「低温調理」の世界は奥深い…!数学的に突き詰める低温調理マニアに安全な加熱の心得を聞いてきた

「低温調理」をご存知でしょうか?通常の調理(高温調理)では肉や魚をフライパンで焼いたり沸騰状態の鍋で煮たりしますが、低温調理は湯せんや炊飯器の保温機能を使って、比較的低い温度で加熱するというもの。肉や魚のみずみずしさを保ち、ジューシーにいただけるという利点があります。一見、良いことづくめのようにも思えますが、特に初心者が気をつけたいのは加熱不足による食中毒。そこで、英語の論文などを調べて低温調理について独自に研究を重ね、ブログなどで情報を発信しているNickさんに、低温調理の際の加熱のコツを聞いてきました。Nickさんは学生時代に数学を専攻、安全に減菌できる温度と時間のラインを数学的に探ることから、低温調理の世界に足を踏み入れたそうです。温度と時間の組み合わせ次第で食感が変わり、調理の可能性がグンと広がりますよ!(洋食のグルメガイド

「低温調理」の世界は奥深い…!数学的に突き詰める低温調理マニアに安全な加熱の心得を聞いてきた

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ここ数年で話題になり始めた新しい調理方法、「低温調理」をご存知だろうか。最近はラーメン屋のチャーシュー作りなどにも活用されている、肉の塊をジューシーなピンク色に仕上げるアレである。

沸騰状態の鍋で煮たり、油を引いたフライパンで焼いたりする調理に比べて、湯せんなどによって比較的低い温度で時間を掛けて熱を伝える低温調理は、独特の食感や瑞々しさが楽しめる画期的な方法。ただ、やっぱり怖いのが加熱不足による食中毒だ。

そこで低温調理に関する情報をブログツイッターインスタグラムで発信しているNickさんを友人宅で開かれた集まりに招いて、守るべき基本や美味しくするためのコツを、実際の調理を交えつつ伺ってきた。

Nickさんって誰?

まずNickさんとはどんな人物なのかという話から。実は私もネットを通じてしか知らなくて、この日が初対面という謎の存在だったのだが、実際に会ってみると20代後半のシュッとした男性だった。

2015年に一人暮らしを始めてから日常的に料理を作るようになり、その翌年には「調理時間を短縮して自分の時間を確保するため」に低温調理の世界へとハマっていく。仕上がるまで何時間もかかる低温調理がなぜ時短になるのかは、後ほどじっくり説明していく。

大学の専攻は生物でも調理でもなく数学で、現在は料理の世界とは関係のない企業で会社員として働いているそうだ。

ちなみに低温調理を始めた当初は、食材を美味しくするためという方向には考えておらず、安全に減菌できる温度と時間の安全ラインはどこだろうというところに興味があり、アメリカのサイトなどで論文を読んで情報収集するようになったとか。低温調理は理系のココロをくすぐるらしい。

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▲Nickさん(一番右)の話を正座で伺う、我々低温調理素人の一同。

2018年1月に自分のための忘備録として低温調理のレシピや食中毒の予防に関するブログ「Theory is the best sauce.」を始めると、普通のレシピサイトとは違った理系ならではの論理的な視点と客観的な情報が料理マニアなどの注目を集め出す。すでにこのサイトを通じて知り合ったプロの料理人達と、一緒にレシピ開発をしようかという話も持ち上がっているとか。アマチュアだからこその純粋な情熱が、プロの心をも動かしているのだ。

そんなNickさんに、今回は初見の台所で、豚肉、鶏肉、サーモンを使って3種類の低温調理をしていただくという無茶振りをした。お勝手なのに勝手がわからないとはこれ如何に。

 

豚肩ロースのレアチャーシュー

まず最初に作っていただくのは、豚肩ロースを使ったレアチャーシュー。なぜなら今日の会がラーメンを作って食べる製麺会だから。最近流行のラーメン屋が導入しているレアチャーシュー、あれが家で安全に作れたら最高じゃないですか。ということで、最高のやつをお願いします!

