植物に意識はあるの?

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  • author Rina Fukazu
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植物に意識はあるの?
Image: Angelica Alzona/Gizmodo US

みなさんはどう思いますか?

専門家に素朴な疑問をぶつけてみる「Giz Asks」シリーズ。今回のテーマは植物に意識があるのかです。


動物愛護の方々による輝かしい活動によって、生き物にも意識があることが発信されてきました。動物の肉を消費しない人たちのなかには、私たちの食べ物がかつて生きていて、どのような過程を経て食卓に並んでいるかという事実を知らない人はいません。いっぽう植物が刈られて食卓に並ぶのは比較的穏やかで、環境保護主義者の主張はさらに難しくなります。

では、植物に意識はないと言い切れるのでしょうか? タンポポを擬人化して考えるのは賢明で望ましいことなのか、私たちが感覚的に想定している通り本当に植物は鈍感なのか...。こうした疑問を環境科学者や哲学者に投げかけてみました。幼少時代を懐かしく想起したり、何かを見たり/聞いたりすることはできないにしても、植物は情報を保持したり過去の経験に基づいて「決定」を行なったりします。これが「意識」を構成するかどうかは、どのようにこの用語を定義するかによって決まるでしょう。

Michael Marder

バスク大学・Ikerbasque研究教授(哲学)。『Plant-Thinking: A Philosophy of Vegetal Life』等の著者。

植物にはもちろん意識があります。ただし、私たち人間とは異なる方法をとっています。

植物は生存に必要なリソースを探すために、地上や地下環境に順応していく必要があります。このため植物の根は土壌、岩、水、バクテリア、近隣の植物との距離などを感知するのに、食糧を探すネズミと同じくらい上手く作用します。また身の危険を察知する必要があることから、植物は水不足や草食の昆虫などに対して自己防衛能力を発達させてきました。開花するのに最適な時期を定め、1日の長さや空気の暖かさなど複雑な環境的要因を感知することもできます。言い換えれば、植物は周囲の環境(自分の住む世界)に関する情報をできるだけ多く集めて、変化に注意を払い、優れた判断力を有しているのです。

意識というものが「知識がある」ということを意味するならば、植物はその要件を満たしているでしょう。当然、植物は目や耳などの感覚器官を使って外部からの刺激を受けるわけではありません。その一方で、動物や人間の目や耳と同等もしくはそれ以上に機能する細胞や組織(たとえば光受容細胞)があります。植物は生き伸びるために、絶え間なく変化する環境から情報を受け取ることが不可欠なのです。最適な条件下では成長し、冬の寒さには葉を落とすなど季節に合わせて変化する植物は、環境に対して非常に敏感なことから、その意識のなかには無数の知識が込められていると言えます。

植物に自我があるかどうかは、また別の話です。昆虫に葉を食べられるときなど、身の危険に直面したときには同じ種の植物へのコミュニケーション手段となる生化学物質を空気中に発することもしばしばあります。 こうした植物のコミュニケーション戦略やメカニズムは、私たち人間が自我と定義するものと類似していると考えられるでしょう。要は、植物が満たす生物学的な構造や機能は、心理学的ではないにしても、目以外の視野や脳以外の考え方で想像することができたら、私たちはやがて植物の意識を意識するようになるのだと思います。

Heidi Appel

トリード大学環境科学教授。植物が科学防御によって草食昆虫をどう認識し、反応するかの研究に従事。

植物に意識はあるのでしょうか。私の考えでは、答えはノーです。植物が自分の住み環境を認識できることを踏まえても、答えは変わりません。なぜなら「consciousness」という言葉は、英語で自己を取り巻く環境への意識だけでなく、マインドや自我といった概念を含むからです。環境のなかで物事を感知することや、そうやって感覚的に得た情報を有益なものに統合する能力は、意識のなかで行なわれるものではありません。これは植物だけでなく、すべての生き物が備えた能力です。ただ植物には脊椎動物が環境を感知するために持つような特殊な器官が欠けていることから、過小評価されがちなのもたしかです。

植物には「記憶」する能力があることから、意識がある存在だと主張する人もいるでしょう。環境への変化に対応するために、植物はたしかに環境の変化に応じて情報を蓄えます。どの生き物にもありえることですが、親が経験したことが子孫に影響し、世代間で情報を遺伝的に受け継ぐという植物の特徴があります。これらが「記憶」を構成するかどうかは、「記憶」を「思い起こすこと」と定義できるかによって異なります。「記憶」を定義するうえで必ずしも自我が直接結びつくというわけではありません。たとえ人間が記憶した個人的な経験が自我に結びつくことがあっても、それは変わらないのです。

Dr. François Bouteau

パリ第7大学植物生物学助教授。

問題は「意識」という言葉をどう定義するかです。心理学的に理解しようとすると、たとえば知識、感情、存在、直感、思考、精神、主観性、感性、内省といった概念と結びつくような人間の生涯のさまざまな側面を描写するしても、植物に対する意識とは明らかに異なることがわかります。

