アインシュタインの旅行記発見 人種差別的な記述も

アインシュタインは1920年代に極東を旅行した際、日記をつけていた

画像提供, AFP/Getty

画像説明, アインシュタインは1920年代に極東を旅行した際、日記をつけていた

物理学者アルバート・アインシュタインが1920年代にアジアを旅行した際の日記が5月29日、発売された。日記には人種差別的で、外国人嫌いを思わせる記述が含まれていた。

この日記は1922年10月から1923年3月にかけて書かれたもの。極東地域や中東を旅した際の経験が記されている。

日記の中でアインシュタインは、否定的で見境のない一般化を行っている。例えば中国人は「勤勉で、不潔で、鈍い人々」だと表現した。

アインシュタインは人生の後半では、米国の公民権運動の支持者となり、人種差別主義を「白人の病気」と呼んだ。

アインシュタインの日記が英語で単行本として発売されるのは初めて。

アルバート・アインシュタインの旅行記:極東、パレスチナ、スペイン 1922年-1923年」は米プリンストン大学出版会から発売された。カリフォルニア工業大学アインシュタイン・ペーパー・プロジェクトでアシスタントディレクターを務めるゼエブ・ローゼンクランツ氏が編集した。

アインシュタインはこの時期、スペインから中東へと、当時セイロンと呼ばれていたスリランカを経由して中国と日本へ、2度の旅行をした。

アインシュタインはエジプトのポートサイドに到着した際、品物を売りに船に乗ってきた人々の様子を、「あらゆる色のレバント人が(中略)地獄から飛び出してきたかのようだ」と表現している。

また、セイロンのコロンボに滞在した際の記述では、現地の人々について「非常に不潔でかなりの悪臭がする地面に暮らし、ほとんど何もしないし、何も必要としない」と書いた。

アインシュタインの旅行には、妻のエルザも同行した

画像提供, Getty Images

画像説明, アインシュタインの旅行には、妻のエルザも同行した

しかしアインシュタインが最も辛辣(しんらつ)に批評したのは、中国人についてだった。

英紙ガーディアンが掲載した日記に関する記事によると、アインシュタインは中国人の子供を「気力がなく、鈍い」と説明し、「もし全ての人種が中国人に置き換わったら、残念なことだ」と書いた。

他の日の日記では、アインシュタインは中国を「奇妙な家畜の群れのような国」だとし、「人間というよりオートマトン(自動で動くロボット)に似ている」と記した。この 記述の前には、中国人男性と女性の間に「違いはごくわずかしかない」とし、女性の「危険な誘惑」に対して男性がいかに「自らを守ることができないか」について疑問符をつけた。

科学における才能と人道主義で名高いアインシュタインは、アドルフ・ヒトラーとナチ党の台頭を受け、1933年に米国へと移住した。

ユダヤ人科学者のアインシュタインは1946年、米ペンシルベニア州のリンカーン大学での演説で、人種差別主義を「白人の病気」だと表現した。リンカーン大学は、米国で初めて黒人に学位を授与した大学だった。

Presentational grey line

<おすすめ記事>

Presentational grey line