「チャーシューは作ったことないですけれど、やってみましょう。Anovaで芯温(中心温度)を上げてから、オーブンとフライパンで表面をカリッとさせましょうか」

Anovaとか芯温とか、あまり聞いたことのないような単語が今後もバンバン出てくるが、そのうち誰でも簡単に作れるレシピなんかも出てくるので、がんばって読み進めていただければ幸いだ。

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▲豚肩ロースの塊に、私が持参したラーメン用の醤油ダレ(醤油、みりん、塩、各種ダシなどを煮たもの)をフリーザーバッグに入れる。

今回のレアチャーシュー作りは、フリーザーバッグを使って真空状態にした肉を湯せんで加熱する「真空調理」であり、そのお湯の温度が通常の加熱方法よりもだいぶ低い「低温調理」。真空と低温を組み合わせて作る料理なのだ。

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▲水に沈めてしっかりと空気を抜いて密閉する。熱を伝えにくい空気の層が入ると、加熱不足の原因となってしまう。

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▲水圧でペッタンコになるので、肉を漬けるタレの量は少なくて大丈夫。

「肉は厚みが45mmくらいなので、61度で2時間半くらいですかね。低温とはいえ、あまり長く煮ると、だんだん味が抜けてきます。ただ豚肩ロースみたいに、味の濃い赤身と筋があってしっかりした肉の組み合わせなら、そこまで慎重にならなくても大丈夫ですよ」

湯せんに使用するのはAnovaという湯せん専用の機械だ。水の温度を一定に保ちつつ、水流を作ってくれるという低温調理のための便利グッズで、他社からも同様の商品が発売されている。

水流があるというのは湯せんによる低温調理ではとても大切で、容器内の水を撹拌しながら一定に保ってくれるため、場所によって水温が違うという問題が起きないのである。

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▲適当な容器(これは寸胴鍋だが、火に掛ける訳ではないのでなんでもいい)にお湯を入れ、設定温度の61度になったところで肉を入れる。

そして2時間半後、フニャンフニャンと柔らかく煮えた肉ができあがった。

「芯まで加熱されているからこのままでも食べられますが、食感が均一すぎておもしろくない。Anovaを使った料理はお湯から上げてからが勝負です! オーブンレンジがあるので、100度で60分、タレを掛けながら表面を乾かすように焼きましょう」

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▲フニャンフニャンの肉。これはこれで美味しいけれど、目指すゴールはもっと先にあるのだ。

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▲オーブンの皿にクッキングシート、網を敷き、そこに肉を乗せて100度で焼く。

さっきがAnovaで61度、今度はオーブンで100度だが、水と空気の熱伝導率の差があるため、食材の温度上昇が全く違う。

「この肉なら100度から110度の加熱で、途中でオーブンのドアを開け閉めすることも考えると、芯温が63~65℃になると思います。肉をオーブンで加熱するとき、熱気による温度上昇と、肉から水分が蒸発する際の気化熱による温度低下が同時に起こっていて、この2つの均衡で肉の温度が決まるんです。

オーブンの性能や個性によって違うので、設定温度は信じない方がいいです。僕の家のオーブンなんて130度に設定しても170度まで上がっちゃうことがありました。特に初めて作る場合は、オーブン内の温度、そして肉の芯温を温度計でチェックすることが肝心です」

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▲温度をチェックしつつ、肉にタレを掛けて味を染み込ませる。

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▲回転しないタイプのオーブンレンジであれば、このようなセンサー部分と本体がコードでつながった温度計を使うと、リアルタイムで確認できる。この細さのコードだと、挟んだ状態でオーブンのドアを閉めることができるのだ(できない機種もあるかも)。

こうして60分間焼いた肉は、表面が焼かれてさらにおいしそうになった。ただ、今回はここからもうひと手間かけるのだ。

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▲もう十分うまそうだが、さらに手間を掛けていく。

「よく焼いた脂身っておいしいじゃないですか。あれを作りたいのでフライパンでさらに表面を焼きます。あと醤油の焦げた匂いっていうのは、オーブンだけだと弱い。そこでフライパンで加熱して、ガっと香りを立たせます。もちろん焼き色をつける目的もあります。やっぱり人間は見た目からも美味しさを感じるので」

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▲フライパンでジュー。脂身部分は特にしっかりと焼く。一気に香ばしい香りが立ち込めてきた。

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▲少し肉を休ませたらできあがり。やっぱり焦げ目って大事!

