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今週紹介するのは、エピクテトスの『Discourses』からの引用です。この本の第3巻第24章で、エピクテトスは、倫理的に優れた人間になるのは生易しいことではない、そして、そうあるべきでもない、と言っています。

諸君、哲学者の学校は病院なのだ。人は楽しんでではなく、苦しんで去らねばならない。

『人生談義』エピクテトス著 鹿野治助訳 :岩波書店、1958年

翻訳の別バージョンでは:

哲学者の教室は病院である。楽しい時間を過ごして帰るところではない。苦しんで帰る場所なのだ。

その意味するもの

倫理哲学は、楽しむためのものではありません。それは、高潔な思考について学び、実践する学問です。そこでは、あなたが信じていること、感じていることとは根本的に相反するコンセプトと出会うことになります。しかし、それこそが重要なポイントです。

あなたが哲学者の教室に入ると、エピクテトスは「君はよろしくない」と語りかけます。あなたがそこへやって来たのは癒やされたいからです。しかし、苦痛をくぐり抜けてきた先輩たちはこう言うでしょう。

癒しとは苦しいものなのだ。

そこから学べるもの

哲学は、あなたにさまざまな考え方があることを教えてくれます。しかし、それだけではありません。哲学は、心の痛いところに触れ、知りたくない真実を暴きます。哲学者の言葉は、ただ、人を励ますだけのマントラではありません。

哲学とは学ぶ者が自らを破壊し、より優れた、より倫理的な存在へと自己を再構築するためのツールなのです。哲学が突きつける真実は、学ぶ者の世界観をゆるがし、心の平安を脅かします。自分の間違いを認めるのはつらいことです。しかし、真実を受け入れ、間違っていた自分を受け入れることができてはじめて、人はほんとうの意味で学び、成長することができるのです。

優れた人間になるためには苦しさを残りこえなければいけない

より優れた人間になるためには、そして、倫理を真剣に学ぶためには、精神的苦痛を避けて通ることはできません。エピクトテスが第3巻2章で書いているように、自分が変わろうとしているときに「彫像のように無感覚」でいることなどできないのです。あなたが味わう苦痛(誤解への気づきからくる苦痛、後悔からくる苦痛)こそが、倫理的成長を促してくれます。

スポーツジムで重いバーベルを持ち上げて体を鍛えるように、倫理哲学が教えるコンセプトを理解し、自分のものとするには、強い意志とたゆまぬ努力が必要です。きっとあなたは疲れ切り、悲嘆に暮れることでしょう。とても苦しい道のりです。しかしその道を通らずに、より優れた人間になることはできません。


Image: : x1klima/Flickr

Patrick Allan - Lifehacker US[原文