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「あの瞬間」何が起きていたのか? キーマンたちが初めて語るポケモン GOリリース直後の熱狂、その舞台裏【ポケモン石原恒和×ナイアンティック川島優志×ゲームフリーク増田順一】

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 2016年の夏、日本……いや、世界中が熱狂の渦に叩き込まれたゲームがあった。

 世界各国で多くの人がゲームに熱中する光景が報道され、普段はゲームをプレイしない老人や子どもまでもが、スマホを手に街中でゲームをプレイする姿が目撃された。読者の皆さんも、その光景は記憶に新しいだろう。

 そんな光景を「地球上」に出現させたゲームの名は──『Pokémon GO』(以下、『ポケモン GO』)だ。

 リリースされるや否や、瞬く間に世界中のアプリストアのランキングを席巻して驚異的なダウンロード数を誇った、ARを活用した位置情報ゲームである。

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(画像は『Pokémon GO』公式サイトより)

 『ポケモン GO』については、すでにひとつのゲーム作品を超えた社会現象にもなったアプリであるため、新聞やニュース番組などで内容を知っている人も多いかもしれない。

 簡単に説明しておくと、 Niantic, Inc.(以下、ナイアンティック)が株式会社ポケモンの協力を得て開発したアプリで、日本でのリリースは2016年7月22日(海外では、7月6日から順次リリース)だった。

  ユーザーが実際にいる場所の位置情報に連動して、人気ゲーム『ポケットモンスター』シリーズでお馴染みの「ポケモン」たちが画面に登場し、それを捕まえて遊ぶことができるというものだ。

 「リアルを舞台にゲームを遊べたら……」という夢を、世界的人気作品である『ポケットモンスター』と 位置情報ゲームを組み合わせることで、大規模な形ではほとんど初めて鮮やかに形にしてみせたアプリである。

 そんな『ポケモン GO』が巻き起こした社会現象の数々は、ゲームの歴史から見ても未曾有の光景だった。だが、意外にもこの『ポケモン GO』開発からリリースに至る舞台裏は、これまでほとんど語られてきていない。

 そこで今回、電ファミは『ポケモン GO』開発に携わった、ナイアンティック、株式会社ポケモン、そして『ポケットモンスター』シリーズを手がける株式会社ゲームフリークの三社の主要人物を招いて座談会を開催することにした。

 あの瞬間、彼らが目撃した光景はどんなものだったのか? 前代未聞の、リアルを舞台にした大規模ゲームの舞台裏を訊いた。

聞き手/稲葉ほたて斉藤大地
文/稲葉ほたて
写真/佐々木秀二


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左から川島優志氏石原恒和氏増田順一氏

ニュージーランドの数字に「そんなはずがない」

──『ポケモン GO』といえば、リリース直後、もう本当に世界各国の新聞やニュースが取り上げるような、まさに社会現象とでも呼ぶべき出来事を次々に引き起こしました。
 ところが、これを関係者がどう見守っていたのかは、あまり知られていないように思うんです。そこで今日は、まずはあの瞬間を皆さんがどう見ていたのかから、詳しくお伺いできれば……と。

石原恒和氏(以下、石原氏):
 まずオーストラリアとニュージーランドで配信を開始したのですが、なんだか数字がおかしいんです。

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石原恒和氏

 というのはたとえば、オーストラリアは人口が2000万人の地域なのに、1日で150万ダウンロードという数字なんですよ。

──えっと、計算すると……13人に1人ですか。まあ、おかしな数字ですよね。

石原氏:
 ええ。とても考えられない数値です。「それはオーストラリア全ユーザーのポテンシャルの話じゃないの!?」と話していました。というのも、それまでの『ポケモン』の展開で出てきた数字を考えても、ちょっと信じがたいんですよ。

 間違った情報を元に戦略を立ててはいけませんから、僕としては翌日からアメリカでサービスがスタートするにあたって、「そのおかしな数字を元に展開を予想するのはいかがなものか?」と考えていたくらいです。

──「そんなわけないだろう」と。では、今度はその数字を現場で把握していたナイアンティックの川島さんにも伺ってみましょう。

川島優志氏(以下、川島氏):
 私たちは素晴らしい数字として把握していました。ですが、この時点ではまだ私たちには、なんと言いますか……まだ嬉しい誤算の範疇にはあったんですよ。

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川島優志氏

 世界で最初となる2国へのリリースボタンは、『ポケモン GO』の開発を率いた野村達雄河合敬一というふたりの日本人プロダクトマネージャーが押したのですが、まだそのころは、「この数字なら日本でも、もっと早くリリースしたいよね」という話をしていたくらいです。

