DIGITAL LOVE & PEACEな未来へ:編集長・松島倫明から読者の皆さんへのメッセージ

『WIRED』日本版の編集長に6月1日、松島倫明が就任した。テクノロジーとそのカルチャーが、ぼくたちの日常ばかりか地球をも包み込もうとしている2018年という時代に、新生『WIRED』日本版は何を目指し、実現し、そして社会に実装していくのか。読者の皆さんへの最初のメッセージであり、次のステージに向けた決意表明となるエディターズレターをお届けする。
DIGITAL LOVE  PEACEな未来へ:編集長・松島倫明から読者の皆さんへのメッセージ
PHOTOGRAPHS BY ELENA TUTATCHIKOVA

松島倫明|MICHIAKI MATSUSHIMA
1972年生まれ、東京都出身、鎌倉在住。一橋大学にて社会学を専攻。1996年にNHK出版に入社。村上龍氏のメールマガジンJMMやその単行本化などを手がけたのち、2004年から翻訳書の版権取得・編集・プロモーションなどを幅広く行う。2014年よりNHK出版放送・学芸図書編集部編集長。手がけたタイトルに、デジタル社会のパラダイムシフトをとらえたベストセラー『FREE』『SHARE』『MAKERS』『シンギュラリティは近い』のほか、15年ビジネス書大賞受賞の『ZERO to ONE』や『限界費用ゼロ社会』、Amazon.com年間ベストブックの『〈インターネット〉の次に来るもの』など多数。18年6月、『WIRED』日本版編集長に就任。

学生時代、地元の自由が丘駅南口の改札を出ると青山ブックセンターがあって、そこにうず高く積まれていた創刊まもない日本版の『WIRED』に出合ったときのことを、ぼくはいまだに覚えている。

学生生協でMacintoshを初めて買ったころで(パソコンオタクだった兄に「アップルはもうすぐ潰れるからやめておけ」と言われたんだっけ)、『WIRED』の蛍光に輝くその誌面は、何かまったく新しいことが始まっているのだと、ぼくに語りかけていた。「DIGITAL LOVE & PEACE」というタイトルでぼくが卒論を提出するのはそれから間もなくのことで、それはパーソナルコンピューターが1968年を起点とするカウンターカルチャーから生まれたことを論じたものだった。

『WIRED』は1993年のその創刊において、ぼくらが〈デジタル〉というテクノロジーを手にしたことを、人類が〈火〉というテクノロジーを手にしたことの文明的インパクトに比肩させ、そこから生まれつつある新しいカルチャーや可能性を、ぼくたちに真っ先に提示してきた。そこにはカウンターカルチャーの理想主義が色濃く受け継がれていたし、同時に、来るべき「ニューエコノミー」への胎動と興奮が生々しく誌面に踊っていた。

つまりは、テクノロジーによって人類が次のステージへと歩を進めるのだという、楽観主義に根ざしたワクワクする〈未来〉へのヴィジョンを提示してきた。

テクノロジーとの共生の道を探る

名著『火の賜物』においてハーヴァード大学の霊長類学者リチャード・ランガムは、ヒトが火というテクノロジーを利用したのではなく、火そのものがわれわれの脳を増大させ、ヒトへと進化させたのだと説いている。その同じ〈火〉が、ときに大自然を焼き尽くし、生命を奪い、人間の制御の手を離れて(あるいは制御のもとで)大惨事を引き起こすことを、人類と地球はこれまで幾度となく経験してきたはずだ。

そして同じことがテクノロジーについても起こっていることを、いまや誰もが知っている。ヒトの脳を拡張させ、ヒトの進化を促すデジタルテクノロジーが、同時にあらゆる局面で大惨事を引き起こしていることを。

この2018年という時代において『WIRED』が変わらずあの〈WIRED〉であるためには、ぼくたちはここから出発しなければならない。

もはやカルチャーにとどまらず、政治・経済・ビジネス・公共・ライフスタイルのすべてにフロントラインを構えるデジタルテクノロジーという〈火〉を、ぼくら人間は傲慢にも制御しようとするのではなく、互いに共生する道を探っていかなくてはならない。なぜなら、『WIRED』US版の創刊編集長であるケヴィン・ケリーが著書『テクニウム』で描いた通り、テクノロジーと人間は共進化しているからだ。

その道筋を照らし、エキサイティングでときに困難なその方法を提示することが、『WIRED』の使命だとぼくは考えている。

たとえば1968年に「LOVE & PEACE」を唱えたカウンターカルチャーの担い手たちは、科学とテクノロジーが工業化社会を完成に導き、人間すらも部品のひとつとして組み込んで、核兵器や戦争、環境破壊を通して人間とこの地球を圧倒しようとした時代にあって、人間の側にある、人間を疎外しない、〈適正なテクノロジー〉を標榜した。

ヒッピーたちのバイブルだった『ホール・アース・カタログ』は、人間性を取り戻すためのツールを紹介するカタログだったわけで、そこで紹介されたパーソナルコンピューターとは、そもそも国家や大企業が特権的に所有していたコンピューターという巨大テクノロジーを大衆一人ひとりの手に取り戻すために生まれたものだった。

