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どのようにして地図やGPSが発展したのか?


Googleマップを使えば誰でも無料で世界中の地図を見ることができ、特定の場所までのナビ機能も使うことができます。おかげで、スマートフォンがなかった時代に比べて移動の便が大幅に改善されているはずですが、「地図」そのものは、もともとは「移動を便利にする」という目的で生まれたものではありませんでした。地図やそれに関連する技術がどのように発展していったのか、イェール大学で科学史の助教を務めるウィリアム・ランキン氏が自身の著書「After the Map」で述べています。

The Political Path to GPS - The New Atlantis
https://www.thenewatlantis.com/publications/the-political-path-to-gps

ランキン氏によると、「地図はもともと地理的な境界と政治的な境界の緊密なつながりを示すものだった」とのことで、「現代での地図の役割とは大きく異なる」としています。当初の地図に書かれていた情報は、識字率や所得水準、選挙結果に関する情報が色分けして示されたもので、目的地に向かうためのものではありませんでした。その後、地図は戦争などによって、目的地に向かうための用途で使用されるようになりました。

After the Mapでは、20世紀の間に登場したさまざまな地図システムについて述べており、これらの多くは当初に作られた目的とその後の用途が全く異なっているという特徴があります。ランキン氏は「地図の歴史を振り返ると『地図の共同作成』『地図製作グリッドの進歩』『衛星ナビゲーション』の3つのセクションに分かれている」と述べており、これらの歴史を知ることで地図やGPSなどの関連技術がどのように発展したのかを知ることができるとしています。


最初のポイントである「地図の共同作成」は、1909年にイギリスなど12カ国によって発足されたThe International Map of the World(IMW)によって開始されました。これまで、地図製作は各国がそれぞれ単独で行うことが主流でしたが、「世界各国が協力して、みんなで使用できる共通の世界地図を作る」という目的を実現するため、IMWの発足によって世界各国が協力して、共通の地図作りに励むようになり、地図に使用される基準記号や図形、色などもIMWによって設定されることになりました。この理想に心を打たれた国は多く、IMWに参加する国はのちに数十カ国規模にまで膨れあがります。しかし、第二次世界大戦が始まると、IMWが作り上げてきた成果が戦争に転用されるようになり、IMWが当初掲げていた目的が失われることになってしまいました。

2番目のポイントである「地図製作グリッドの進歩」は第一次世界大戦時に開発された爆撃用に作られた地図のグリッド線から始まりました。地図にグリッド線を追加することで、土地境界が明確になります。戦後になると、同じポイントで何度も測量を行う手間がなくなるという理由から、この技術が民間で幅広く使用されるようになります。しかし、当時のグリッド技術は、曲面の地球に対応できないという問題を抱えていたこともあり、後にさまざまなグリッドを採用した地図が登場することになります。


アメリカ軍では、複数の地図に分割することが可能なユニバーサル横メルカトル図法(UTM)の地図を使用するようになりました。UTMの地図は非常に正確ではありますが、欠点も存在しています。それは、赤道付近の地図が大きくゆがんでしまうというもので、後にベトナム戦争の舞台ともなるベトナム南部の地図が非常に不正確であったことがわかっています。これにもかかわらず、UTMは民間、商業、外交の分野で一般的となり、1994年のイスラエル・ヨルダン平和条約での国境線の修正や2006年に設定されたエリトリアとエチオピアの境界線の設定にも使用されています。

3番目のポイントである「衛星ナビゲーション」の始まりは1920年代から民間利用のために考案された電波航法システムから始まります。この技術は第二次世界大戦で大きく磨かれることになり、アメリカ空軍のナビゲーションシステム「Radio Range」は、異なるパターンのモールス信号を別の方向に飛ばすという仕組みを採用しています。戦闘機に搭乗しているパイロットはそれぞれのモールス信号が重なり、連続音に聞こえるポイントを飛行し続けることで目的地まで移動することができました。


ドイツ軍も同様のシステムを構築しており、こちらはRadio Rangeよりも正確なシステムを作り出すことに成功しています。ドイツ軍が採用したシステムは複数の拠点から目標に向かってビームを照射し、ビームが交差しているポイントを目的地として設定するというものでした。


そして、1970年代になるとアメリカでGPSが登場します。GPS衛星は信号の送信された時間を正確に読み取り、GPS受信機は信号を送信するのに要した時間を計算して、衛星までの距離を推測します。4つのGPS衛星を用いることで非常に高い精度で現在地を把握することができました。

このGPSが爆発的に普及するきっかけとなったのは、1991年に始まった湾岸戦争でした。当時の連合軍には軍用のGPS受信機が不足していたこともあって、軍で使用する9割もの受信機を民間の業者から買い集めていました。このGPS市場への多額の資金投入が、のちのGPS受信機のコスト低減とスリム化の両方を驚くべき速度で実現することにつながりました。

ランキン氏はAfter the Mapの結論に「ポケットの中にある政治」とタイトルを付けており、今やポケットに収まるサイズに小型化したスマートフォン搭載のGPS受信機など、私たちの世界にある技術革新は政治的な影響を強く受けたものであることを強調しています。

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in メモ, Posted by darkhorse_log

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