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藤田和恵

非正規労働者 5年目の「ジェノサイド」 ―― 無期雇用への転換逃れか、相次ぐ雇い止め

2018/06/14(木) 09:50 配信

オリジナル

「これは非正規労働者に対するジェノサイドだ」――。雇用の現場でいま、そんな怒りが広がっている。今年4月から、パートやアルバイト、契約社員といった有期契約労働者が通算5年を超えて契約更新した場合、期間に定めのない無期雇用への転換を求めることができるようになった。ところが、この「無期転換ルール」のスタートを前に、各地で「無期転換逃れ」とみられる雇い止めが相次いでいるのだ。「非正規労働者が安心して働き続けられるように」という制度の目的とは真逆の事態。その現場を歩いた。(藤田和恵/Yahoo!ニュース 特集編集部)

提訴、そして人生初の記者会見

4月2日、午後。東京都内に住む小林麻里奈さん(40)=仮名=は、東京地裁の女子トイレにいた。ベージュ色の春コートを脱ぎ、持参した紺のジャケットに着替える。鏡を見ながら、エチケットブラシでほこりを落としていく。

ロビーに戻ると、チオビタ・ドリンクを一気に飲み干し、裁判所内の司法記者クラブへ。そこで人生初の記者会見に臨んだ。自分に向けられる大勢の記者とカメラの視線。声は時に震え、上ずった。

人生初の記者会見に臨んだ小林麻里奈さん=仮名(撮影:藤田和恵)

「採用時には『長く働ける』と言われました」「(家計を支える)私が無職からやり直すわけにはいかないんです。雇い止めは『死ね』と言われているのも同然です」

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新聞各社がそんな見出しのニュースを電子版で配信したのは、その夜のことだった。

訴状によると、小林さんは2018年3月末、派遣社員時代を含め7年半近く勤めた日本通運を雇い止めにされた。1年ごとに契約更新を繰り返す「支店社員」で、毎月の手取り額は17万円ほど。会社の制服を着て取引先と直接やりとりしていたほか、朝礼や職場会議にも出席するなど、正社員とほぼ同じ仕事をこなしてきたという。

夫は賃金水準の低い介護労働者で、小学生の子どもが1人。家計を主に支えていたのは小林さんであり、これでは生活できないとして勤務先を訴えたのだ。

東京地裁(撮影:藤田和恵)

改正労働契約法18条の意味

小林さんは、今回の雇い止めは「無期転換逃れ」だと訴える。

欠かせない戦力でありながら不安定な働き方を強いられている非正規労働者の雇用を安定させる――。それが、2013年4月に施行された改正労働契約法18条の狙いだ。リーマン・ショック後、非正規労働者の大規模な雇い止めが社会問題となったことをきっかけに、改正法はできた。

法によると、通算5年を超えて契約更新を繰り返した有期契約労働者が無期雇用への転換を申し込めば、企業側は拒否できない。この「無期転換ルール」の適用開始が今年4月。無期雇用になればクビにおびえることもなくなるため、小林さんもそれを心待ちにしていた。

2008年末、東京・日比谷にできた「年越し派遣村」。雇い止めされた人々らが炊き出しに行列をつくった。当時、リーマン・ショック後の雇用不安は全国を覆っていた(読売新聞/アフロ)

手取り額17万円からアパートの家賃約7万5000円などを差し引くと、もともと家計に余裕はなかった。それでも、子どもの食事や教育にかける費用だけは削るまいと、自分の昼食は約100円の1袋6個入りロールパンを何日かに分けて食べるなどして節約してきた。雇い止め後は、子どもの水泳教室をやめさせ、塾の受講科目も減らしたという。

3年前の契約更新で

小林さんによると、「無期転換逃れ」を疑わせる動きはあったという。今から3年前のこと。2015年6月に渡された雇用契約書に突然、こんな文言が加わったのだ。

「2013年4月1日以後、最初に更新した雇用契約の始期から通算して5年を超えて更新することはない」

一度も見たことのない一文だった。無期雇用になれないのではないか――。不安になって上司に尋ねると、「書式が変わっただけ。あなたの不利益になることはない」と説明されたという。

「5年を超えて更新することはない」と明記された契約書(撮影:藤田和恵)

いざ、「5年」が到来すると、会社の姿勢は一転し、小林さんは雇い止めされた。

「(法が変わって)5年を超えて契約すると、無期にしなくちゃいけないので(更新しないための)基準を設けた」「この基準は会社の労働組合とも話し合って決めた」――。上司らはそう説明したという。

同法には、契約満了後に6カ月以上の「クーリング期間」をはさんで再契約すれば、通算5年の契約期間がリセットされる、という規定もある。

ある上司には「ネットで『クーリング制度』って調べてごらん。下請けの会社で半年働いてまた戻ってくればいい」とも言われたという。

小林さんはこう振り返る。

「(更新しないという契約書は)不安でした。でも、非正規の私はサインするしかない。拒否すればクビになるだけですから。(半年後に再契約すればよいという話も)会社がこんな脱法行為を勧めていいのか、と驚きました」

