坂本龍一が韓国映画に出合って考えた、映画と音楽の関係性の「いま」

音楽家の坂本龍一が、このほど初めて日本以外のアジア映画の音楽を手がけた。その韓国映画『天命の城』を、なぜ選んだのか。何を思い、音を紡いでいったのか──。坂本へのインタヴューを通じて「答え」を探っていくうちに、彼が考える映画と音楽の関係性、そして映画音楽への向き合い方の移り変わりまでもが、くっきりと浮かび上がってきた。
坂本龍一が韓国映画に出合って考えた、映画と音楽の関係性の「いま」
PHOTOGRAPH BY KAORI NISHIDA

──今回、ファン・ドンヒョク監督の『天命の城』で初めて日本以外のアジア映画の音楽を手がけることになりました。アジアの映画には、いつごろから興味をもたれるようになったのでしょうか?

もともと台湾のエドワード・ヤン監督が大好きだったんです。亡くなってしまいましたが。彼の盟友でもあった侯孝賢、中国ではチェン・カイコー、また彼の撮影監督だったチャン・イーモウ、今では大御所になってますけど、そのあたりの監督たちの作品は追っていたんです。韓国の映画も80年代、90年代はそれほど関心を引かれなかったんですけど、近年はどんどん面白くなってきてます。香港映画も、タイ映画も、フィリピン映画も、アジアの映画はどこもよくなってきてますね。

この『天命の城』で描かれている歴史的事件[編註:1636年の丙子の役]の前には、豊臣秀吉による朝鮮出兵があった。最終的に朝鮮はそれを撃退しましたが、直後にこの事件が起こったわけです。朝鮮の歴史というのは、常に隣国である中国の政変に影響を受けてきた。そして、それは直接的にも間接的にも日本に影響を及ぼしてきた。朝鮮の歴史を知るということは、東アジア全体の歴史を知ることでもある。

そういう意味でも、今回の作品はとても興味深い題材でしたね。それと、もう一つ面白いのは、これは清が始まったばかりのころの話であること。そして、清の最後の皇帝を描いた作品が『ラストエンペラー』だった。これで清の始まりと終わりのころ、それぞれを題材にした映画にかかわったことになったわけで、それについては感慨深いものがあります。

──作中での音楽の使われ方が、とても抑制が効いているのが印象的でした。最近はほぼ全編で劇伴が流れているような作品も少なくないなか、無音のシーンもとても多い。それによって、音楽の流れるシーンがとても印象に残ります。

これでも音楽が多いくらいだと思います(笑)。確かに、最近の通常の映画に比べたら、音楽が使われている箇所は限られているのかもしれないですが、音量の大きさも含めて、このくらいがちょうどいいんじゃないかなって思います。音楽で引っぱっていったり、何かを押し付けたりする映画がぼくは本当に嫌なので。映画の中で風のように音楽が存在しているのがいいですね。まあ、風だったら風の音が聞こえてくればそれでいいんですが(笑)

──坂本さんが音楽を手がけた近作でいうと、例えば『レヴェナント:蘇えりし者』ではもっと音楽が前に出ていたと感じました。それはやはり、作品ごとに適正な音楽のあり方が違うということでしょうか。

『レヴェナント』でも、音楽が少ないと思った人は多かったみたいですよ。実際にあの作品では、2時間36分の作品で、2時間分くらいの曲を書いてるんです。でも、大半はそれこそ風のような音楽や、“ザーーーー”っていう音だったりして、いわゆる旋律のある音楽ではなかった。それを音楽だと思っていない人が多いということは、面白いなって思いましたね。そういう意味では、今回の『天命の城』のほうが音楽的と言えます。

──旋律がそこにあるという意味で。

はい。今回の監督とのやりとりで面白かったのは、最初はもっとセンチメンタルな、ちょっと韓国的なメロディも含んだ音楽もつくっていたんです。そうしたら、監督から「もっとモダンなものにしてください」って言われて。それで取り下げた曲もあります。監督はできるだけ韓国的じゃないものを望んでいたんです。

だから、韓国の伝統音楽と現在の音楽の融合というのがぼくのテーマではあったんですけど、それもあまり前面に押し出してもいません。時代劇だからといって韓国の伝統音楽に寄せるのは違うということで、そこでのバランスは慎重に考えましたね。

──映画音楽をつくるときは、ある程度の長さのものをつくってそれを素材として監督に預ける、というやり方が多いんでしょうか?

いや、あまり監督に預けるということはしません。0.1秒単位までオーダー通りに曲を仕上げていくのが通常のぼくのやり方です。監督と意見が合わなければ、それは映画では監督が決めることなんで、その意見に沿うように直します。素材として監督に預けるというのもたまにはありますが、少ないですね。

──なるほど。それでは坂本さんが映画音楽の仕事のオファーを受ける、受けないを決める基準はどこにあるんでしょうか?