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▲肉汁が溢れることなく、肉の中にとどまっている。

Anova、オーブン、フライパンという3種類の加熱をしたことで、その手間がそのまま味に反映されている。表面はカリッと香ばしく焼けていて、その内側から数ミリは程よく水分の抜けた焼き上がり、そして中心部分はジューシーで柔らかい。焼き加減の見事なグラデーション、まさに食感のマトリョーシカだ。Anovaはお湯から上げてからが勝負という言葉の意味が理解できた。

「なかなかうまくできましたね。色も弾力もちょうどいいと思います。ラーメン屋のレアチャーシューって、たまにこれダメだなっていうのがありますよね。加熱が足りない、レアと生を区別できていない店がありますが、これが火の通ったレアチャーシューです」

一見するとちょっと生っぽいけれど、ちゃんと火が通っているレアがどういう状態なのかを知っておくことは、己の身を守るという点でも大切なのだ。

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▲うまそうに見えると思いますが、その通りです。すごくうまいんですよ。

今回は3ステップの工程で作ったが、オーブンの低温だけでじっくりと焼くという方法もある。Nickさんとは別の友人が作ってきてくれたチャーシューは、豚肩ロースを醤油、ナンプラー、蜂蜜などのタレに一晩漬けて、ひっくり返しながら120度で2時間、さらに100度で2時間加熱するというシンプルなレシピだったが、これもまた中心部がしっとりとした仕上がりでうまかった。

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▲しっかり焼かれているけれど柔らかい肉という感じで、これもまたうまい。

ちなみに私が作ったのは、ラーメン用のスープでしっかりと煮込んで、醤油ダレに漬けこんだもの。チャーシューではなく煮豚ですね。

材料自体はみんな豚肩ロースだが、加熱に対するアプローチの違いで、肉の食感や水分量が全然違うのがおもしろい。

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▲しっかり火を通した煮豚。みんなちがって、みんなうまい。

 

鶏モモ肉のオーブン焼き

続いては鶏モモ肉を使った低温調理レシピの実演だ。今度はフライパンで焼き目をつけてから、オーブンで全体に火を通すという流れで、Anovaみたいな特殊な機械は使わない。

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▲鶏モモ肉の肉側に重量の1パーセントの塩を擦りこむ。

「本当は塩をした鶏肉を冷蔵庫でラップせずに冷蔵庫で一晩寝かせて、水分を飛ばしてから加熱したいのですが、今日は時間がないので『ピチット』という食品用脱水シートで強制的に水気をなくしましょう」

ピチットとは、水あめや海藻の成分を特殊なフィルムで挟んだもので、浸透圧の力で水分を抜いてくれる便利グッズ。ちょっとお高いけど、燻製や干物作りの強い味方だ。

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▲皮側にピチットを貼って冷蔵庫へ。

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▲そして4時間後、皮の水分がそこそこ抜けた。

「これを弱火で8分、フライパンで皮側だけ焼きます。脂には臭みがあるので、拭きとってください。

これで皮側の3割に火が通るので、残りの身側の7割を100度のオーブンで40分焼きます。そのとき皮は上にしてください。オーブンの熱を皮が受け止めてくれることで、皮から水分が抜けてさらにパリッとします。そして身側への熱の進行が緩やかになるため、身はジューシーに仕上げられるというカラクリです」

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▲にじみ出る脂をふき取りながら弱火で皮を焼く。

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▲皮側の3割だけ火が通った状態。

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▲今度は皮側を上にして100度で40分ほど加熱。

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▲胡椒をかけたら完成。皮はパリパリ、身はしっとり。

焼き上がった肉をさっそくいただくと、口に入れた瞬間からうまい。材料はスーパーで普通に売っている鶏モモ肉で、味付けは塩と胡椒なのに。こりゃすごい。

さっきのチャーシューもそうなのだが、調理時間こそ何時間も掛かっているが、それは待ち時間が長いだけであり、手間としては大して掛かっていない。

「そうなんです。低温調理って全然時間が掛からない時短料理なんです。キッチンに立っている時間は本当に短くて、焦げたり吹きこぼれたりという心配がないので、設定した後は放っておけばいいですから。最近のAnovaなんてWi-Fiでリモート操作もできるから、帰りの時間が遅れそうな場合は、出先から設定温度を低くして火入れを止めたりもできます。忙しい人ほど低温調理がオススメです」

