私は妊娠3カ月半のとき、パートナーと別れることになり、突然「母子家庭」という状況に直面しました。当初は、自分独りでできないことを、あれこれ数えていました。バリバリ仕事をしてキャリアを邁進すること、エクササイズのルーティン、友だちづきあい、読書、夜食事に出かけること、映画に行くこと。

もしかして全然できないんじゃないの?

独りで子育てすると思うと怖くてたまりませんでした。

そういう不安は現実になったものもありましたが、ほとんどは杞憂だったと今なら言えます。何より驚いたのは、そんなことを心配している暇は、ほとんどなかったことです。片親で子どもを育てるのは、決して楽ではありません。娘と私の生活はジェンガゲームみたいだと思うことがよくあります。ヘタに動かすと一巻の終わりです。でも、何もかも自分で決めざるを得なくなると、むしろ上手に決められるようになります。子どものことに関しても、自分の時間や生活に関してもです。私が、「片親での子育て」から学んだことをご紹介しましょう。

家事や雑用はなるべく子どもと一緒にする

昨年の夏、私はハーフマラソンを走ることに決めました。今は3歳になった娘が生まれてから初めてのことです。ハル・ハイドンのトレーニング(お勧めです!)をしたのですが、トレーニング中に娘をパートナーに預けられなかったので、ジョギング用ベビーカーに娘を紐で縛りつけて、耐えがたいほど長いランニングに連れて行くしかありませんでした。最初はうまくいきませんでした。娘は何度も癇癪を起しました。どこにもトイレがないところで急におむつを変えなければならないこともありました。でも、最後は娘も慣れて、今では私とランニングするのが大好きです(何ブロックか私と並んで走ろうとして疲れ果てることもたびたびあります)。

娘は、大人がする退屈な雑用の多くを私と一緒にして楽しんでいます。娘と私は、食料品の買い出しから家の掃除まで、必要に迫られて何でも一緒にしています。楽しくないことも2人すると楽しくなります。ランニング中は、2人で小鳥や花のことをおしゃべりします。化粧品店のセフォラは娘が大好きな店の1つですが、私が店頭の化粧品をいろいろ見ている間、娘は自分の人形用に無料のスポンジと麺棒をごっそり手に入れています。

娘と一緒に過ごす時間は、読書やお絵かきなどして娘の中に眠る才能を磨きたいのですが、どうしても雑用に追われがちです。娘は身の回りの世界のことを学んでいます。こうした雑用も重要な労働であることを理解しはじめていたらいいなと思います。娘は戸棚を開けるといつも食べているお菓子が、魔法のように入っているわけではないとわかっています。私がお菓子を買うとき毎回一緒にいるからです。

自分のまわりで、子どもがモタモタしているのは嫌だという人もいますよね。その気持ち、私もすごくわかります。そんなときは、雑用は1度に1つだけするようにしましょう。子どもにこれから何をするか説明して、子どもが心を引かれるものは何でも触らせて、それで遊ばせましょう。

それを何度も何度も繰り返していると、最後はルーティンになって、親子で楽しみにするようになります。「ママ、一緒に用事を足しに行かない?」と娘から私は言われるようになりました。

NOと言えるようになる

私はNOと言うのがとてもヘタでした。娘が生まれる前だったら、友人から「1年間インドを旅したいから、その間、犬を5匹預かってくれる?」と言われても、断れなかったと思います。でも、今は、ほとんどのことを断っています。夜までかかる仕事関係のイベント。子どもを連れていけない集まり。隣人からのお願い事。だって、死活問題ですよ。私がいろいろなことを引き受け過ぎると、娘に必要なことがしてやれなくなりますから。

おもしろいことに、仕事でも上手にNOが言えるようになりました。私はデザインエディターなので、オフィスチェアーやスマートトイレのような魅力的な商品の宣伝を山ほど見ることになります。娘が生まれる前は、出来の悪い売り込み資料に時間を浪費した挙句、10分か15分も費やして丁寧な断りのメールを書いていました。でも、今は「お断りします」の一言で次に進みます。

これはさほど珍しいことではありません。ほとんどの人は子どもを持つと、何に時間を使うかしっかり選択できるようになります。でも、もしかしたらまだ取捨選択が不十分な人が多いかもしれません。私のまわりには、手に余るほどいろいろ引き受けてしまい、毎晩へとへとになっている人がたくさんいます。やたらとYESと言ってしまった結果です。

コツは、時間の使い方を取引のように考えることです。

隣家の植物に水をやってあげたり、職場で追加の仕事を引き受けることと、子どもと一緒に過ごしたり自分のための時間を作ることのどちらがより多く得るものがあるかしら?