完全に好き嫌いですね(笑)。ジャンルや内容や監督の名声などではなくて。ただ、題材が興味深いものであっても、映像の力が弱い作品はやりたくないですね。

原作も面白い、脚本も面白い、キャスティングも撮影監督もいい、監督の過去の作品もなかなかいい。それで仕事を受けて、失敗したことは正直何回かあります。そういう経験を経て、その単体の作品としての映像の力というのが判断基準になってきました。

別にそれは、壮大なスペクタクルだけではなくて、コメディでもなんでもいいんですけど、『これはいい』と思える画の力があって、初めて映画音楽というのは生きるんだと思います」

──坂本さんはまさにその先駆者のひとりであるわけですけれど、特に21世紀に入ってから、トレント・レズナーやジョニー・グリーンウッドを筆頭として、ロックやポップの世界から映画音楽の世界に参入する音楽家がどっと増えてきましたよね。

以前、『スコラ 第十巻 映画音楽』という本で映画音楽を取り上げたとき、自分も勉強し直しましたけど、1970年くらいを境に映画音楽って変わっていくんですよ。ロックバンドが映画音楽を手がけるようになったのは、もうその頃から始まっていて。

それまでは長いことクラシックのオーケストラが中心で、映画会社がオーケストラをもっていて、そこでミュージシャンたちを雇っている。映画会社には大きなスタジオもあって、そこで作曲家や編曲家も雇っている。それがどんどんアウトソーシングされていくことで雇用が切られていくんです。

それでも、まだ音楽的にはオーケストラが中心だったわけですけど、1960年代の頭くらいから、そこにまずジャズが入ってくる。そして70年代にはロックが入ってくる。それらは少人数の編成ですから、時間とコストの大きな節約になるわけです。それで、1977年にジョン・ウィリアムズが『スター・ウォーズ』の映画音楽を大きなオーケストラを率いて手がけるまで、どんどんロックやR&Bが映画音楽の大勢になっていくんです。

──『スター・ウォーズ』の音楽は、ある意味、そういう時代に対する逆行、反動だったわけですね。

そうです。それで映画音楽におけるオーケストラの音楽というのは少しは延命をするわけですけど、オーケストラからバンド、バンドからシンセへと、大きな流れとしては変わらなかった。いまはもう、コンピューターでひとりでもできますから。譜面が書けなくても、映画音楽が作れるようになった。ジョニー・グリーンウッドは譜面を書けると思いますけど、今度のルカ・グァダニーノの新作(『サスペリア』)を手がけるトム・ヨークはコード進行くらいしか書けないんじゃないかな(笑)

でも、コンピューターがあればひとりでできるし、そうじゃなくてもさらに少人数でつくれるようになった。だから、映画音楽の変化というのは、観客の好みが変化したというよりも、むしろテクノロジーの進化と密接にかかわっているんですよね。技術的な限界というのがなくなっていったことで、たくさんのミュージシャンに開かれていった。

──とはいえ、「誰にでもできると思って入ってくるなよ」みたいな思いはあったりしませんか?

全然ないです。そこにはテクノロジーの変化だけでなく、もちろん制作サイドが求める音楽の変化というものもありますから。特にこの10年くらい、映画音楽ではあまり強いメロディは求められていなくて、より記号的になってきています。

その背景には、いろんな音源のライブラリーが存在していて、それをコピペして、キーを変えたり、速さを変えたりっていうことが簡単にできるようになっているということもあって。だから、いい感覚さえもっていれば、比較的たやすく映画音楽がつくれるようになった。

そこにはいい面もあると思ってます。ぼくはそういう既製の音源みたいなものは一切使ってないですが(笑)。ただ、使っても使わなくても、聴いている人にはよくわからないところまできています。

──坂本さんがつくる映画音楽も、『戦場のメリークリスマス』や『ラストエンペラー』の時代とは違って、あまり強いメロディが残るものではなくなってきています。そこには、時代の変化と歩みを合わせているという側面もあるのでしょうか?

いや、ぼく自身の映画と音楽との関係に対する見方が以前とは変わってきたんです。メロディがある種のシグニチュアとしてその映画のために有効に働く場合もまだもちろんありますけど、それよりも邪魔だと思うことが多くなった。メロディのような、はっきりとした音楽的な構造をもったものは映画にとって余計なものだという感覚を、映画音楽全体のトレンドとは別に、ぼく自身も覚えるようになってきたんです。

映画音楽に限らず、ぼくが自分のためにつくっている音楽も、そういうアンビエント的なものを求める傾向が強まっているので、自分としてはそのなかで映画音楽もそうなっていったという実感の方が強いです。それに、はっきりしたメロディがないから映画音楽として弱いということはないんです。