石原氏:
 当時はアメリカでリリースした2日後にヨーロッパで、そしてその週末には日本でのリリースを予定していたんです。

──この時点ではまだまだ皆さん、のんびりした雰囲気だったわけですね。その後、日本でのリリースを待望する機運がどうユーザーのあいだで高まったのかは……後ほど増田さんにお訊きしましょう(笑)。
 話を戻しますが、続くアメリカでのリリースは、どんな雰囲気でしたか。

川島氏:
 あのApp Storeのリリースボタンを押したのは、僕だったんです。リリースのボタンを押してアクティブになり、皆で「やった、やった」と言い合っていたのですが……その数時間後には社内がザワザワしていました。

 「どうも様子がおかしい」と言うんです。

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 事前にサーバー負荷の、想定のラインと最悪のラインを示したグラフを準備していたのですが、(手を上に少しだけ上げながら)事前の見通しのラインが「このへん」だとすると、もう(手を大きく上にあげて)こんな感じのグラフになっていたんです。完全に予想を超える数字になっていました……。

──エンジニアの予想をはるかに超える、異様な数字が叩き出されていた……。

石原氏:
 もう少し数字の話をすると、まずは「『Ingress』【※】が3年間で達成した“1400万ダウンロード”という数字を超えよう」というのがひとつの目標としてあったんです。

※『Ingress』
2013年末にアンドロイド版が公式にリリースされた、ナイアンティックが開発・運営するAR(拡張現実)を活用したスマートフォン向けゲームアプリ。緑(エンライテンド)と青(レジスタンス)の2つの陣営に分かれ、実際の地図上でポータルを奪い合う。 

 そのうえで次の目標としてあったのが、2000万ダウンロード。
 これは『ポケモン GO』の前にGoogleと一緒に企画した「ポケモンチャレンジ」というエイプリルフール企画が達成したYouTube視聴数で、これもぜひ超えたいな……と思っていたんですね。
 私自身は「超える可能性は十分にはある」と思っていましたが、それなりの時間はかかると見ていました。

 それは、これまでの歴史から判断していたことです。

 日本で『ポケットモンスター 赤・緑』(以下、『赤・緑』)が生まれたのは1996年ですが、じつは世界的なブームになったのは『金・銀』が出た1999年から2000年にかけてなんです。
 そう考えると、発売からだいたい2〜3年かかっているんですね。

──全世界2000万ユーザーなんていう数字は、その程度の時間がかかるものだぞ……と。

石原氏:
 まあ、私としてはできれば1年でそうなれば……と思っていました。
 おそらくナイアンティック側もそのぐらいのビジョンでサーバーや配置をイメージしていたんじゃないかと思います。
 ところが、ものの半日程度で「変なことが起きているぞ」という状況になった──それが私から見た、あの日の光景です。

 なにせアメリカの数字も、人口比からすると、やはりオーストラリアと同じ比率のようだと見えてきたわけです。そこで私は本格的に「これはただごとではない」と感じました。

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 かつて1990年代では2〜3年かかったものが、7日間で達成されました。じつに100倍以上の速度で世界全体に広がっていったわけです。
 もちろんその速度は、技術的にはいまのインターネットの時代が可能にしたものだと思いますが、それだけでは説明がつかないものでした。

そして、日本ローンチへ

──ここからの流れは、記憶が鮮明な読者も多いと思いますね。
 海外での『ポケモン GO』の異様な盛り上がりが報道されるものの、ポケモンのお膝元であるはずの日本では一向にリリースされない。ユーザーの期待の空気は、やがて失望に変わり、失望は苛立ちを生み……やがてTwitter上が一種の「集団心理」によって煽られ、炎上のような状態になっていったのを覚えています。
 ということで、そろそろ当時Twitterで本件のフロントに立っていた、増田さんのお話をお伺いしたいのですが……。

増田順一氏(以下、増田氏):
 いや、Twitterを見ながら「俺、たいへんなことになったな」と思っていましたよ(笑)。

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増田順一氏

一同:
 (笑)。

石原氏:
 あのときの増田君のTwitterの炎上ぶりはすごかったからねえ……。

増田氏:
 本当にドキッとするようなコメントが、リプライでいっぱい来ていたんです……。Twitterもブログも大荒れですよ。正直なところ、当時の話は僕にとって、その印象ばかりなんですよ……。

──僕も歴史の教科書に載ってるような“暴動”って、きっとこんな空気の中で起きたんだろうな……と思いながら、事の推移を見守っていた記憶があります(笑)。

石原氏:
 私も「これはちょっと危ないことが起きるかもしれない」と思い始めました。
 最初は増田くんに「ローンチ日の告知は慎重にしないといけないので、それまで何とか我慢してくださいね」なんて言っていたのですが、いやもう、そんな言葉すらかけられない緊迫した状況になってしまって……。

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増田氏:
 僕も、リリースされたら、ファンの皆さんと一緒に遊びたかったんですよ!

