RADWIMPSの新曲「HINOMARU」 | 今井絵理子オフィシャルブログ Powered by Ameba

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もうかれこれ10年以上になるかな。

私はRADWIMPSの楽曲に勇気や感動を与えてもらっている一人です。

新曲「HINOMARU」に対して色々な声があがっていることを知り、少しだけ想いを綴ります。

アーティストは作品を通じて純粋に自らを表現をします。
自らを投影したその作品が生まれると、まるで子どものように育み愛します。

受け手である私たちはその作品に共感したり、感動したり、救われたりするものです。

表現の手法は作家の自由であり、言葉遣いや色使いに正しいも間違いもありません。
決して誰かの同意や批判を得たくて作品をつくるわけでもありません。

出来上がった作品がすべてなのです。

誰にも伝わらない作品もあれば、世界中の人を共感の渦に巻き込むこともあります。
それが芸術というもの。

「HINOMARU」は軍歌のようだ。

「HINOMARU」は愛国心を表現しているようだ。

「HINOMARU」は言葉遣いがおかしいようだ。

作家の想いとは遥かにかけ離れた解釈によりこのような声がSNSを駆け巡っています。

その結果、この作品の産みの親である野田洋次郎さんが釈明と部分的に謝罪をする場面に出会い、とても複雑な心境です。

野田洋次郎という一人の作家の想いや考えをストレートに偽りなく歌詞に綴り、音を奏でることはいけないことでしょうか。

もちろん、受け手の解釈も自由であり、それをSNSで表現することも自由です。
しかし、それは「表現」という言葉こそ同じかもしれませんがアーティストのそれとは全く意味の異なるものです。

受け手の個人的な解釈の拡散により作家に釈明と謝罪までさせてしまう今の社会の風潮には賛成することができません。

野田洋次郎さんの作品は、巧みな言葉遣いや独特の造語、難解な言い回しを完成度の高い音楽にのせることにより、言葉では表現できないものを見事に伝えてきました。

これからも引き続き、野田洋次郎らしく、RADらしく、私たちにその世界観を伝えていってほしいと思います。

最後に。

右も左もない。
愛国心なんて言葉も関係ない。
でもHINOMARUを見たとき、なぜか本能的に、そう意味もなく、高まる気持ちがそこにある。
HINOMARUを背負うスポーツ選手をみると、理由なんてなく自分を重ねて応援する。
HINOMARUを背負って災害対応される方々をみると、私も何かできることはないかと自問する。
いつしか、ただこの土地で生まれたというだけで、目に見えないHINOMARUを背負っていることに気づき、日本人であることの誇りを覚えた。

私が抱いていたささやかな想いを、「HINOMARU」を通して野田洋次郎さんが表現してくれたような気がしました。

よしっ!
今日も朝から部会に行って参ります!
内容は音楽分野にも関係する「チケット高額転売問題対策法案」についてです。

ヘッドフォンから流れるRADWIMPSを聴きながら今日もがんばります!