子育てをしている方であれば、「モンテッソーリ・メソッド」という名称を聞いたことはあるのではないでしょうか? Facebook創業者のマーク・ザッカーバーグやAmazonのジェフ・ベゾス、日本だと将棋の藤井聡太六段などが幼少時に受けていたとされる幼児教育のメソッドです。

しかし実際のところ、「それがどのようなものかよくわからない」という方もいらっしゃるかもしれません。そこできょうは、『子どもの才能を伸ばす最高の方法モンテッソーリ・メソッド』(堀田はるな著、堀田和子監修)をご紹介したいと思います。

著者は、45年もの歴史を持つという幼児教育施設「モンテッソーリ・メソッド原宿子供の家」で教師を務めている人物。そして監修者は、同施設の開設者です。

まず印象的なのは、著者が学びを得ていくなかで、「もしもモンテッソーリ・メソッドに子どものころであっていたなら、社会に出てからも大きく役に立ったことだろう」と感じたという事実。社会に出てからも自分に足りないものを探してきた著者にとって、それは画期的な体験だったというのです。

モンテッソーリ・メソッドがもたらしてくれたもの、それは、生きるうえで必要な基本的な知識をしっかり体得することでした。 どんなに知識を得ても、土台がしっかりしていなければ、それを十分に活用することはできません。私は子どもと活動をするなかで、子どもを教えながらも、自分自身の知識があらためて整理され、頭の中にある棚に整然と収められていくさまを何度も実感をもって、体験しました。(「はじめに」より)

モンテッソーリ・メソッドの特徴は、子ども一人ひとりの個性を大切にする点。従来の日本の教育においては、ひとつの教育プログラムに子どもたちを合わせていくスタイルだったわけですが、それぞれの子どもをよく観察し、その子に合った教育プログラムを提供していくというものだということです。

その点を踏まえたうえで、第2章「子どもの才能を伸ばすモンテッソーリ・メソッドとは」のなかで紹介されている、「モンテッソーリ・メソッドの3つの基本」をピックアップしてみたいと思います。

子どもの自主性を最大限にサポートする

モンテッソーリ・メソッドの基本は、子どもが自分自身を成長させようとするとき、大人がそれを最大限サポートすることです。 それは大人が子どものかわりにやってあげることとは違います。あくまでも子どもが自分でできるように「環境を整える」ことが重要です。(50ページより)

そのひとつは、子どもが使いやすいサイズの机や椅子、ハサミやのりなど、「子どもがいま必要としている道具」を用意すること。そして次に、子どもがいまちょうどやりたいと思っている活動のための材料、たとえばハサミを使いはじめた子なら、好きに切っていい紙を、その子の手にちょうど収まるようなサイズにそろえておき、子どもが望むときにすぐ使える場所に置いておくということ。

あるいは、子どもが「もう少しでできそうななにか」に取り組んでいるとき、手を出さずに見守ってあげること。そして、子どもの挑戦が限界を迎えたときには、ちょうどいいタイミングを見計らって「お手伝いしようか?」と声をかけること。

もちろん、その「お手伝い」とは教師がさっさとやってあげるという意味ではなく、相手が2~3歳であれば、子どもの手を取って一緒に行うということ。子どもが手の動かし方をじっくり見られるよう、ゆっくりやってみせるという方法です。

とはいえ、教師がひとりの子どもにつきっきりになるわけにはいきませんし、子どもの側も、必ずしもそういうことを求めているわけではないでしょう。活動に没頭したい子は、ときには近くにいる教師に「あっちへ行っていて」と言ったり、手伝おうとする手を振り払ったりすることもあるわけです。

それは、「自分でやりたいから、手を出さないでほしい」という自立心の表れ。だからこそ、「ちょうどよい距離感」が必要だということです。

なお、活動中の子どもはできる限り自分でやろうと努力しますが、どうしても助けが必要なときには教師に声をかけてくるもの。教師もなるべく早く子どもの声に応えようとするわけですが、他の子どもの手伝いをしている場合も考えられます。

そんなときに教師は、「これが終わったらあなたのところへ行くから、それまで自分でやっていてね」と明確に伝え、自分で試行錯誤を繰り返しながら待つように促すべきだと著者は言います。とはいえ、次に待っている子がいるからといって、いま向き合っている子をおろそかにするのはNG。「どの子にもまんべんなく」ではなく、「助けが必要な子にしっかり時間をかける」ことが大切だというわけです。

そのぶん次の子が長く待つこともあるので、かわいそうな気もしますが、長く待った子は次の機会に優先してあげればいいだけ。また、待っている間に試行錯誤を続け、自分で解決してしまうことも少なくないはずです。

兄弟のいないひとりっ子など、家では必要なときにお母さんが来てくれるという経験をしている子どもは、はじめのうち「待つ」という行為に慣れていないもの。しかし教師が必要なときにしっかり関わることでだんだん「待つ」ことを覚えて行くそうです。(50ページより)

生き方の基礎となる体験を提供する

モンテッソーリ・メソッドの二つ目の特徴は、「生き方の基礎となる体験を提供すること」にあります。(66ページより)

「モンテッソーリ子供の家」では、決まった勉強を教えるわけではないそうです。部屋にあるさまざまな教具に触れ、「自分で活動する」ことによって、人生で必要となる能力を伸ばしていくわけです。