 でも、もうリリースされても公園とか行けないわけですよ……。だから、おとなしくひとりで遊ぶしかなかった(笑)。

──『ポケモン GO』をうかつに遊べないほど、身の危険を感じていた、と。

増田氏:
 こんなことになるなんて、思いもよらなかったですよ(笑)。

 ちなみに、僕はオーストラリアとニュージーランドのリリース時には、フランスのJapan Expoというイベントで3000~4000人ぐらいのお客さんを前にして、『ポケモン』の20周年について講演していました。
 20年前の自分の写真などを見せながら、「『ポケモン GO』というものがまもなく出るよ!」なんて宣伝して、一生懸命エッフェル塔などで撮った写真を使って、「こんな感じの画面だよ」とアップして(笑)。

 そんな感じですから、講演のあとに任天堂さんから「『ポケモン GO』がすごい数字らしいですよ」という話を聞いても、「へーそうですか。まあ、良かったなあ」ぐらいの感じでした 。

──その直後から、まさか危険を意識する日々の始まりになろうとは(笑)。

増田氏:
 まあ僕は内心、わりと高い目標を抱いていたのもありますけどね。

 だいたい、通常の『ポケモン』は全世界で見ると、約1400万本くらいの数字になるんです。でも、今回は「その10倍いってくれたらいいなあ」と思ってはいました。

 ……もちろん、1年くらいかけてですよ?

──はい(笑)。

ナイアンティックのエンジニアの奮闘

──確かに日本でのリリースの遅さについて議論はありましたが、リリースされてみるとサーバーの大きなトラブルは起きませんでしたよね。これはかなり凄いことだと思うんです。
 しかも、この日本でのローンチを急ピッチで進める一方で、想定外のサーバー負荷も捌いていたわけですよね。あの瞬間にエンジニアたちがどう奮闘していたのかも、ぜひ内部の光景としてお伺いしておきたいです。

石原氏:
 こうしたゲームは一度でもローンチしたら、飛行機に喩えれば「空を飛んでいる状態」になるわけです。だから通常はたいへんなことが起きたら、「最寄りの飛行場に降りて整備をしよう」という話になる。

 ところが、ナイアンティックのエンジニアは、そうしない──「絶対に飛行機は着陸させない。運行させながら、エンジンを取り換えればいいんだ」というアクロバティックな取り組みに挑み続けていました。

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 私は、エンジニアの皆さんの「動き始めたサービスは絶対に止めない」という“意地”をそこに感じましたね。
 それから半年くらいの期間、彼らは「遅延はあっても絶対にシステムは落とさない」という思いを守り抜いてくださいました。

──実際のところ、川島さんは内部でその光景をどうご覧になっていましたか?

川島氏:
  最初の1ヵ月などはもう、エンジニアはひたすら不眠不休の勢いで対応していました。

  走りながらも少しずつ計画を修正するのですが、いろいろな数字がその想定をすぐに超えていくんです。計画を作っては修正の繰り返し、です(笑)。

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 ただ、ナイアンティックは、Google マップを作っていたチームが主体だったんです。ですから大規模アクセスに対しての知見は積み重ねられています。
 最初の設計段階で、すでに通信量が少なくなるようなプログラム上の工夫があって、そもそもサーバーが落ちにくい効率的な設計にしてあるんです。

石原氏:
 Google マップは、落ちませんからね。
 彼らの仕事からは、そういうプライドのようなものが伝わってきましたね。

川島氏:
 しかもGoogleのクラウドチームが社内で専属のチームを結成して、基礎となるハードウェアの入れ替えの部分からしっかりと対応してくれたんですよ。
 あれだけ時間をかけてしまったのも、やはり「日本でのローンチは、ちゃんと整えてからにしたい」という想いからです。

──ああ、日本でリリースが遅れたのは、そういう理由からだったんですね。
 当時みんなやきもきしていて、「やっぱり日本は世界から取り残されていく国なのかな……」みたいな言葉まで出ていましたから、いまの言葉に安心する人もいるんじゃないでしょうか。

川島氏:
 ちなみに、日本のローンチ日に僕は金沢にいたんです。その日にはひと通り仕事も終わって、家族とゆっくりバケーションを過ごす予定だったのですが、もう日本ローンチがどんどんずれていってしまい(笑)、結局、初日がかぶってしまったんですね。

 そこで朝に、金沢駅で「誰かプレイしてるかな?」と思って、自分でも立ち上げてみたんです。すると、「すいません!Androidをお持ちの方ですか?」と突然話しかけられたんです。

