データをめぐる「新時代の冷戦」が、いま静かに始まった

かつての冷戦と同じような対立が、今度は「データ」をめぐって起きている──。かたや巨大企業が個人情報を現代の通貨として取引している米国、そして対するEUは一般データ保護規則(GDPR)の施行によって「個人情報を人々の手に取り戻す」ことを目指す。この「新時代の冷戦」は、今度どう展開していくのか。セキュリティ専門家による寄稿。
データをめぐる「新時代の冷戦」が、いま静かに始まった
個人情報の管理をめぐり、異なる2つの立場の人々が覇権を争っている。一方は、個人情報を管理する権利を各個人に完全に委ねるべきだと主張しており、もう一方は個人情報を「開かれた市場で取引される商品」だと考えている。IMAGE BY HOTLITTLEPOTATO

米国の新聞は連日のように、貿易戦争が起きると喧伝している。トランプ大統領が輸入品に高い関税を課す政策を熱心に勧めており、これが引き金となるのだという。あおるような大げさな見出しが躍り、紙面やニュースサイトはひどいありさまだ。

しかし、いま本当に懸念すべき戦争は、もっと静かな対立である。データの保護をめぐる「新時代の冷戦」とでも呼ぶべき戦いが 、静かに起こりつつあるのだ。

政治関連データの分析を手がける選挙コンサルティング企業、ケンブリッジ・アナリティカがフェイスブックから個人情報を不正入手したとされる問題は、新たな冷戦を象徴する事態だ。そして、EUの一般データ保護規則(GDPR)の施行によって、データ保護を巡る争いはますます激しさを増すだろう。

「個人情報」という現代の通貨

かつての冷戦では、米国率いる西側の資本民主主義と旧ソ連が率いる共産独裁主義とが、世界の覇権をめぐって争っていた。ふたつの世界観が国際舞台で戦いを繰り広げていたわけだ。

この争いに決着をつけたのは、戦場における軍事力ではなかった。最終的には、西欧諸国のとてつもない生産力が勝利を収めた。広がりを見せる中流層に向け、資本主義はテレビや自動車、政治的自由を提供した。共産主義はこうした報酬を何ひとつ差し出せず、惨めに敗北した。結局、勝利をものにしたのは、市民に多くを提供できる社会だった。

新たな冷戦では、「個人情報」という現代の通貨をめぐって争いが繰り広げられている。勝敗は、誰がデータを支配するかで決まる。

対立している側の一方は、「個人情報を管理する権利は完全に各個人にある」と信じている。彼らにとって、個人情報は体や個人資産と同じで、支配権は本人にある。それに対して、もう一方の側は、個人情報を「開かれた市場で取引すべき商品」と考えており、ほかの商品と同じ市場原理が働くはずだとみなしている。最もイノヴェイティヴで効率的な企業が勝つというわけだ。

EUは個人の利益を守ることを第一にしており、GDPRが示す規制には説得力がある。個人情報の保護にまつわる規則をEU全体で共有し、すべての企業はどの国でも、EU加盟国の市民がもつ「個人情報を管理する権利」を尊重するよう義務づけている。違反すれば厳しい罰則が課される。

欧州市民の個人情報を利用したい場合は、情報の利用手段について本人から同意を得なくてはならない。さらに市民は自分の個人情報にアクセスする権利、消去する権利、さらに「忘れられる権利」をもっている。

EUの方針は個人情報保護の主流になるか

こうした状況の対極にあるのが、米国と米国の巨大企業だ。利益を得るために個人情報の取引を行い、その内容はほとんどチェックされないまま広がってきた。

個人情報はそれぞれ自分で管理すべきだという考えがある一方、その管理を企業に譲り渡すべきだという考えもある。さらに第3のアプローチとして、国家が情報を管理すべきという考えもある。中国の社会信用システムとして提唱されたものだが、いまのところ中国国内の政策にとどまっている。