できあがるまでに何時間も掛かるけれど、実際に手を動かす時間は長くても30分以下。自分の時間を有効活用するための調理方法、それがNickさんの低温調理なのだ。

 

サーモンのミキュイ(半生)

最後に作っていただくのは、お刺身用のサーモンを使ったミキュイである。ミキュイ(mie cuit)とは、フランス語で半生という意味。肉類よりもさらに低い温度で加熱することで、食べてビックリの食感を生み出すのだとか。

「お刺身って生で食べられるじゃないですか。あれは新鮮な魚なら細菌リスクが少ないので、生食してもお腹を壊さないよねっていう理屈です。ミキュイはその考えを推し進めたもので、加熱温度は40~45度。そもそも殺菌を目的とした加熱ではないので、必ず刺身用として売られている新鮮なものを使用してください。

この温度帯はどうしても菌が増えやすいので、加熱時間は20分とか長くても30分まで。タンパク質を熱で変性させて食感を変えるために、若干のリスクをとっていく料理なんです。分厚い魚だからと2時間とかやってしまうと、やっぱり細菌リスクが上がってしまいます」

なんと殺菌を目的としない加熱である。これまでで一番ピンとこない調理方法だと思うが、その作り方は至って簡単だ。

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▲鶏胸肉などでも最近おなじみのブライニングからやっていきます。

「まずはブライニングでサーモンを下処理しましょう。氷水500グラムに塩25グラム、砂糖20グラムを溶かした溶液に柵のまま入れて、冷蔵庫で5時間寝かせます。塩分でサーモンのタンパク質の構造を一部壊し、砂糖で水分を補うんです」

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▲料理というか理科の実験っぽい。Nickさんはこうみえて一日にタンパク質を600グラム食べることもある大食らいだそうです。

水分をよく拭きとったら、浸る程度の油と一緒にフリーザーバッグへ。これを42度で20分間湯せんする。今回はAnovaを使っているが、40~45度を20分間キープするだけなので、給湯器と温度計だけでも十分可能。なんだったら一緒にお風呂に入るだけで作れるだろう。

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▲熱の伝わりを良くし、サーモンの臭みを逃がすために油を入れる。今回はオリーブオイルを使ったが、香りのないサラダオイルがベター。

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▲真空状態にして42度で20分間湯せんする。

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▲お湯から上げたら、細菌の繁殖を止めるために袋ごと氷水で急冷する。

「これでもう出来上がりです。ブライニングで味が入っているので、醤油などはいりません。ちゃんと臭みが抜けていれば、サーモンの甘みを感じられると思います。このまま箸でほぐして食べてください。食感は生と茹での中間みたいといっても意味がわからないですよね。ミキュイはミキュイなんです。ミズダコとかでやると最高ですよ!」

目の前に出されたのは、生とはちょっと違うけれど、火が通っているという訳でもない状態のサーモン。まさにミキュイ、半生である。これに箸を入れると、筋肉の繊維に沿って簡単にほぐれて驚いた。なんだこれ。

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▲箸で簡単にほぐれた!

まったく味が想像できないまま食べてみると、生の鮭フレーク状態で驚いた。なるほど、ミキュイはミキュイだ。食べた全員がびっくりするというマジックみたいな料理である。生でも焼でも、なんだったら炙りでもよく食べるサーモンに、こんな魅力が隠されていたのか。

今回は低温調理の入り口をちょっと覗かせていただいた程度であり、Nickさんのレシピはまだまだたくさん存在するし、安全性の話も多数掲載されている。気になる方は、ぜひブログをご確認ください。

nick-theory.com

 

美味しくて安全な加熱温度と時間とは

せっかくなので、Nickさんから伺った話をもうちょっと紹介させていただく。ご興味ある方はぜひどうぞ。

── 低温調理の情報って、ネットだとソースが謎なやつが多いですけど、Nickさんはどこから情報を集めているんですか?

「僕のブログでは、必ず参考文献を詳細に明記しています。基本的に低温調理とか真空調理はアメリカが本場なので、漁るのは英語の論文です。論文って自動翻訳ソフトだとまともに訳してくれないんで大変ですけど」

── 論文!ちなみにお腹を壊したりしたことは?

