宅地なんですね」
「坂を上り切った一番高い場所にあるのが麻布七不思議のひとつの一本松だよ」
古来、植え継がれてきた一本松にまつわる伝説であるが、高台に立つ木は、周囲から目立ち、地域のランドマークになったのだろう。ついでに言うと、地名に「木」が付く場所は、おおよそが高台の場所となっている。例えば、六本木、代々木、羽根木など。
静かな丘の上は、あやしい大人4人が長居する場所ではなさそうだ。
「そろそろ坂下の町へと戻ろう」
一本松のある丘の頂から大黒坂を下り、麻布十番商店街へ戻ることにした。坂の途中で東京タワーが遠くの空に現れ、さらに下りてゆくと光に満ちた麻布十番の町が自分たちを迎えてくれた。3人がはしゃいでいる。やはり東京タワーは東京のアイドルなのだ。
パティオ十番と呼ばれるヨーロッパの広場のような一角を通り過ぎ、「おもかげ」という名の昭和レトロな洋食屋さんで夕食をとることにした。
「おもかげ」は、東京スリバチ学会を立ち上げた直後のフィールドワークで立ち寄った、自分にとっては思い出深い店。今から15年も昔のことだが、以前のたたずまいと変わらないところがうれしい。地元で愛され続けているお店が残っているのは、麻布十番の魅力の一つだ。
お店のドアを開けると、店内の雰囲気も昔のままだった。壁には芸能人のサイン色紙がたくさん張られている。お店の奥にあったテーブルゲームは使われていないようだった。
「おもかげ」のメニューには、ナポリタンやオムライスなど、洋食の定番が並んでいた。自分はポークジンジャーとライスを頼み、あとはナポリタンの大盛りやオムライスなど、それぞれが好きなものを注文した。調理の音がお店に響き、食欲をそそった。
◆ ◆ ◆
食事を終え、4人でパティオ十番のステップに腰を掛け、ぼんやりと時を過ごした。
たたずめる場が用意され、目的がなくともブラブラ歩きが楽しめる町。
歴史を継承しながらも、新しいものを取り入れている町。
表と裏、あるいは光と影が同居し、ちょっとだけ謎めいた奥行き感のある町。
そして、さまざまな人を受け入れ、文化や価値観が錯綜する町。
そんな東京らしさがあり、町にとって大切なエッセンスが凝縮されている麻布十番の町を、ぜひ歩いて味わってもらいたかったのだが、仙台からやってきた3人は楽しんでくれただろうか。
明日は仙台藩の中屋敷跡と上屋敷跡を案内しようと思う。仙台からやってきた大切な友人たちの期待にもちゃんと応えよう。そして町歩きを通じて、かけがえのない友人が仙台の地にもできたことに感謝しよう。
パティオ十番は自分たちが浮かない程度ににぎわっていた。店からあふれ出たざわめきが、広場にもこだまする。
「会長が仙台を離れて、みんな寂しがっていますよ」
一人がぽつりと言う。見上げた夜空はシリウスすら見つけることができなかったが、この空は東北にも確かにつながっていると思った。
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著者:皆川典久(東京スリバチ学会 会長)
2003年に東京スリバチ学会を設立し、凹凸地形に着目したフィールドワークを開催、観察と記録を続けている。2012年に『凹凸を楽しむ東京「スリバチ」地形散歩』(洋泉社)を上梓、翌年には続編を刊行。地形マニアとして、タモリ倶楽部やブラタモリなどのTV番組に出演。町の魅力を再発見する手法が評価され2014年には東京スリバチ学会としてグッドデザイン賞を受賞した。2017年12月には『凹凸を楽しむ東京「スリバチ」地形散歩・多摩武蔵野編』(洋泉社)を共著で刊行。合言葉は「下を向いて歩こう」。
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編集:はてな編集部