しかし、情報保護について意見の異なる者同士が、いつまでも主導権争いを続けていられるわけもない。商取引の規模はどんどん拡大して国際化の度合いを増し、個人情報はやすやすと国境を越えていくようになった。こうした状況では、対立するモデルなど同時に共存できないことは明らかだ。

GDPRが導入される直前、EUの方針が個人情報保護の主流になる気配が濃厚だった。世界の国々がGDPRに即したモデルを採用し、早々とEUの情報保護方針の優位性を認めている点も根拠となっていた。EUの基準に「適合」しているとEUから正式に認められる国は着実に増えつづけ、日本や韓国もあとに続くだろう。

EUのリーダーたちは当時、明確な意図を表明していた。欧州委員会で規制を担当するヴェラ・ヨウロヴァーは2017年、米国のニュースメディア「PILITICO(ポリティコ)」に次のように語った。

「われわれがグローバルスタンダードをつくり上げたいと考えています。われわれにとって個人のプライヴァシー保護は最優先課題なのです」

したがって、EUというこの強大な経済ブロック圏で活動したい企業は、そのポリシーを遵守しなくてはならない。

米国でもGDPRに近い規則を設ける動き

米国ですら、より厳しい個人情報保護の方針を導入しようという動きが見られる。政府が主導する「プライヴァシー・シールド」というプログラムで、EUの基準に達している企業に対して承認を与えるというものだ。ただし、EUの“プライヴァシー至上主義者”は、このプログラムの実効性を疑問視している。

さらに、米国でも最も信頼度の高い企業数社は、米国民以外の個人情報の権利を尊重しようと努力を重ねている。ごく最近では、マイクロソフトが米捜査当局から情報提出を求められたことに異議を申し立て、最高裁判所まで持ち込む法廷闘争になった例もある。

同様に、各州が住民を守るため、GDPRに近い規則を定めている。例えば、ニューヨーク州は最近、サイバーセキュリティに関する規制を制定した。

このように、多くの企業が「GDPRに準拠」するため、大きな犠牲を払ってでもデータ保護に取り組もうとしている。米国の商業界でも、個人情報保護にまつわる制度を確実に統一してほしいという要望が高まっている証拠といえる。

しかし、EUの方針が主流になりつつあるとはいえ、一部の大手企業はいまも個人情報の自由取引を続けようとする姿勢を崩していない。

第1に米大手企業の多くは、体系的な変化を望んでいない。フェイスブックやグーグル、アマゾンといった米国の巨大データ企業の経済力は、“無料”のサーヴィス上で個人のユーザー同士が自由に情報を交換することで成り立っている。『ニューヨーク・タイムズ』が指摘した通り、「どんなかたちであれユーザー情報の利用を抑制されれば、広告収入に頼るインターネットのビジネスモデルが危うくなる」はずだ。

「壁崩壊」のような歴史的な出来事になるか

第2に、国の法律をつくる立場にある政治家は党派争いにとらわれていて、GDPRのような超党派の法案を通す方向で足並みが揃わない。簡単に言えば、米国の政策に根本的な修正を求めるほどの民間からの圧力はない、ということだ。

こうしたすべての状況が、これから変わってゆくかもしれない。フェイスブックとケンブリッジ・アナリティカの問題が発覚して以来、フェイスブックがデータ保護にどう取り組んでいるかについて、監視の目が厳しくなった。

こうした傾向は、キューバ危機のように敵対関係が一瞬にしてドラマティックに燃え上がったあと、例によって「ビジネスの問題」として収束するのだろうか。それとも、ベルリンの壁が崩壊したのと同じような衝撃的な結果を招くのだろうか。学生時代に歴史を専門としていた身としては、そこが気になるところだ。

いずれにしてもわれわれはいま、歴史の転換点に立ち合っているに違いない。個人情報を管理する権限を最大限、市民に与える体制が勝利を収める日は近いはずだ。

18年は、プライヴァシーを保護する権利が基本的人権として人々の意識に刻まれた年として記憶されるだろうか。それとも、罰金や訴訟、政治的な圧力を何カ月や何年にもわたって重ねた揚げ句、現状維持で終わるのだろうか。