Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

社畜は死なず、ただ消え去るのみ

あまり自覚はないのだが、かつて僕は社畜だったらしい。インターネットで職場の愚痴を書き連ねているなかで指摘されたのだ。あなたは社畜だと。「海の家の店長代理として炎天下30日連勤」や「朝4時ヘルプ出勤午前中いっぱいマッシュポテト等仕込み調理従事/午後からは通常勤務(営業職)復帰18時まで」等々、今振り返ってみると、我ながら都合よく会社に使われていたと感心してしまうが、そういう僕の仕事ぶりが社畜と揶揄されてもまあ仕方ないとは思う。一昨日、数年間のリーマン生活を経て脱サラしてコンサルをやっている知人が僕の会社へ来た。商談である。どこかで僕がそれなりの立場にあることを聞いたらしい。簡単なプレゼンのあと、彼は「会社勤めをやめて良かった」「自分の力で未来を切り開くのは楽しい」「会社員なんてよくやっていられるな」と言った。さすがに社畜という言葉は使わなかったけれども、言わんとしていることの意味は同じだったと僕は確信している。お前は社畜だと。僕が社畜かどうかは皆さんの判断にお任せするが、少なくとも、ごくまれにジョークで言ったときをのぞき、つまり本気で、自分のことを社畜と呼んだことはない。社畜当時はそういう自覚が乏しかったからだが、素晴らしい職場環境で働いている今でもかつての自分を差して社畜と呼んだことはない。実際のところ、当時のことをディティールまで思い出すことは苦痛で仕方ないのだ。時折、ジョークで面白おかしく取り上げることはあっても、人に話せないような本当に苦しかったことは、まだ誰にも話していないし、文章にも出来ないでいる。消化できていないのだ。書き仕事の際、担当の編集さんからよくブラック時代のエピソードをリクエストされるのだが、そのたびにこめかみがズキズキし、目の前がクラクラする。ひとことでいえば、思い出したくないのだ。きっつー、なのだ。一方で、世の中には自分からすすんで社畜アッピール、ブラック勤務アッピールをしている人が存在する。それは個人の考え方なので他人の僕がどうこういうことではないし、実際に今、厳しい環境で働いている人の愚痴や文句なら、かつての自分がそうだったので理解できる。不思議でならないのは、冒頭に書いた知人のように、すでに会社を辞めて新たな会社で働いていたり、会社勤めから脱して晴れてフリーな立場になっているのに、社畜時代・ブラック勤務についての恨み節を唱え続けている人だ。厳しい環境から脱して新たな環境を手に入れたならポジティブに前を向いていけばいいはずだ。人生は短い。かつての思い出したくない環境のことを考えている余裕などないはずなのだが、暇なのだろうか。そういう人たちは僕のような人間を指して、会社に縛りつけられている社畜と嘲笑う。会社員なんてよくやっていられるな。こちらは自由に好きなことで生きていくよ、と。勝手にやればいいのに、なぜ、宣言が必要なのだろう。やはり暇なのだろうね。僕のように会社で働き続ける人間と、会社を辞めて晴れて自由になったのに、いつまでも会社や会社という仕組みに呪詛を吐き続けている人間、どちらがホンモノの、あるいは深刻な社畜といえるだろうか?会社に縛られているという意味では両者とも変わらないが、辞めてなお、自ら会社に縛られにいっている後者のほうがホンモノの社畜だと僕は思う。マジ尊敬の対象。まさか、思ったよりも会社がつまらなかったというだけで、たいしてブラックな環境でもなかったのに、かつての職場をブラックと呼び、社畜経験アッピールをしている人はいないと僕は信じているけれども、信じる者は救われないのが最近の世の中だから悲しい。本当にそういう人がいるなら、自分のためにブラックを利用しているので最悪だと僕は思う。あと、部長になった僕を訪ねてきた知り合いには「そんなに会社とリーマンが嫌いなら会社と取引しなければいいじゃん」つって商談を打ち切った。会社に使われている身でもそれなりのプライドはあるのだ。今、僕は自らの目標のために会社を利用して働けているのでまあまあ幸せである。(所要時間19分)