一緒くたにすべきではありません。松田聖子を愛するオカマと中森明菜を愛するオカマとではオカマの質と性向が違います。
明菜を愛する、崇めたてるオカマは、外見がどうであれ、女よりも女の心を理解しているオカマです。女にもてるオカマと言ってもいいです。マツコ・デラックスタイプです。
聖子を崇拝するオカマは、なよっとして、女を敵視するタイプです。楽しんごみたいなタイプといいましょうか。オカマというよりも、女とノンケの男を張り合うゲイに聖子ファンが多いです。
そもそも、中森明菜の歌は、オカマのほうが上手に歌えます。明菜の歌は技術と哀愁で歌う歌なので、声量があって、人生の挫折を知っているオカマはそんじょそこらの小娘より明菜の歌に向いているんです。
松田聖子の歌はオカマには歌えません。聖子の歌は女声でないと、どんなに上手に歌っても男心に可愛く響かないんです。外人が歌ってもダメ。小柄で可愛い女の子向きに作られた歌なんです。
私は女ですが、仕事などでオカマバーに連れていかれると、オカマがやたらと明菜の歌を聞かせてくれるのです。それがもうほんとにクソうまいのです。「上手---!!!」と褒めると、「しょうがないわね、もう一曲歌ってやるわよ、あんたのために」とかって言ってガンガン歌ってくれます。なんていうか、親せきが連れてきた赤ちゃんをあやすノリです。明菜ファンのオカマは優しいのです。彼女たちが明菜を好きなのも、明菜の幸運とは言えない半生を愛おしんでいるからではないかと思えます。
逆に、女が調子に乗ってオカマバーで聖子の歌を上手に歌ったりすると、ひっこめコノヤロー、とか言われて、おしぼりをブン投げられたりします。聖子ファンのオカマはエゴイストで凶暴です。
すみません。若干、主観に走ってしまいました。