『デッドプール2』は「続編」の理想形として、コミック映画の歴史に残るだろう

清廉潔白なスーパーヒーロー映画で埋め尽くされたハリウッドという美しい海を、嬉々として汚しまくり、血だらけにしたハチャメチャなR指定映画『デッドプール』の続編が6月1日に日本公開される。前作はもとより原作コミックすら凌駕する出来栄えと評判の作品は、「ヒーロー」という称号を真面目にとらえるすべての人間に、中指を立てて突きつけた。『WIRED』US版によるレヴュー。
『デッドプール2』は「続編」の理想形として、コミック映画の歴史に残るだろう
『デッドプール2』は1作目に引けをとらない。それどころか原作コミックすら膝を屈する出来栄えだ。ヒーローは新たな脚を与えられて走り出した。PHOTOGRAPH COURTESY OF TWENTIETH CENTURY FOX

前作から2年が経った。『デッドプール』1作目のどこがそんなに楽しめたのか、いまとなってはピンポイントではっきり指摘するのは難しい。派手なアクションやスクリーンから観客に話しかけてくる表現のおかげか、またはフィクションと現実を隔てた「第4の壁」を破ったからか。四文字言葉が満載のセリフや、薬物やマスターベーションがらみのきわどいジョークも、もちろん無関係ではない。

清廉潔白なスーパーヒーロー映画で埋め尽くされた美しい海を嬉々として汚しまくり、血だらけにしたのが、1作目の『デッドプール』である。その完璧なR指定映画は、全世界で興行収益7億8,300万ドル(約867億円)を超える大ヒットを記録した。

それだけの成績を収めれば、続編の製作は確実だった。しかし当然、続編の場合、1作目にはない新たな課題を最初から抱えることになる。つまり、前作に負けない作品をつくらねばならないのだ。

理論上では、それもさほど難しくはないはずだ。主演のライアン・レイノルズや、代表作に映画『アトミック・ブロンド』をもつ監督のデヴィッド・リーチは、今回、前作よりも多額の資金を使えただろう。

キャストもさらに豪華になっている。テレビシリーズ『アトランタ』で知られるザジー・ビーツ(運を操るドミノ役)、マーベル映画ではあの悪党サノス役で活躍のジョシュ・ブローリン(サイボーグのケーブル役)も加わった。

ふざけきったオープニング・クレジット

しかし、巨額の金でも、スターの力でも、つくり出せないものがある。驚きという要素だ。前作『デッドプール』では、このキャラクターの筋金入りファン以外は誰も予想できないところから、多くのものを引き出せた。

続編ではその手が通用しない。1作目が上げた噴煙に乗って安きに流れることはできるし、そういう続編が多いことも事実だ。そうした作品は、完全に期待外れに終わりかねない。

そんななか、『デッドプール2』は原作に匹敵する作品となったばかりか、オリジナルが膝を屈するほどの出来栄えとなった。ヒーローは続編で新たな脚を与えられて走り出したのだ(これは比喩だが、同時にプロット上のポイントでもある)。

『デッドプール2』はマーベルコミックのヒーロー、ウルヴァリンの登場で幕を開ける。いや、正確にはウルヴァリンの像だ。主役のデッドプールことウェイド・ウィルソンは、マーベル仲間のウルヴァリンもR指定映画に出たのがうれしくてたまらない。そして、まさに『LOGAN/ローガン』のラストのように、木に磔になったローガンのミニチュアを示して、爪をもつヒーローの死を祝う。

そこから画面は切り替わり、ガソリン缶の上に大の字になって煙草を吸うデッドプールが現れる。「実はな、ウルヴィー? 今度は俺も死ぬんだ」。そう彼は言い、煙の立ち上る煙草を指で弾く。そのまま彼は、自宅アパートメントもろとも、粉々になって吹き飛ばされる。片腕が手の中指を突き立てたまま、観客に向かって飛んでくる。

もちろん彼は生き残る。フラッシュバックでシーンが早送りされ、観客は彼が死にたいと思ったわけを、そしてどうやってその死の願望を乗り越えたかを知らされる。スパイ映画『007』のテーマをもじったイントロにかぶせて、世界的歌姫のセリーヌ・ディオンが歌うテーマ曲が流れ出し、皮肉たっぷり、ふざけきったオープニング・クレジットが現れる。

強い物語性と山場が生まれた理由

コロッサス(声:ステファン・カピチッチ)と、ブリアンナ・ヒルデブランドが演じるネガソニック・ティーンエイジ・ウォーヘッドに引っ張り出され、救われたデッドプールは、ミュータントであるX-MENたちが通う学園「Xマンション」に戻り、次第に回復してゆく。