「労働組合には加入していたので、会社と決めたという(取り決めの)書面を見せてほしいと頼みました。でも、断られました。毎月2000円も組合費を払ってきたのに……」

小林さんが勤務していた日本通運の事業所=東京都内(撮影:藤田和恵)

小林さんの代理人である海渡雄一弁護士は、法施行後に突然、契約書に新たな一文が加わったことなどから「この法律がなければ、彼女は(有期契約のまま)働き続けることができた可能性が高い。有期契約労働者の雇用安定を図ることが目的の制度なのに、そのせいで雇い止めに遭うなど、あってはならないこと」と話す。

日本通運広報部は「訴訟中のため、お話しできることはありません」と回答し、全日通労働組合の須藤栄一郎書記長は「会社と本人の問題なのでコメントはありません。(不更新に関する基準に組合が同意したかどうかは)答えることはできません」としている。

無期転換への対象者 約450万人

一定期間、同じ会社で働いた非正規労働者を不安定な状態で使い続けるのは、もうやめよう――。改正労働契約法18条はそうした社会的合意に基づくもので、対象者は推計約450万人に上る。しかし、パートや契約社員を “雇用の調整弁”と考える企業が「前もって雇い止めに走るのでは」という懸念は、法の施行時からあった。

「時給1500円に」と訴えるデモ。安定雇用を求める声も途切れない=2014年5月、東京(アフロ)

無期転換の適用を控えた今年3月、日本労働弁護団が無料電話相談を実施したところ、約100件の相談が寄せられ、「無期転換逃れ」と思われる雇い止めの実例が見えてきた。

典型的なケースは「法施行後に就業規則などが変更されて『契約期間は最長5年』といった上限ができた」「法施行後の契約更新時に『次回の更新はない』などの不更新条項が設けられた」「雇い止めと同時に6カ月以上先の再雇用を提示される(クーリング制度の悪用)」といった内容だった。

小林さんの訴えも、こうしたケースに該当する。

また、日本労働組合総連合会(連合)が2017年4月、「(法施行後の)労働契約の条件変更などの状況」について調査したところ、有期契約労働者の11.5%が「これまでに契約期間や更新回数に上限がなかったが、新しい契約では上限が設けられた」と回答している。

連合の本部=東京都千代田区(撮影:藤田和恵)

ルール活用の企業もあるが

無期転換はイコール正社員化ではない。賃金などの労働条件を正社員並みに引き上げる法的義務はなく、企業側の人件費が急増するわけではない。

人手不足が強まるなか、金融や外食、流通業を中心にこの制度を活用した企業もあった。三菱UFJ銀行は無期転換を前倒しで実施したほか、外食産業のジョイフルは全てのパート・アルバイトを一斉に無期転換。三越伊勢丹は月給制の契約社員を無期雇用に切り替えた。

連合の村上陽子総合労働局長も「傘下の労働組合に対し、無期転換への前倒し実施や転換後の労働条件の引き上げなどを呼び掛けてきました。懸念されていた大量の雇い止めは起きていないようです」と話す。

ただ、厚生労働省が各都道府県の労働局長あてに出した通達では、企業側のどのような対応が「無期転換逃れ」に当たるのかについてはほとんど明文化されていない。

海渡弁護士も「小林さんと同じような状況に置かれても、どうしていいか分からずにいる労働者は、実は大勢いるのではないでしょうか。(無期転換逃れは)有期契約労働者に対する人権侵害、ジェノサイド(虐殺)です」と言う。

新宿駅頭を行き交う人々。今や労働者の4割が非正規雇用だ(撮影:藤田和恵)

「トイレが長い」とまで言われて

三上咲さん(56)も仮名を条件に取材に応じてくれた。彼女はパート社員として4年半、ガス管敷設などを行う会社に勤務し、今年3月末にクビになった。現在は東京都労働委員会に対し、雇い止め撤回などを求めてあっせん申請中だ。

雇い止めはパワハラの延長線上にあった、と三上さんは言う。

「ある上司から『三上さんだけトイレに行く時間が長い』『暇そうにしている』『ミスが多い』などと言われました。身に覚えのないことばかりです。社外からの問い合わせ電話に『調べて折り返します』と答えたら、『みっともないことをするな』と叱責されたこともありました。ほかの人が同じ対応をしても、とがめられることはないんです。同僚たちも首をかしげるほど、嫌がらせは露骨でした」

せめてトイレに行く回数を減らそうと、ひざ掛けを買って下半身を冷やさないようにした。忙しいとされている部署への異動も願い出たという。全ては働き続けるためだった。

「(雇い止め後)ハローワークに行ったら、(勤続年数などを記した)離職票を一目見た窓口の相談員が『無期転換逃れの雇い止めですね』って」

取材に応じる三上咲さん=仮名(撮影:藤田和恵)

三上さんは長年、派遣社員として働いてきた。しかし、30代半ばを過ぎると、時給は下がり、雇用期間も短くなる一方。派遣会社の担当者からは「派遣のリミットは35歳」と告げられた。

夫は正社員だったが、リーマン・ショック後に勤務先の業績が悪化し、一時800万円ほどあった世帯年収は3分の1に落ち込んだという。彼女が派遣を辞めてパートになったのは「派遣に比べたら給料は低いけど、直接雇用のパートであれば次の仕事探しを心配することなく、安定して働ける」と考えたからだ。