「全然ありません!」

── 根本的な話なんですけど、低温調理のメリットとデメリットを教えてください。

「たとえば肉を普通にフライパンで焼くと、どんなに上手に焼いても水分が20~30%失われます。それが低温調理だと水分の喪失量が7~10%に抑えられ、肉全体に独特のジューシー感がでます」

── 確かにどの料理もジューシーでした。

「ただ、その均一なジューシー感が嫌いだっていう人もいます。上手に焼いたレアのステーキなら、食感にグラデーションがありますよね。そういう感じは低温調理だけで作るのは難しいです」

── それで湯せんだけじゃなく、フライパンやオーブンの加熱も併用しているんですか。

「『湿熱調理』と『乾熱調理』があって、水分が豊富にある状態で加熱するか、乾いた状態で加熱するか。それと水と空気の熱伝導率の違いですよね。湯せんは前者、オーブンやフライパンは後者」

── なるほど。湿熱調理が水餃子、乾熱調理が焼き餃子みたいな違いですかね。

「あえて均一な食感を作らずに食感ムラを意図的に実現するというのは、低温調理だけでも熱伝導方程式を解けば、絶対にできると思います!

ただAnovaなどの湯せんだと、水分が気化しないので、表面が湿った状態で仕上がり、どうしてもカリッとはいかないし、香ばしさや焦げ色は出ないので、乾熱調理との組み合わせが有効なんです」

── 熱伝導方程式! 私にはついていけない感じが最高です! どんどんと走ってください! ところで低温調理の肉って赤い肉汁が出る場合がありますけど、あれって大丈夫ですか?

「肉の赤い色って、ミオグロビンっていう筋肉内の色素が規定しているんですけど、それは60度くらいで褐色になってきます。でも気をつけるべき食中毒細菌が死に始めるのは53度くらいからなので(詳しくは『牛肉に付着する食中毒原因細菌・寄生虫13種類の死滅温度一覧』53度から60度の間で十分加熱すれば、それは赤いけれど安全な肉です。だから色っていうのはあんまりアテにはなりません。

ただ肉がグネグネしているのは、肉が50度に達しておらず、ミオシンっていうタンパク質が変性していない証拠なので、それは危険です」

── やばいレアチャーシューだ。初心者が低温調理をするうえで、美味しくて安全な加熱温度と時間はどのように考えればいいでしょう。

「美味しいと安全というのは結構違う話なんです。まず安全の話ですが、一番怖いのは食中毒ですよね。基本的に細菌やウイルス、寄生虫をやっつけられればいいのですが、やっつけられるかどうかは、温度と時間の関数だと思ってください。何度で何時間、そして芯温がその温度に達するのはいつかで安全管理できます」

── 牛乳の殺菌のように、温度が低ければ加熱時間を長く、高ければ短くということですね。具体的な数値の目安は?

「これから始める人は、とりあえず厚生労働省の『*63度30分』という加熱基準を守るといいと思います。ただこれは63度のお湯にドボンと30分つければいいという意味ではありません。肉の中心温度である芯温が63度まで上がってから30分です。この芯温がいつ目標温度に達するかが大切で、そこはちゃんと温度計で測った方がいいですね。慣れてくれば、経験や熱伝導方程式で導き出すことも可能です」

*例:厚生労働省医薬食品局食品安全部による『豚の食肉の基準に関するQ&Aについて

▼なお、こちらは「63度30分」と同等の加熱条件を算出しているNickさんのブログ記事。数式がたくさん出てくる。
nick-theory.com

 

── 『美味しく』という意味では、どんな温度が理想ですか?

「低温調理の味に慣れてくると、63度という温度だとタンパク質から味がぬけてくるのがわかってくるので、たとえば牛肉なら54度4時間とか。

厚生労働省の63度30分は結構保守的な数値で、アメリカだと豚と牛に関しては63度3分とか、鶏なら71.9度に達したらOKとか、国によって安全基準が変わってきます。そこは論文ベースで新しい知見が出るたびにアップデートされていくものなので。

ただ、細菌が繁殖しきった状態だとバイオフィルム(菌が集まって作る固まりのようなもの)ができてしまうので、常温で1日置いておいたような肉を同じ方法で殺菌できるかといったらNOです。菌って群れでいると強いんですよ」