例えば、『怪談』の武満さん[編註:作曲家の武満徹]の音楽は、メロディはまったくなく、単音が1分くらい続くシーンがありますけれど、それはとても強い音楽なんです。ただ、その音だけを取り出して、単体の音楽としてそれが強い音楽かと言われるとわからない。映画のなかにあったときに映像の邪魔をすることなく、それでも強く響くものであれば、それは映画音楽として強いものなんです。それは1足す1が2ではなく3になっている素晴らしい例なわけですけど、そういうものが理想ですね。

──1980〜90年代ころの坂本さんの映画音楽は、その当時につくられていた個人名義の作品とはかなり距離があったように思います。でも、最近はそのふたつの距離がかなり近くなっているようにも思うのですが。

『レヴェナント』があったから『async』があって、『async』があったから『天命の城』がある。そういうふうになってきているとは思います。昔はシンセでつくる自身の作品がメインで、映画音楽ではシンフォニックなものをつくるといったように、わりとはっきり分かれてましたけれど。

自分にとって最初の映画音楽は『戦場のメリークリスマス』で、あれはほぼ100パーセント近くシンセでつくった作品なんですが、あのままヴァンゲリスみたいにずっとシンセで映画音楽をつくり続けていくこともできたかもしれません。そのほうが普段やってることと同じでやりやすいし、弾いちゃったほうが早いし、譜面を書くのも本当は嫌いです。

実は『ラストエンペラー』のときも、ベルトルッチ[編註:映画監督のベルナルド・ベルトルッチ]の前にシンセとサンプラーを並べて「こんな感じでどうですか?」って実演したんですよ。そうしたら、「演奏者の衣ずれの音がしない」「演奏者の椅子のギシギシという音もしない」って言われて、「これは困ったな……」って(笑)。それでしょうがないから渋々、生でやったわけですけど、それによって、そのやり方が定着しちゃった面も大きいんですよね。

──でも、それによって映画音楽家として、いまの時代の音楽家には到達するまでの道すらほとんどなくなってしまった場所にまで行けたということでもありますよね。

そうですね。

──昨年リリースされたアルバム『async』は、海外でも高く評価されたどころか、ラップやダンスミュージックやオルタナティヴロックを中心に扱っている主要メディアからも注目されて、ケンドリック・ラマーやSZAの作品を抑えて年間ベスト1に選出していた英国の人気音楽サイトもありました。若いリスナー層からそのような支持が得られることは想像していましたか?

軽い驚きでしたね。あまりメディアや評論家の評価は気にしないですけど、かなり唯我独尊で、アヴァンギャルドなことをやっているのに、そういうところから支持を得られるというのはまったく予想してなかったし、素直に嬉しく思いました。

そこで思ったのは、むしろいまの時代って、わがままに、勝手気ままに音楽をやったほうが、世界中の若い連中は耳を傾けてくれるのかなということです。マーケティングとかセールスとか、そういう余計なことを考えてつくった音楽は、全部見透かされてしまうんでしょうね。

──映画音楽においても、ポップミュージックの最前線のシーンにおいても、もしかしたら坂本さんの音楽って、世界的には、いまがいちばん時代とリンクしているのかもしれないなって。で、それって本当にすごいことだと思うんです。

自分自身、最近は音楽家として、18歳から20歳くらいのころに考えていたこと、やりたかったことに戻ってきたような感覚があって。逆に言うと「その間の40数年間は何だったんだ?」って話になるんですけど(笑)

当時まだ60年代だったわけですけど、それこそフルクサスだとか、当時アヴァンギャルドだったものが最近になって再評価されてきている機運もありますし。そのころは自分も理知的な興味、知的好奇心からそういう新しいものを上っ面で取り込もうとしていたんですけど、それが約半世紀を経て、気がつけば本質的な、根源的な創作上の必要性として取り込もうとしている。

そして、そうした興味を、例えばワンオートリックス・ポイント・ネヴァー(OPN)のダニエル・ロパティンみたいな若いミュージシャンとも自然にシェアできている。それはとても勇気づけられることだし、ちょっと不思議な気持ちになりますね。

坂本龍一|RYUICHI SAKAMOTO
音楽家。1952年、東京都生まれ。3歳からピアノを、10歳から作曲を学ぶ。東京芸術大学大学院修士課程修了。78年『千のナイフ』でソロデビュー。同年、細野晴臣、高橋幸宏とイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)を結成。自身が出演し、かつ音楽を手がけた映画『戦場のメリークリスマス』(83年)での英国アカデミー賞音楽賞、『ラストエンペラー』(87年)でのアカデミー賞作曲賞、ゴールデングローブ賞最優秀作曲賞、グラミー賞映画・テレビ音楽賞など、受賞多数。『レヴェナント:蘇えりし者』(2015年)でも音楽を担当し、ゴールデングローブ賞作曲賞ノミネート。17年3月、8年ぶりのアルバム『async』をリリースした。「WIRED Audi INNOVATION AWARD 2017」受賞。PHOTOGRAPH BY KAORI NISHIDA


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TEXT BY KOREMASA UNO