そう考えると、10回中9回はNOという答えになります。こんな不愛想な言葉で自分の優先事項をはっきり口にするのは嫌だと思うかもしれませんが、実行してみると自分にできないことはすぐに断れるようになります。

周囲の子ども好きな人たちの手を借りる

ほとんどの人がそうだと思いますが、私もたまに息抜きをしたほうが良い親でいられます。幸い、自宅から10分以内のところに私の父母だけでなく、兄弟とそのパートナーたちも住んでいます。みんなで私の娘を溺愛してくれて、「みんなで子育てする」を絶対的なこととして受け入れてくれています。単に子守を買って出てくれる以上に、第2、第3の(第7までいます)親になってくれています。

特に私の両親は、集中的に子どものめんどうをみてくれています。ほぼ毎日私の娘と会っていますし、週に1度ぐらいは夜通し娘を見てくれます。その間に私は友人たちと会ったり、新しいボーイフレンドと出かけたり、自宅にいてNetflixを見たりしています(シングルペアレントにはこれこそ本物の贅沢というものです)。このやり方には明らかに利点があります。私は自分の時間を持てますし、独りで過ごす時間やほかの大人と過ごす時間を持てると、娘に対して忍耐強くなれます。

必ずしも近所に家族がいる好運に恵まれる人ばかりではないでしょう。でも、シングルペアレントであろうとなかろうと、子育て中の人は誰でも、自分のコミュニティに頼れる人を見つけて、罪悪感を感じずに助けてもらいましょう。誰だって可愛い子どもは大好きです。

自分の子どもがいない人や、私の母のようにリタイアした後、自分が人の役に立っていると感じていたい人は特にそうです。そういう人たちに子どものめんどうを見てほしいと頼むことは、相手に重荷どころかギフトをあげるようなものです。

ほかに留意すべきこととしては、子どもを預けたらこちらは一歩引いて、その人に親のように振る舞ってもらうことです。子どもとの関係について細かく口を出さないようにしましょう。子どものことで、当事者としての責任感を強く持ってもらうほうが、子どものめんどうをよく見てくれるでしょう。

子どもに親が苦しんでいる姿を隠さない

先日、私は死にそうに具合が悪くなり、歯を磨きにベッドから出ることさえできませんでした。ですから、娘の世話をするなんて到底無理でした。娘は「ママ、私がママの世話をしてあげるよ。わかった?」と言いました。そう言われて、ありがたくもあり、悲しくもありました。娘はまだ3歳なのに、もう自分が母親のめんどをみなければならないと思っているなんて。娘がそんなふうに感じるのは、私がすっかりおばあさんになってからだと思っていたのに。

あと、娘は私が大奮闘しているのを毎日目にしています。私がフルタイムで仕事をして、娘のめんどうを見て、さらにいろいろなことを山ほどこなしているのを見ていて、そのおかげで私たちの生活が、多少雑ではあっても快適に回っていることに気づいています。これだけ奮闘するのも当たり前です。家事労働は大変なんですから。

ですから、子育て中の人は、何かにイライラしたら、ストイックにトイレにこもって独りですすり泣いていてはダメです。子どもに対してオープンになるべきです。自分がどれだけフラストレーションを感じているか子どもに見せて、そういう状態とどのように折り合いをつけているか話しましょう(私の娘は、「ママはこれから、枕に顔をうずめて叫ぶわよ」と私にたびたび言われています)。

そして、気分が回復したら、そのことも子どもに伝えてください。そうすれば、ストレスがうまく解消されたことが子どもにもわかります。そして、子どもが大きくなったら、大変なときは苦しんだり、そのことを人に話したり、助けを求めたりしても構わないのだと思ってくれたらいいなと思います。


Image: Liderina/Shutterstock.com

Source: Hal Higdon, The New York Times

Suzanne LaBarre – Lifehacker US[原文