── 鮮度のよい肉を清潔な環境で使うのが大前提だと。

「フリーザーバッグを洗ってまた使うとか絶対ダメです。また食べる側に気を付けていただきたいのが、体調の悪い時は刺身とかのナマモノを避けますよね。それは低温調理でも同じです。妊婦さんだとトキソプラズマ症やリステリア症などの危険を避けるため、守るべき安全基準が変わってきます(詳しくは『低温調理/真空調理で食中毒を予防する5ステップ』)」

── 食べる人に合わせた配慮も必要なんですね。

「プロの料理人になると、そもそも殺菌の必要がないようなレベルの鮮度の良い肉を仕入れて、弱く加熱する場合もあります。一般の人が買える肉とプロが持っている肉では細菌リスクのレベルが違うので、本当に美味しさを求めるなら、素材にこだわらないとダメですね。小売と業務ルートの品質差は大きいので、プロのクオリティに追いつくのは難しいと思います。

さらにいえば、肉の部位にもよって温度は変えるべきであり、たとえば親の羊であるマトンと仔羊のラムだったら、柔らかいラムの方が低い温度で加熱したほうがいい」

── 奥が深い!

「とはいっても、普通に加熱したお肉も美味しいですよね。今日の豚肩ロースも、3つどれも美味しかったじゃないですか。どういう仕上がりを求めるか次第。結局、低温調理といっても調理法のひとつですから。そのうち低温調理っていう言葉もなくなるんじゃないですか」

── わかりました。とりあえず温度計は絶対に買います!本日はありがとうございました!!

 

今回のレシピまとめ

【豚肩ロースのレアチャーシュー】

1. 豚肩ロース肉と醤油ダレ(醤油、みりん、塩、各種ダシなどを煮たもの)をフリーザーバッグに入れ、しっかりと空気を抜いて密閉する。
※水に沈めながら密閉するときちんと空気が抜ける。

2. Anovaを61℃に設定し、肉を2時間半加熱する。

3. オーブンの丸皿(ターンテーブル)にクッキングシート、網を敷いたら、加熱された肉をのせ、オーブンで焼く(100℃で60分)。その際、タレをかけながら乾かすように焼く。
※オーブン内と肉の芯温を温度計でチェックすると良い。

4. オーブンから肉を取り出し、フライパンで一気に焼き目をつける。
※脂身部分は特にしっかり焼くと良い。

5. 肉を少し休ませたら、お好みの厚さにカットして完成。

 

【鶏モモ肉のオーブン焼き】

1. 鶏モモ肉の肉側に重量1%の塩をすり込む。

2. 鶏モモ肉をラップをかけずに冷蔵庫で一晩寝かせ、水分を飛ばす。時間がない場合は食品用脱水シートなどを皮側に貼って脱水する。

3. 水分が抜けたら、弱火で8分、フライパンで皮側を焼く。その際に出た脂はキッチンペーパーなどで拭き取る。

4. 皮側を上にした状態にし、オーブンで加熱する(100℃で40分)。

5. オーブンから肉を取り出し、胡椒をかけたら完成。

 

【サーモンのミキュイ】

1. 塩25g、砂糖20gを入れた氷水500gに生食用のサーモンをサクのまま入れ、冷蔵庫で5時間寝かせる。

2. サーモンを取り出し、水分をよく拭き取ったら、サーモンが浸る程度のサラダ油(オリーブオイルなどでも代用可)とフリーザーバッグに入れる。

3. フリーザーバッグを42度で20分間湯せんする。
※Anovaを使っても良いが、給湯器と温度計を使っても良い。

4. 湯から上げたらフリーザーバッグごと氷水につけて急冷する。

5. 袋から取り出し、器に盛り付けたら完成。

 

お話を聞いた人

Nickさん

ブログ:Theory is the best sauce
Twitter:https://twitter.com/fish_and_Nicks
Instagram:https://www.instagram.com/nick_theroy/

 

プロフィール

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玉置標本
趣味は食材の採取とそれを使った冒険スペクタクル料理。週に一度はなにかを捕まえて食べるようにしている。最近は古い家庭用製麺機を使った麺作りが趣味。

ツイッター:@hyouhon
ホームページ:私的標本
製麺活動:趣味の製麺

玉置標本「みんなのごはん」過去記事一覧

                             
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