きょうご紹介したいのは、『春は曙光、夏は短夜 - 季節のうつろう言葉たち』(毎日新聞・校閲グループ 岩佐義樹、ワニブックス)。著者は、毎日新聞東京本社校閲担当部長。1987年に、毎日新聞社に校閲記者として入社したという人物です。

私は、毎日新聞で「週刊漢字 読めますか?」という漢字クイズを9年間連載しており、その時々にふさわしい漢字を選んできました。そして各語について、毎日新聞校閲グループが運営するインターネットサイト「毎日ことば」で、三つの選択肢から読みを選ぶクイズを出題してきました。 (「はじめに」より)

その連載で出題しながら、常々思っていたことがあるのだそうです。それは、日本語には、季節に関わる言葉がなんと豊かなのだろうということ。しかも、ほとんどが知られていないという事実が気にかかっていたというのです。

例えば、月について調べていて「月は世々(よよ)の形見」ということわざを知りました。今はほとんど使われていない言葉ですが、月ははるか昔から現代に受け継がれた形見のようなものという意味が分かると、千年前の日本人からお月さまをめでる気持ちは遺産のように代々受け渡されている、とうなずけます。この感性とともに、素晴らしい言葉たちもまた、未来に引き継がなければなりません。 逆に、不適切な言葉遣いが伝承されるのは好ましくありません。季節にかかわる言葉でつい使ってしまいがちな誤りも、本書にまとめました。 (「はじめに」より)

きょうから6月ということで、「6月の言葉」「6月の気をつけたい言葉」から、いくつかを抜き出してみたいと思います。

夏衣(なつごろも)

「夏衣」とは、おもに夏の和服を指す言葉。「夏衣」も「夏服」も、ともに夏の季語になっているのだといいます。ただし『角川俳句大歳時記』によると、おもに夏衣は和服、夏服は洋服を指し、句作では区別したほうがよいとされているのだとか。また、夏衣は「なつぎぬ」とも読むそうです。

夏と衣といえば、「春過ぎて夏来たるらし白たへの衣干したり天の香具山」という『万葉集』の持統天皇の歌を連想される方も多いでしょう。夏衣は「うすし」などにかかる枕ことばでもあるのです。(116ページより)

6月1日は、一般的に「衣替え」のタイミング。俳句では衣替えのことを「更衣」と書き、「ころもがえ」と読ませるのが決まりだそうです。「『ころもがえ』は現代俳句でも『更衣』と書き、『衣更』と書いてはならない」と『大歳時記』(集英社)にあるのだといいます。

なお衣替えは秋にも行われますが、「更衣」は夏のみの季語。秋にも「後(のち)の更衣」という季語があるものの、こちらはあまり知られていません。(116ページより)

例:衣替えの季節。たまには和服の夏衣で涼やかに装ってはいかがでしょう。(117ページより)

帷子(かたびら)

「帷子」は裏地をつけない衣服であることから「片ひら」を意味し、風通しがよく、夏の季語となっているもの。和服に縁のない人でも「浴衣」の語源と聞けば、なじみ深く感じられるかもしれません。ちなみに浴衣は「湯帷子」を縮めた語。湯帷子は入浴時、あるいは入浴後に着る帷子のことをいい、江戸時代には入浴に関係なく「ユカタ」というようになったのだといいます(講談社『暮らしのことば語源辞典』)。

ところで、帷子には部屋を仕切る薄い垂れ布という意味もあります。カーテンのようなものですね。主に「とばり」として用いられます。とばりは「夜のとばりが降りる」という比喩でよく使われますが、漢字では「帳」「帷」の表記があります。 また経帷子(きょうかたびら)の略語でもあり、葬式で死者に着せるあの白い着物も「帷子」です。(118ページより)

それだけでなく、複数の辞書では「帷子」の意味のひとつとして「夏用の麻の小袖。薩摩上布・越後上布などが用いられた」と説明されているそうです。ところがいまは、「薩摩上布」とは言わなくなっているのだとか。

なぜなら江戸時代、薩摩は琉球(沖縄)を支配しており、税として宮古島、八重島でつくった上布を薩摩上布として売っていたから。本来であれば「宮古上布」「八重島上布」など、製造した土地の地名をつけるべきなのに、不思議な話ではあります。(118ページより)

例:帷子を真四角にぞきりたりける 小林一茶(119ページより)

雨催い(あめもよい)

著者によれば、「雨模様」の元の形とされているのが「雨催い」。「あまもよい」とも読むそうですが、この「もよい」は「名刺の下につけて、そうなる気配が濃いさまを表す。きざし」(大辞林)という意味。つまり雨催いも、「雨が降りそうだけれど、まだ降ってはいない天気」を指すということです。