2008年12月、リーマン・ショックに伴う緊急雇用・経済対策を発表する麻生太郎首相=当時(読売新聞/アフロ)

三上さんによると、今回の雇い止めやパワハラについて会社側は「数年後の利益見込みが不安定」「叱責や指示は業務遂行が目的」などと説明したという。

「悔しいです。上司の好き嫌いでクビなんて、奪われたものが大きすぎます。パートを何だと思っているのか」

怒りの声 各地でやまず

小林さんや三上さんのほかにも、各地で怒りの声はやまない。

東京では、医薬品などの製造販売会社に14年以上勤めた契約社員の女性(50)が東京地裁で係争中だ。また、派遣社員として17年近く都内の民間研究所に勤務した女性(59)や、大阪にある学校法人の非常勤講師らも、それぞれ個人加入できる労組に入り、雇い止めの撤回を求めている。

東京大学では、約8000人の非常勤教職員に対する「最長5年で雇い止め」という制度について、正規の教職員を中心とした「東京大学教職員組合」と各大学の非常勤教職員でつくる「首都圏大学非常勤講師組合」が連携し、撤廃させた。「首都圏〜」は日本大学や東北大学などでも、無期転換逃れが疑われる雇い止めの撤回を求めて交渉を継続している。

日本大学との団体交渉を前に、打ち合わせを行う首都圏大学非常勤講師組合のメンバー。日大側は今年4月、非常勤講師数十人の雇い止めを強行した=東京都内、今年3月(撮影:藤田和恵)

こうした動きを支える労働組合は、ほとんどが個人加入できるユニオン(労働組合)だ。小林さんも企業内労働組合の全日通労働組合に門前払いされて「ユニオンネットお互いさま」に、三上さんも社内に労働組合がなかったため「首都圏青年ユニオン」に、それぞれ加入している。

一方で、正社員を中心とした企業内労働組合の姿はほとんど見えてこない。

独立行政法人労働政策研究・研修機構の調査によると、法改正に関する情報をどうやって得たかを企業に尋ねたところ、「新聞報道など」が5割を占めたのに対し、「労働組合や労働者等からの提案」は1%に満たなかった。また、連合の2017年4月調査では、有期契約労働者の84.1%が無期転換への新ルールの内容を「知らなかった」と回答。肝心の当事者に情報が伝わっていない実態も浮き彫りとなった。

改正労働契約法に詳しい横浜の嶋﨑量(しまさき・ちから)弁護士によると、会社に法律を守らせ、非正規労働者を無期転換させるために尽力した労組もある。その上で、こう続けた。

嶋﨑量弁護士(撮影:藤田和恵)

「労働組合にとって、この法律は『非正規に冷たい労働組合』というイメージを払拭するチャンスです。法本来の趣旨は(無期転換によって)雇い止めの不安から解放された有期契約労働者が、ハラスメントや不当な働かせ方に声を上げ、安心して権利行使ができるような環境を整えることです。そのために、労働組合は単に無期転換の実現をゴールと考えるのではなく、(無期転換の過程で)非正規労働者を組織化し、正社員との待遇格差を是正し、さらには『非正規のために勝ち取った成果』を組織内外に積極的にアピールすることが求められています」

しかし、そこまで積極的に動いた組織は多くなかった。労働組合の組織率は2017年、17.1%。前年より0.2ポイント低下、労組の低空飛行は続いている。

「この法律に魂を吹き込むために、労働組合はなくてはならない存在ですが、現状、そこまでの役割を果たせたかどうか。反省すべき点もあると思います」

願いは「復職」だけ かなうか

日通を提訴した小林さんに初めて会った時。

彼女は「不安で、悔しくて……。夜眠れなかったり、突然泣きたくなったりします」と涙をこぼした。同時に、この時から一貫して「私はもう一度、日通で働きたいんです」と言い続けていた。

「多くの人がそうだと思いますが、私もこれまで勤めてきた会社では、長時間のサービス残業など、多かれ少なかれ違法な働き方を強いられてきました。それに比べ、日通は人間関係も良く、本当に働きやすい会社だったんです。40歳の私がこれから仕事を探しても、今以上の条件は望めない。それが身に染みて分かっているんです」

取材後、夜の東京に立つ小林さん(撮影:藤田和恵)

和を重んじる日本の企業社会で、提訴までした勤め先に再び戻りたいという働き手は決して多くない。小林さんはどんな覚悟を持って復職を願うのか。

「これは私だけの問題じゃない、と。世の中には同じような目に遭って、でも裁判までは起こせない――。そんな人が大勢いるんじゃないかと思っています」

今年3月、最後の出勤日。小林さんは会社の更衣室に文房具やスニーカー、ひざ掛けなどの私物を置いてきたという。「いつか必ず戻ってくるつもりだから」。そんな意思と希望を込めた。


藤田和恵(ふじた・かずえ)
北海道新聞社会部記者などを経て、現在フリーランス。

[写真]
撮影:藤田和恵、イメージ:アフロ


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