X-MENのなかではまだ新米のデッドプールだが、優れた能力をもつ孤児のラッセル(『ハント・フォー・ザ・ワイルダーピープル』で素晴らしい演技を見せたジュリアン・デニソンが演じている)と出会う。ラッセルは自分を虐待した院長への復讐のため、孤児院を焼き払おうとする。

デッドプールは止めようとするが、結局はラッセルに手を貸し、揚げ句の果てに2人は「アイスボックス」と呼ばれるミュータントの牢屋に閉じ込められる羽目になる。

そこに登場するのが未来から来たサイボーグ、ケーブルだ。このキャラクターは、デッドプールの言葉を借りれば「ウインター・ソルジャー(別のマーベル映画に登場するヒーロー)の腕をもつクソ野郎」である。ヒットラーを子どものときに殺しておけばよいという奇妙な論理と同じで、ラッセルを殺そうとやって来る。

ラッセルは逃れるが、それをきっかけにさまざまな出来事が続き、デッドプールの「前向きに考え、性の区別をしない」“X-フォース”スーパーチームの結成へとつながる。これが『デッドプール2』に、前作よりはるかに強い物語性と山場を与える。

途切れずに続くネタとパロディ、皮肉とジョーク

『デッドプール』続編がシリアスな映画になったということではない。レイノルズがレット・リース、ポール・ワーニックと組んで書いた脚本の素晴らしさは、2作目でもやはり、ジョークと視覚的なギャグにある。

コミック・ファンを喜ばせるセリフもある。『バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生』の重要なセリフ「マーサを救え」はジョークに変えられ、ドミノは「足を描けない漫画家」につくられたと言われる。

さらに、ポップ・カルチャー全般からのネタもある。個人的に気に入っているのは、コミックと合体して「第4の壁」を突破したノルウェーのバンド、a-haの「テイク・オン・ミー」のミュージックヴィデオをたたえるところだ。

“X-フォース”の初めてのミッションは、テレビドラマ「冒険野郎マクガイバー」のパロディ映画『ほぼ冒険野郎 マクグルーバー』から、一番いいかたちで取り入れたようにも思える。スタンダップ・コメディアンのロブ・デラニーがカメオ出演しているのも、なんとなく腑に落ちる。

デラニーの登場は早くもカルトファンの間で評判になっている。これできっぱり、レイノルズ主演の悲惨な作品『グリーン・ランタン』にも終止符を打つことができた。

もちろん、誰もが『デッドプール2』の魅力にはまるとは限らない。『ロサンジェルス・タイムズ』紙のジェン・ヤマトは、今作が往々にして前作と「同じことの繰り返し」に感じられると書いている。

確かに正しい指摘だ。今作は、詰め込まなければ意味のない映画なのだから。皮肉と単発ジョークが途切れることはほとんど皆無に近い。

称号を受け付けない、第3のヒーロー像

この作品のアクションシーンは、ドミノがチームに加わってから、ルーブ・ゴールドバーグの描くややこしい漫画もかくやというくらい、複雑で見事なものになる(リーチは監督に転身する前、長年スタントマンやスタント・コーディネーターを務め、『アトミック・ブロンド』で証明されたように格闘シーンを熟知している)。

しかし、からかいだらけのなかに、単なる派手なアクションシーンを超えた「革命的なスーパーヒーロー映画」と呼びたくなる要素が隠れている。

さらに言えば、いまのハリウッドでは、スマートでキラキラしたマーベルヒーローと、暗く陰りのあるDCヒーロー、その2つの柱がコミックを原作とする映画を支えている。だが、ときにはその枠を外れるのもいいものだ。

『デッドプール2』は意外なほど感動的な結末に至り、この続編が本当に映画作品を目指していたことが明らかになる。話を進めるための小道具にすぎないジョークばかりの映画ではない。ここにはちゃんとストーリーがあり、感情があり、そしてそれは本物なのだ。

とはいうものの、やはり『デッドプール』の続編であることには違いない。クレジットが流れ出すなり、ほかのマーベル映画を見せられているようなシーンが差し込まれ、「第4の壁」の軽さがすっかり戻ってくる。しかし、これこそヒーローもの映画のなかで、このシリーズだけを際立たせる要素なのだ。

『デッドプール2』は、オープニングと同じように締めくくられる。図々しく自らをヒーローと呼び、その称号を真面目にとらえるすべての人間に向けて、この映画は中指を立てて突きつけてみせるのだ。


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TEXT BY ANGELA WATERCUTTER

TRANSLATION BY YOKO SHIMADA