ところが、昏睡状態にある患者に向き合い、働いている医者らは人間の意識の状態を広義に捉え、答えが二択でないと考えるでしょう。意識とは己の存在や取り巻く世界を理解する能力であると一般的に定義し、意識を持つために脳は必要ではない考えるならば物事はよりシンプルになります。多くの研究によって、植物は周囲の環境を感知し相互に作用することが示されています。

己の存在の認識については誰も何も言えませんが、植物には仲間を認識する能力があることを示すエビデンスも増えてきています。別のアプローチをとるならば、人間の意識をなくす方法には麻酔をかけて、自分の存在や周囲で何が起きているか感知させなくする古典的な方法があります。植物にも麻酔効果があることは以前から示されてきました。私たちには植物や動物に麻酔が実際どう作用するのか知る術がありませんが、興味深いことに、活動電位を生成するイオンチャネルの役割を含め、植物と動物には同じ細胞機構が存在しているようです。またもうひとつのポイントとして、負傷した際に麻酔の力で分子を合成する植物もあります。地球上のすべての生物と同様、生存するために必要な適応力があることから、植物は意識の形態がある可能性が非常に高いといえます。

Richard Karban

カリフォルニア大学デービス校昆虫学・線虫学教授『Plant Sensing and Communication』著者。

意識というものをどう定義するかによって答えは異なります。自分の環境を理解した状態と定義することが多くありますが、この場合、植物は意識のある生物だといえそうです。その他の定義では、人間の脳を要するものが多いのでこれだと植物は当てはまりません。

それにしても、植物が周囲の環境を認識していることを表すエビデンスには圧倒されます。窓際で観葉植物を育てたことのある人ならば誰しも、植物が光に向かって生長するのを目の当たりにしたことでしょう。これには光の方向を知覚し、優先的にリソースを割り当てる能力が必要です。実際のところ、植物は自分と自分以外を感知してリソースを割り当てていて、他の植物によってできた日陰の質を区別し、将来の状況を予測しながら日陰が発生するよりも前に反応を示すことができます。

植物は土壌の養分を探すとき肥沃な地では根を十分に張らし、そうでないときは諦めます。さらに近くの微生物と有益な関係を築き、有害なものには防衛してみせます。

植物はまた、昆虫やその他大きな草食動物に対しても自衛能力を発揮します。実際の危害に反応を示すほか、昆虫の交配や卵の産みつけのみならず、足音、唾液、噛みつきから起きる振動などから発せられた化学物質に反応することができ、このように仲間から空気中に発せられた化学物質を感知し、将来のリスクを予測することもあります。危害を受けた植物はその経験を記憶し、その後の攻撃にはより迅速に強く反応を示します。世代を超えてこうした経験が受け継がれることもあります。

Danny Chamovitz

テルアビブ大学 George S. Wise Faculty of Life Sciences研究科長、Manna Center for Plant Biosciences所長。

植物が周囲の景色、空気中の香り、葉が何かに触れたことなどを認識・記憶することは明らかに可能ですが、だからといって植物に意識があるというわけではありません。

認識という言葉を用いましょう。植物は、環境を認識しています。ですが、同様にすべての生物が生存をかけて環境を認識します。バクテリアも含め、すべての生物が適所を探して生き残ろうとします。どれも人間だけ特別なわけではありません。自我はあるのでしょうか。いいえ。私たちは植物の面倒をみますが、植物は私たちのことを気にもしません。

もちろんこれは知性にも関係しています。植物は信じ難いほどに複雑ですが、それは知能が高いということなのでしょうか。そもそも知能が高いとはどのような状態を指すのでしょう。

心理学者も、人間の知能に関する定義については同意していません。植物は、過去20億年のあいだに動物とはまったく異なるかたちで進化を遂げた、非常に複雑な生物です。その複雑さを理解するためにあえて擬人化しようとする必要はありません。植物には神経も脳もありませんが、根、葉、花からシグナルを統合してどれほど光の照射があるか​​、温度はどうかといった情報を得ます。これにより脳なくして精巧な具合で環境に適応します。

言い換えると:罪の意識を感じることなく、植物を食べて大丈夫ですよ。


もちろん「植物」といってもいろいろあるうえに「意識」をどう説明するかにもよっても答えは変わってくるみたいですね。

最近では、土壌内で仲間とコミュニケーションをとる植物もあることが明らかになっていたことですし、直感的には植物にも意識(みたいなもの)があるのではないかと推察したくなりますが...専門家たちによると、答えは「意識はある/ない」の二択に縛られないことがわかります。

でも、植物に意識があったら、サラダを食べるたびに考え込んじゃいそうだからなぁ…。ないほうが気負わず食事ができてよさそうではありますね。



Image: Gizmodo US

Daniel Kolitz- Gizmodo US[原文
(Rina Fukazu)