ところが「雨模様」となると、本来の意味と違って、雨が降っている様子と解釈している人が多いようです。2010年度の文化庁「国語に関する世論調査」によれば、本来の意味とされる「雨が降りそうな様子」を選んだ人が43.3%。「小雨が降ったりやんだりしている様子」を選んだ人が47.5%。その差4.2ポイントと、小差ながら、本来の意味とは違う解釈が上回る結果となりました。(120ページより)

これは「模様」という言葉に、装飾などはっきり目に見えるものを表すイメージがあるからかもしれないと著者。しかしその一方、模様には「雨になる模様です」のように、予測される状態を表す言い方も。「雨模様」も、本来はそういう意味合いで使われていたのだといいます。(120ページより)

例:雨催の黒雲が垂れこめているので、外出を控えた。(121ページより)

額の花(がくのはな)

梅雨時の花の代表といえば、なにを差し置いてもアジサイではないでしょうか。よく目にする大ぶりなものはホンアジサイとも呼ばれ、それは日本にもとからあった「額の花」、ガクアジサイを改良したものなのだそうです。つまり、普通のアジサイのほうがあとからできたということ。

4弁の花びらに見えるのは萼(がく)から成る装飾花といい、真ん中にある多数の小さな花を囲っています。その装飾花が本当の花を囲っているのを額縁に見立てて「額アジサイ」というようになったのでしょう。装飾花は初め白ですが、だんだんと虹などの色が加わります。そういえばアジサイも色が変わるので「七変化(しちへんげ)」という別名があります。(126ページより)

アジサイは華やかですが、その一方、控えめなガクアジサイの美しさも見逃せません。アジサイの花言葉が「移り気」とされるのに対し、ガクアジサイは「謙虚」とされるそうですが、なんだか納得できるものがあります。(126ページより)

例:アジサイの名所に行くと、アジサイの脇でひっそり咲く額の花の方が目に残りました。(127ページより)

夜を籠めて(よをこめて)

「夜を籠めて」という言葉は「夜を閉じこめる」、つまり「夜が明けない」ことを表したのだろうと著者は推測しています。しかし誤って「一晩中」の意味で使われることもあるのだといいます。

百人一首に清少納言の「夜をこめて鳥のそら音ははかるともよに逢坂の関はゆるさじ」という歌があります。まだ夜中で朝には間があるのに、鶏の鳴きまねをして関を通ろうとしても、男女が夜会うというこの逢坂の席はあなたの通行を許しませんよーーという意味です。 下敷きにあるのは、中国の故事です。そのむかし、中国時代の名君、孟嘗君(もうしょうくん)が対立する国から脱出し、函谷関(かんこくかん)にたどり着きました。函谷関とは「箱根の山は天下の険 函谷関もものならず」と唱歌。「箱根八里」で引き合いに出される有名な関所です。鶏が鳴くまでは開かないこの函谷関の門を、孟嘗君の部下が鶏の鳴き声のまねをして通り抜けたということです。(132ページより)

函谷関ならいざ知らず、日本の逢坂の関では、鳥の鳴きまねなどにだまされませんよーーということは、つまりは男女の関係にはなりませんと断っているということ。才気に満ちた、いかにも清少納言らしい歌だといえるでしょう。(132ページより)

例:夜をこめて竹の編み戸に立つ霧の晴ればやがてや明けんとすらん 西行(133ページより)

6月の気をつけたい言葉「青田買い」

「青田買い」「青田刈り」の正しい使い方を知っている方は、意外に少ないかもしれません。読んで字のごとく、「青田」とは稲が青々と育った田のこと。そして「青田買い」は、収穫期が来る前にその田の稲を買うこと。そこから転じて、企業が学生の採用を早々と内定することを指すようになったわけです。

一方の「青田刈り」は、まだ穂の出ないうちに刈り取ること。「青田買い」と混同して、学生の採用についても使われるようになりました。しかし、ともに比喩表現だとしても、学生を「刈り取る」のではなく「買う」ほうが意味合いとして近いは近いはず。

就職活動の状況が「売り手市場」「買い手市場」などといわれることからも、そのことが推測できるわけです。




月ごとに、その時期にまつわる言葉が集められた構成になっているので、どこからでも読むことが可能。しかも流行などに左右されることのない普遍的な内容ですから、いつまでも長く読み続けることができます。本書を通じ、改めて言葉のすばらしさを実感したいところです。


Photo: 印南敦史