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 「はいそうです」と答えると、『ポケモン GO』ってダウンロードしましたか?」と訊いてくる。どうやらその人は地元の新聞記者の方で、最初に話しかけたのがたまたま僕だったみたいなんです。

 「プレイしてる場面を写真で撮らせてください!」と言われて、「どうぞどうぞ」なんてやりとりしていたのですが、写真まで撮られたところで、「さすがにまずいかな」と思って正体を明かしました(笑)。

──ステマ騒動になっちゃいますね(笑)。向こうも、ビックリしたと思います。

事態を収拾に向かわせるために

──その後の『ポケモン GO』については、読者の皆さんも知ってのとおりですね。その後の数々の伝説の裏側についてもお訊ねしたくはあるのですが、なにぶん現在進行形で「運営」が行われているものなので言えないことは多いのかな、と……思います。

 ただ、どうしてもひとつお聞きしておきたいのは、やはり「安全性」の問題です。こういう生身の人間がリアルを舞台に遊ぶゲームは今後増えていくと思うのですが、やっぱり必ずこの問題に直面していくと思うんです。
 増田さんが外出するのを控えてしまうほどの、「社会現象」化した集団行動にどう向き合ってきたのかは、ぜひお伺いできる範囲で聞いてみたくあります。

石原氏:
 弊社には「Pokémon GO 推進室」という部署があるのですが、ローンチ後のテーマは「『ポケモン GO』をいかに推進しないか」でした(笑)。

一同:
 (笑)。

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石原氏:
 いま起きている現象をこれ以上加速させてはいけない──まずは「おとなしく運営する」のが大事だろう、と思いました。

 そして、いま目の前で起きている前代未聞の現象に対して、何ができるかを徹底して考えることにしたんです。
 プレイヤーにとって安全で快適な運営とは何か。その周辺で起きてしまった社会問題に対して、どんなふうにすれば解決できるのか。それらは、これまで私たちが対処してきた経験のない課題ばかりでした。

川島氏:
  『Ingress』も世界中から1ヵ所にプレイヤーを集めるイベントを開いてはいるんです。
 石原さんにも来ていただいたりして、2016年の東京でイベントを行った際は1万人くらいは集まりましたし、海外でも数千人のプレイヤーが集まります。

 最初のころは、人が集まることで地元の方に注意されたりしながらも、そういう知見を溜めてきた歴史はあって、地元のプレイヤーや警察との協力体制を築いたり、戦う場所を安全に遊べる場所に設定したりと、工夫してきたんです。

 ただ、今回はさすがに未曾有の事態でした。なにせ一時期に1ヵ所という話ではなく、もう日々世界中でそういう出来事が発生していくわけですよ。
 そこをどういう風にゲームとして対応していくべきか、チームは辛抱強く議論を繰り返していました。

石原氏:
 私たちも『Ingress』が3年間で先行した知見を勉強させていただいて、事前に対処法のシミュレーションをしてはいたんです。しかし、数字の桁が違いました。

 結局、1万人では有効だったやりかたが、必ずしも10万人では通用しない。公園に1000人集まったら「凄い!」となるけど、「ポケモンがたくさんいる!」と1万人集まったら社会問題になってしまう。
 花火大会みたいな大型イベントで、開催中止になった事例が数多くあります。そこに集まる集団の規模や滞留時間、密度、移動手段などに基づいたトラブルの事例などがあって、それを学ぶ必要があるんです。

 そういう意味では、何もかもが未経験という中で、世界中でいろいろな事態が進行してしまったのはあります。

──音楽フェスのような大規模イベントの運営ノウハウが、突如としてゲーム制作会社やIT企業に必要とされた感じでしょうか……。具体的な問題で言うと、どんなものがあって、どんな解決策があったんでしょうか。

増田氏:
 先ほど話にもあった、ポケモンがたくさんいることで公園に人が殺到するという問題は、それですね。
 でも、これって海外ではあまり問題にならないんです。というのは、日本の公園ほど、海外の公園は小さくないんですよ。

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──それは、それぞれの国の事情によるところでしょうね。その国のパブリックスペースが、どういう思想で作られているのかが、ゲームに反映されてしまうわけですね。

石原氏:
 交通機関のような公共機関や、あるいは神社仏閣の管轄をしているところが、どのようにポケモンを捉えているのかは調べましたね。
 たとえば、『月刊住職』のような雑誌に『ポケモン GO』特集などが組まれると、どういう宗派の人がポケモンをどう捉えているかがわかるんです。やはり、宗派によって違いがあるんですよ。

 こういう場所には、じっくりと考えてこういう提案をしないといけない。逆にこういう場所は迅速に対応したほうがいい、そういういろいろな判断を、いかに素早くやるかが大事になってくるんです。そんな話をナイアンティックさんと日々やりとりしていました。

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