その瞬間、スー・マシューズは目の前が真っ暗になった。11歳になる娘が、がんと診断されたのだ。5人家族のマシューズ一家は、それから5年にわたり、治療、手術、生体組織検査、その他読み方もわからないような医療用語に翻弄されなければならなくなった。不確かな毎日だったが、マシューズはひとつだけ確かなことを発見した。

日々の経験は、自分たちでコントロールできる。

スーが妹のアンドレア・コヘインと書いた本『Paint Your Hair Blue: A Celebration of Life with Hope for Tomorrow in the Face of Pediatric Cancer』には、娘テイラーが16歳で亡くなるまで、「小児がんに侵された子ども」ではなく、普通の子どもとして生きた日々がつづられている。

マシューズは現在、テイラー・マシューズ基金の代表を務めている。小児がんの認知促進と研究資金の調達を目的とした非営利組織だ。そんなマシューズさんに、我が子が生命を脅かされるような病を患ったとき、親はどう乗り越えればいいのか、どう幸福を見いだせばいいのか、話を聞いた。

1.恐怖を分割する

人生でいちばんつらい時期だったにもかかわらず、いくつもの喜びを見つけることができたというマシューズさん。その理由は、心の中を区分化したからと語ってくれました。悲しむときもあれば、祝福するときもあるのだと。

検査が3カ月おきだったので、2カ月半は全力で生きると自分に言い聞かせていました。そのあとは、ナーバスな日々でしたね。


恐怖を分割することで、幸せな日々をかみしめることができます。

テイラーに取り乱した姿を見せたくない。そう思ったマシューズさんは、シャワーを泣く場所と決めていました。

そうやって、怒りや悲しみをやり過ごしていました。

2.とらえ方を変える

娘に恐怖を感じさせないよう、マシューズさんは治療や手術のとらえかたを変えたと言います。

「今日は化学療法じゃなくて、がんをやっつける日よ。パックマンみたいなもんね。パックマンががん細胞を食べていくの」

そう言うと、テイラーは目を開けて笑ってくれました。そして化学療法を受け、終わるとこう言ったものです。

「これでまた一歩、がんをやっつける日が近づいたね」

化学療法が終わるたびに、テイラーが大好きでマシューズさんが嫌いな鉄板焼きレストランで祝福したそうです。

それが、ちょっとした儀式になっていました。

生活はめちゃくちゃ。昼も夜もなく、次に何が起きるかまったくわからない日々が続きました。

でも、楽しい部分もあったんですよ。

ときどき、家族5人が集まって病院に泊まることがあったそう。まるでパジャマパーティのようだったと、マシューズさんは目を細めました。

3.他人を巻き込む

テイラーに会えないとき、マシューズさんは気の置けない人と話すようにしていました。その代表が、妹のアンドレアだったと言います。

再発の連絡をしたとき、妹は受話器の向こうで「そんなはずない!」と叫んでくれました。私はそのことを一生忘れません。彼女はいつだって、私にとっての心の友であり、かけがえのない妹でした。

ほかにも、友人やご近所さんがマシューズ夫妻を支えてくれました。留守番中の2人の子に夕飯を届けてくれたり、世話をしたりしてくれたのです。テイラーが口の痛みを訴えるようになると、病院にミキサーを持って来てくれた人もいました。

コミュニティーが、いっそう強化されました。

4.子どもに罪悪感を持たせない

告知を受けた数カ月後、テイラーはマシューズさんの誕生日にこんなカードをくれたそうです。

ママ、ごめんね。私たち病院にいるから、ママは自分の誕生日を祝えないね。

それを読んだマシューズさんは、娘にこう言いました。

二度とそんなこと言わないで。二度と、ごめんねなんて言わないで。私はただ、あなたと一緒にいたいだけなの。私はあなたのママでいれて本当に幸せなの。

病を患った子どもの多くは、途方もないほどの罪悪感を感じているとマシューズさんは言います。彼らは、他人の人生をめちゃくちゃにしていると思い込み、自分さえいなければと考えてしまうのです。マシューズさんは、たとえ何日も病院の椅子の上で寝泊まりを続けても、あなたと一緒にいることが自分の望みなのだとテイラーに言い続けました。

5.我が子の普通の生活のために戦う

何もかもが不確かな状況でも、テイラーさんは決して重要なイベントごとを忘れませんでした。スイート16の誕生日、年末年始などの年間行事、全国統一テスト、運転教習など、できるだけ普通の生活を送らせる努力を続けたのです。ある手術を終えたとき、テイラーは大好きなイベントであるハロウィンのために家に帰ると決めました。自ら緩和ケアを離れ、チューブを外しました。でも医師は、酸素が必要だから外出は許可できないと言いました。マシューズさんはその答えを受け入れず、医師にこう言ったそうです。

待ってください。ここに彼女がいなければならない理由は酸素だけですか? それならば、持ち運べる酸素ボンベを注文してください。そして、その使い方を教えてください。

翌日、酸素ボンベが自宅に届きました。ちょうどハロウィンの日に間に合ったのです。病院スタッフは、指示に従わないマシューズさんに手を焼き、彼女を「ドクターマシューズ」と呼ぶことがあったのだとか。

そんなときはこう答えていました。「ごめんなさい、私はドクターではありません。でも私は、娘に普通の生活を送らせてやりたいんです」

6.納得できる方法で立ち直る

テイラーが亡くなると、マシューズさんは現実に引き戻されました。それは、極めてつらいものだったと彼女は振り返ります。

現実を受け入れられませんでした。ある人に、うちのもう1人の子の全国統一テストの結果を聞かれたとき、バカにされているように感じました。「うちの子、運転が下手で」など、ナンセンスなことばかり言う友達に嫌気がさしました。そして、意識的に友達を避けるようになりました。有害なものは切り捨てるしかなかったのです。それは今でも同じ。私は、有害なものを切り捨てて生きています。

テイラーの命のおかげで、本当に大切なことに集中できるようになったとマシューズさん。かつてより人生の目標を持って生きているそうです。

こんなことを言われたことがあるの。「テイラーが生まれなければこんな悲しみを背負うことはなかったと思うことがありますか?」って。私は「そんな質問をするあなたが信じられません」と答えました。私は娘と、美しい16年間を生きたのです。あの日々は、私にとって祝福でした。


Michell Woo - Lifehacker US[原文