それはちょうど、〈自由〉というものがテクノロジーの野放図な進歩からではなく、自立共生的(コンヴィヴィアリティ)なツールからしか生まれないというイヴァン・イリイチのメッセージとも共振するし、だから尊敬してやまない前編集長の若林恵さんは、『WIRED』日本版においてイリイチをことあるごとにぼくたちに突きつけてきたのだと、改めて思う。そして、問題の核心が、そこにあるのだ。

パーソナルなコンピューターによって個人が拡張され、それがネットワークによって世界中で繋がることで、情報はフリーになり、あらゆるものがシェアされ、分散化され、脱中心化され、人々による共感のネットワークが広がり、社会は自立共生的なコモンズ(共有地)に至るはずだった。インターネットという脱中心化された情報のネットワークによって、知識や情報が誰にも独占されず、分散化したコミュニケーションによって新しい経済が到来するはずだった。

だけれど、現実にいまぼくたちが目にしているものは、まさにこのインターネットによって、ひと握りの超巨大テック企業が、データという新しい知識とコミュニケーションを独占している事実だ。

ぼくたちは失敗したのだろうか? それともまだ、〈未来〉は到来していないだけなのだろうか?

その問いに軽い既視感を覚えるのは、それがカウンターカルチャーの目指した未来だったからであり、まさにいま同じ夢が、ブロックチェーンという〈信用のインターネット〉によって、初めて真の分散化され脱中心化された社会が到来するのだという触れ込みで再び語られているからだ。

でも当然ながら、そんな社会が本当に来るのかはまだ誰にもわからない。その分散化された人々の〈信用〉をプラットフォームで束ねるデジタル・レーニン主義国家の足音は、すぐお隣からすでに聞こえてきているはずだ。

地球が壊れるのなら、イノヴェイションは必要だ

『ゼロ・トゥ・ワン』を書いたピーター・ティールは、「未来とは現在とその時点との差分だ」と言っている。つまり、ゼロから1を生み出すような大きな質的変化が起きない限り、これから何年経とうがそれは〈未来〉ではありえない、ということだ。ティールに言わせれば、こうした変化は「テクノロジーによるイノヴェイション」からしか起こりえない(それに対比されるのが、1をnへと増やしていくグローバリゼーションだ。もはや均質なグローバル化を地球環境が支えきれないことが明らかな以上、人類にはゼロイチの解決策が必要というわけだ)。

つまり未来とは、待っていれば来るもの(来るはずだったもの)ではなく、常にぼくたちがイノヴェイションを起こして選び取っていくものだということになる。だとしたら、ぼくらはどんな〈未来〉を望むのか? 『WIRED』とはいままでもこれからも、そうした問いそのものであり続けるだろう。

デジタルテクノロジーが人間の共感の届く範囲を拡張し、社会構造の質的変化を起こす未来を、たとえば文明批評家のジェレミー・リフキンは「限界費用ゼロ社会」として提示している。あるいはぼくが学生時代に『WIRED』の傍らで愛読していた思想家の柄谷行人は、近著『世界史の構造』において経済の交換様式に注目し、貨幣と商品を交換する「不平等/自由」な資本主義社会から、「平等/自由」な、まだ名もなき社会構造へのアップデートを図式化している。

柄谷はそれを理念的なものだとしているけれど、デジタルという新たな交換様式は互酬性で、潤沢さに根ざした再分配が可能で、多様な仮想通貨によってあらゆるモノが交換されていく。つまりはあらゆる交換様式を束ねて、その次の社会構造へとぼくたちを導いていく。

先に挙げた『WIRED』US版創刊編集長のケヴィン・ケリーが著書『〈インターネット〉の次に来るもの』で鮮やかに描いたように、デジタルがもつ特性は不可避的にその方向を指し示している。そして、ぼくがここで敢えて〈DIGITAL LOVE & PEACE〉を楽観的に語るのは、ケリーに言わせれば、その変化が「まだ始まったばかり」だからだ。『WIRED』はこれからもその変化を見届け、自由で平等な次の来るべき社会のヴィジョンを提示していくはずだ。

『WIRED』という〈ムーヴメント〉へ

これまで『WIRED』は、常にマジョリティによるカルチャーではなくサブカルチャーに注目し、ときとしてそれがスーパーカルチャーになるのを支えてきた。既存の体制の側ではなく、新しいムーヴメントを始めようとする人々の側を応援してきた。安易に答えを提示するのではなく、誰もが見過ごしている根源的な問いをメインカルチャーに突きつけ、周縁にあって、次の時代のイノヴェイションを起こそうとする若者たちがメインステージへと躍り出るのを応援してきた。

いまや、『WIRED』が体現してきたこの価値を、社会のあらゆる局面に実装するときが来た。『WIRED』はもはや単なるメディアではない。社会に真にポジティヴなイノヴェイションを起こすインキュベーション機能だ。そのために、スタートアップとグローバル企業、ミレニアルズとエスタブリッシュメント、アイデアと人、テクノロジーと身体性、ヴィジョンとリソースの橋渡しをし、実現するためのハブとなって、アクチュアルなプレイヤーたちと共に、次の時代を切り拓いていく。

DIGITAL LOVE & PEACE。


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TEXT BY MICHIAKI MATSUSHIMA

PHOTOGRAPHS BY ELENA TUTATCHIKOVA