ちなみに教具とは、モンテッソーリ・メソッドの考え方に沿ってつくられた「モンテッソーリ教具」のほか、ハサミやのりなど一般的な生活用具、教師が紙や木などを使って手づくりした教材も含まれているのだといいます。

教具は、「日常生活の練習」「感覚」「数」「言語」「文化」の5つの領域で用意されているそうです。たとえば「日常生活の練習」では、教具を通じ、日々生活するために必要な身のこなし方や道具の使い方、社会との関わり方を学ぶのだとか。

続いて「感覚」の分野では、自らの視覚や触覚、聴覚、味覚、嗅覚などを研ぎ澄ましていくことに。また「言語」の活動で日本語の基礎を学び、「数」の活動からは抽象的なものへの理解と論理的思考を体得。最後に「文化」の活動を通して身の回りの環境や日本、世界の文化的な事柄に親しむという流れです。

こうした教具を通した活動から獲得できるのは、その後の人生の基礎となる力。また、子どもが望めばいくらでも応用をきかすことができる力だといいます。(66ページより)

「敏感期」にもとづいた関わりをする

モンテッソーリ・メソッドの三つ目の特徴は、「敏感期にもとづいた関わりをすること」です。

「敏感期」は、もともと生物学の用語です。生物には成長の過程で「ある特定の機能」を成長させるために「特別な感受性」を持つ時期があります。 例えば、蝶の幼虫は卵から誕生してすぐ、木の枝の先まで移動して柔らかい葉にありつくことができます。 誰に教えられたわけでもないのになぜそんなことができるかと言うと、生まれたばかりの幼虫には光に対する特別な感受性があるからだと言われています。しかし、固い葉を食べるまでに成長するころには、その感受性は自然に失われていきます。

この特別な感受性を持つ時期が「敏感期」です。生物は「敏感期」の働きによって本能的にさまざまな刺激に触れ、自らを成長させるようになっているのです。

(75ページより)

哺乳類の動物の多くは、生まれてすぐに自分の力で立ち上がり、自分で母親の乳首を探してミルクを飲むことが可能。外敵の多い環境に住む動物の場合、生まれたばかりの赤ん坊であっても、自分で逃げられなければ生き延びていけないからです。

一方、人間の赤ちゃんは高等動物でありながら、頼りない状態で生まれてくるもの。自分で食べることはおろか立つことすらできないので、放っておけば死んでしまいます。人間がこのように未熟な状態で生まれてくるのは、生まれた場所の生活環境から学び、柔軟に対応していくためだと言われているのだとか。

生まれて間もない赤ちゃんには意識的になにかをする能力はないものの、本能的に環境から学習していくプログラムが備わっているもの。自分で考えて意識的に行動し始めるより先に、時期が来れば自動的にプログラムが発動し、自然と学びへと導くようになっているということ。これが「敏感期」の作用。

そして、他の生物にあるものなら、人間にも敏感期があるに違いないと考えたのがモンテッソーリ。彼女は膨大な時間をかけて子どもたちを観察し、多くの敏感期がそこにあることを発見したのだそうです。

敏感期とは、内面で起こった刺激への衝動が表面上の行動として表れてくるものなので、「今が敏感期である」とはっきり目に見えるものではありません。 しかし、敏感期のしくみを知ったうえで子どもの行動をよく見ていると、「あれ? もしかして?」と思い当たることがあるでしょう。 小さな子どもが同じ遊びを飽きることもなく延々と繰り返す姿や、好きなおもちゃをひたすら一列に並べることに熱中している様子を見て、私自身、かつては、子どもの感性というのは不思議なものだなと思っていました。今なら、なるほどあれは敏感期のなせるわざだったのだなと合点がいきます。(78ページより)

子どもが成長する過程においては、いくつもの敏感期が現れては消えていくもの。それは、「言葉」の敏感期を例にとるとわかりやすいといいます。

たしかに小さな子どもは、どんなに複雑な言語でも習得できます。この時期、日常的に外国語に触れる生活をしていると、スポンジが水を吸い込んでいくかのように言葉を吸収していくわけです。そして日本人の子どもであっても、ネイティブのような発音と流暢さでその外国語を話せるようになるということ。これは、敏感期の子どもに言葉に対する特別な感受性が備わっているからだというのです。

しかし敏感期が過ぎれば、同じように言葉を学習することはできなくなってしまうもの。つまり敏感期は、いつまでも続くものではないのです。成長段階の一時期にある能力を十分に育み、次のことへ注意を向けていくべきタイミングが来たとき、自然に消えていくものだということ。子どもはこうして多くの敏感期を経て、ごく短い時期に驚くべきスピードで多様な能力を育てていくわけです。

0歳から6歳までの乳児期・幼児期には、多くの敏感期が訪れ消えていくそうです。しかしモンテッソーリ・メソッドの基本的な考え方は、それ以降の子どもたちにも有効なのだとか。そこで本書の最終章では、7歳以降(24歳まで)を対象にしたプログラムについても触れられています。(75ページより)




冒頭で触れたとおり本書はモンテッソーリ・メソッドの解説書ですが、企業で働くビジネスパーソンや経営者の方が読んだとしても、社員を育てたり、多彩な人材を活かしたりするためのヒントが見つかるかもしれないと著者は記しています。そういう意味で、多くの人に響く内容だといえそうです。

Photo: 印南敦史