歴史の『主役』に敗れたが「…に一度は勝った」「…が恐れた」と言われる”強い仇役”の談義(※一部、全敗武将の話も混入)
- gryphonjapan
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スレに挙がってるのだと42人+αなので、もうちょい頑張れば、「家康が最も恐れた男」で四十七士がいけますよ。あるいはIMO48(家康が最も恐れた48人)とかでも可。更に頑張って108人揃えて梁山泊を名乗ってみるのもアリで砂。 pic.twitter.com/bJhqikdCJW
2015-11-27 20:50:23昨年末くらいに出てきた「家康が最も恐れた男が多すぎる問題」に対して「誰に対しても等しく恐れたから嘘ではない」という明確な回答を示した真田丸最高 #真田丸 pic.twitter.com/uxfHe3MJyt
2016-02-28 22:11:15関ヶ原の西軍や大阪の陣の豊臣方への過度の思い入れ、会津観光史観なんかを思い出すわけです 岡田武史が語る、代表監督に必要な覚悟(飯尾篤史) - ロシアワールドカップ特集 - スポーツナビ russia2018.yahoo.co.jp/column/detail/… pic.twitter.com/sU8dIQVCSj
2018-06-09 09:07:19歴史でよく「敗者は勝者によって貶められる」なんて言われたりしますが、アレは半分ウソですね。同時に敗者は勝者によって常に「過大評価」されるんです。何故なら敵がつまらない連中ならそれに勝った勝者も評価されないからです。「勝者が作る歴史」には、「敗者の再評価」が必ずセットになってます
2018-06-09 09:13:38@1059kanri 山中鹿之助などは、再評価によって忠義者という評価を落とした武将でしょうか?昨今の南北朝ブームで、同じく忠義者の代表格である楠木正成公がどう評価されるのかが楽しみであります。
2018-06-09 09:16:57個人的には「歴史は勝者が作る」という考え方にも少々違和感を持っているタイプですが、「勝者の歴史」があった場合それは『敵はスゲー強かったけど、そのつえー敵に勝った俺たちもっとスゲェ』の集合体ですね。
2018-06-09 09:22:47@Ogatakuwagata 日清戦争や日露戦争の記録をまとめる際、客観的評価に対し「自分たちがどれだけ苦労したか評価されてない!」という苦情が殺到したとか
2018-06-09 09:28:30@1059kanri 「真田幸村」の名を一躍有名にした軍記もの『難波戦記』が江戸幕府老中の家臣らによって執筆された、というのがその一例でしょうか。
2018-06-09 09:29:55@1059kanri 正当性については下方修正、能力的には上方修正かな?と思います。 相手が『有能な悪人』でないと英雄になれないですから。
2018-06-09 09:31:30史学の世界も、確かに「勝利する」という事に対する評価が低い、というかそれを評価する姿勢自体が乏しい気がする。吉川弘文館も「敗者の日本史」だけでなく「勝者の日本史」も出すべきなんですよ売れないでしょうけど!
2018-06-09 09:33:32足利氏は敵を過大評価しすぎて失敗したパターンだと思っています。 twitter.com/1059kanri/stat…
2018-06-09 09:38:40@1059kanri 謙信「ぬぅ… 持ち上げたいのだが…」 義重「こいつぁ一体……」 三楽斎「どうしたもんかのぅ……」 氏治「さぁ、もっと褒めてくれていいのよ!!」(ニッコリ
2018-06-09 09:39:28@1059kanri 勝利とは「戦争に勝利する」という事ですので、軍事学的なものを嫌った戦後史学会の影響は大きいですかね。現代において、天下統一戦を勝利した秀吉の評価が(昔に比べて)どんどん下がり否定的評価が多くなっているのも、こうした側面があるでしょう。
2018-06-09 09:40:08@000627234 実は「英雄」になる必要はなくて、ただ単純に「評価」を求める実務レベルの人達にとって、相手が強くの攻略が非常に困難であった(でも成し遂げた)が表明できれば良いのです
2018-06-09 09:41:57鎌倉政権「平家も奥州平泉も一大勢力だったけど頼朝公のおかげで勝てましたわ」 足利親子「いやあ、楠木一族は強敵でしたね」 徳川家「三成の忠義は立派なものである」 明治政府「徳川の家臣は有能な人たちいっぱいいるから登用しまくるぞ」 twitter.com/1059kanri/stat…
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