『WIRED』の守護聖人、マクルーハンとは何者だったのか? 『マクルーハンはメッセージ』を読み解く

『WIRED』はその創刊からこれまで、メディアというテクノロジーに誰よりも意識的で、そのデザインについてつねにコンテンツと同等の意味と強度を追求し、結果として他のメディアが追随しない領域を開拓してきた。そのDNAの源流が、マーシャル・マクルーハンだ。新刊『マクルーハンはメッセージ』において著者の服部桂は、マクルーハンの可能性を『WIRED』と重ねながら考察している。その服部とトークイヴェントを開催する『WIRED』日本版編集長の松島倫明が、独自の論点について解説する。
『WIRED』の守護聖人、マクルーハンとは何者だったのか? 『マクルーハンはメッセージ』を読み解く
PHOTO: GETTY IMAGES

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『WIRED』US版のクリエイティヴディレクターを務めるダヴィッド・モレッティは、最近のインタヴューで『WIRED』のデザインについてこう語っている。

「雑誌では、デザインはコンテンツそのものの一部です。枠組みを定めるだけでなく、感情を示唆することもあります。読者に影響を及ぼす可能性があるのです。特定の反応や、感情的な反応を呼ぶことがあります。『WIRED』では、そのことに大きく注意を払っています」

『WIRED』は創刊からずっと「デザイン」でも他誌と一線を画したメディアであり続けたわけだけれど、そのルーツをたどると、一冊の本にたどり着く。『メディアはマッサージである』というとぼけたタイトルのその本こそ、マーシャル・マクルーハンというメディア論のグルが書いたものだ。

彼は「メディアはメッセージである」という、いまやあまりにも有名なテーゼを掲げ、コンテンツではなくその容れ物であるメディアそのものが世界に働きかけ、人間の感覚を拡張しそのバランスを変化させていくのだと説いた。

『WIRED』共同創業者のルイス・ロゼットは、『WIRED』のスタイルを模索するなかでマクルーハンの主著『メディア論』の、いわばヴィジュアル版スピンオフにあたる『メディアはマッサージである』を手に取り、そこに答えを見出したのだと、服部桂の新刊『マクルーハンはメッセージ メディアとテクノロジーの未来はどこへ向かうのか?』では紹介されている。

『WIRED』US版創刊編集長のケヴィン・ケリーはかつてインタビューでこう語った。

「『WIRED』が雑誌として初めてやったことのひとつは、画像の上に文字を載せるということだった。それまでは文字を載せるのには印刷上も、デザイン上も、技術が必要だったしコストも高かった。『読みづらい』との批判もあったけれど、いつか人は慣れてしまったし、コストもかからなくなった。そう考えると『読むテレビ』や『観る本』が登場するのは自然の流れなんだと思う」

関連記事ケヴィン・ケリーが語る:「本」は物体のことではない。それは持続して展開される論点やナラティヴだ

『WIRED』が志向する、こうした革新的なデザインによるメディアと人間の感覚の拡張は、つまりはマクルーハンから受け継いだDNAだ。それを媒介したのが、『ホール・アース・カタログ』を創刊したことでも知られるスチュアート・ブランドだと言える。

そもそもマクルーハンの提唱した「グローバル・ヴィレッジ」とは、新しい電子メディアによって地球規模の「部族的な社会」が復活するという楽観的ヴィジョンで、マクルーハン理論を支持するブランドにとって、「ホール・アース」(全地球)という運動は、このグローバル・ヴィレッジの視点からもう一度人間と環境を捉え直そうとするものだった。

ブランドは1968年に『ホール・アース・カタログ』を創刊すると、80年代には「WELL」というパソコン通信によるコミュニティーを立ち上げたり、「ハッカー会議」や「サイバーソン」を開催するなど、西海岸を中心に先鋭的なデジタル・カルチャーを牽引していった。そこに加わったのがケヴィン・ケリーであり、彼が先に登場したルイス・ロゼットと出会い、『WIRED』が立ち上がると、マクルーハンは晴れてその「守護聖人」として迎え入れられるのだ。

見えてきた「新しいメッセージ」

こうした文脈の上に、ケヴィン・ケリーの近著『〈インターネット〉の次に来るもの』(服部桂・訳)を読むと、率直に言って、そこにはまったく新しいメッセージが読み取れるはずだ。『マクルーハンはメッセージ』において服部もまた、ケリーのこの本を最終章で挙げながらスリリングな接続を試みていて、それは例えば次のような表現に行き着く。

「マクルーハンを(情報)宇宙の力学を探ったニュートンにたとえるなら、ケリーはニュートン力学の限界を打ち破ろうとしたアインシュタインのような存在だろう」

もしなんのことだかわからなければ、ぜひ『マクルーハンはメッセージ』そのものにあたってほしい。

ケリーの『〈インターネット〉の次に来るもの』は、デジタルテクノロジーが引き起こす不可避な変化を12のキーワードで切り取って提示している。それはSHARING、FILTERING、REMIXINGといった現在進行形で表されていて、デジタルテクノロジーが引き起こす変化、あるいはそれによる社会や経済の仕組みの不可避な変化を示している。

だけれど、それだけではない。マクルーハンを読んだ後では、それらのキーワードがすべて、「人間」の拡張の話であることに、ぼくは刊行から2年がたった今になって改めて気がついた。シェアされ、リミックスされ、フローするのは、社会でもなければコンテンツでもない、それはまずそもそも、ぼくたち一人ひとりの「わたし」なのだ。第1章がBECOMING(なっていく)なのは、つまりは人間そのもののことなのである。

それは個人的には新しい地平を切り拓く気づきである。そんなことも、トークイヴェント「マクルーハンからみえるメディアの未来」で語れればと楽しみにしている。


『マクルーハンはメッセージ メディアとテクノロジーの未来はどこへ向かうのか?』(イースト・プレス)刊行記念
「マクルーハンからみえるメディアの未来」
服部桂 × 松島倫明 トークイベント

日時: 2018年6月21日(木)19時〜

場所: 青山ブックセンター本店(東京都渋谷区神宮前5-53-67 コスモス青山ガーデンフロア)

詳細・チケットはこちらから


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TEXT BY MICHIAKI MATSUSHIMA