「低能先生」は止められない…「ネット殺人」の不都合な真実

「個人的恨み」が動機ではないからこそ

誰でも被害者になりうる

ITセミナー講師が、見ず知らずの男に突然刺殺された――6月24日から25日にかけて、衝撃的なニュースがネット上を駆け巡った。被害者は、ネットセキュリティ関連会社社員であると同時に、「Hagex」という名でブログを運営していた人気ブロガー/ネットウォッチャーの岡本顕一郎氏であることが、早期に明らかになった。

インターネットが誕生した時、誰でも自由に、不特定多数に情報発信できるツールとして、人々はその大いなる可能性に期待したものである。実際、本稿を読んでいる皆さんも、そして私自身も、FacebookやTwitter、ブログ等を通して自分のことを世界に発信する行為が、「日常」の中に入り込んでいる。

ネットの普及前であれば、そのような不特定多数への発信は、一部の限られた著名人やマスメディアにしかできないことであった。ソーシャルメディアの登場で、革命的に情報発信の民主化が起こり、「一億総メディア時代」が到来したといえる。

しかし、今回のような事件はこれまでに類を見ない。容疑者ははてなブログユーザであり、「ネット上のやりとりで恨んでいたので、殺そうと思った」と供述しているという。しかしその一方で、容疑者と被害者は面識がなかったばかりか、ネット上でインタラクティブな交流を密にしていたわけでもないことが分かっている。

つまり本件は、多くのメディアが言及しているような「ネット上での諍いによって被害者に強い恨みを抱き、殺害に至った」事件であるとは言い難い。そして、そこが最も恐ろしいところなのだ。

 

この事実をどう捉えればいいのか。我々は情報社会の未来のために何をすべきなのか。ここ数日の私の悩みは、そこに尽きる。

私はこれまで、統計学・計量経済学という学問の視点から、ネット炎上を中心としたソーシャルメディアの実態に関する研究を行ってきた。一部は後述するが、研究を通して、炎上参加者の実数や、その影響力をいかに見積もるべきかといった知見も得てきた。

だが少なくとも今回の事件は、個人間の諍いや恨みつらみが「本質的な原因ではない」。だからこそ、この事件は「表現」と「暴力」という問題について、より重い意味を持っている。なぜなら、それが示す事実は、「情報発信者であれば、誰がいつ被害者になってもおかしくない」ということに他ならないからだ。

本稿では、過去の実証研究も参照しながら、できるだけ客観的な視点から本件を考察し、我々はこの情報社会の中でどう生きるべきかを検討したいと思う。

本当に「個人への恨み」が動機か?

そもそも、事件はどのようなものだったのだろうか。全体像は今後の捜査によって明らかになっていくと思われるが、改めて、現時点で分かっている概要を簡単にまとめる。

事件が起きたのは6月24日の20時頃。被害者のHagex氏は、17時半から福岡市内のイベントスペースで「ネットウォッチ勉強会」というイベントを開催、講師を務めた。その終了後に同施設内のトイレに立ち寄ったところ、容疑者に背後から執拗に刺され、殺害されたとみられる。

容疑者の42歳男性(無職)は、九州大学に8年間在籍したのち中退し、福岡県内のラーメン店で働いていたが、約3年前に退職。近年は親からの仕送りを受けながら、一日中自宅でパソコンに向かっていたようである。また、数年前から他のネットユーザに対して「低能」等と中傷する書き込みを行うようになり、そのことから「低能先生」と呼ばれるようになったユーザと同一人物であることが、供述から明らかになっている。

さて、過去の書き込みなどを調べても、少なくともオープンな場において、Hagex氏が容疑者に対して過剰に誹謗中傷を繰り返したり、二人が激しい口論を交わしたりしていた様子は確認できない。「ゴメンね低ちゃん」などと揶揄するような投稿はあるものの、被害者を殺害しようと思うほどの強い恨みを抱く理由としては、不十分だろう。

ほかにHagex氏が「低能先生」について言及しているエントリには、ブログの中で彼を誹謗中傷を繰り返す「荒らし」として紹介し、自身もその対象となるたびにはてな運営に通報していることを明かしているものがある(2018年5月2日「低能先生に対するはてなの対応が迅速でビックリ」)。そのエントリでは、「『低能先生です』と通報するだけで、3分後にはアカウントが凍結された」旨を述べている。

しかしこの投稿でも、Hagex氏が「低能先生」に対して誹謗中傷を繰り広げているとまでは言えない。

では、なぜこのような事件が起こってしまったのか。それは、容疑者のものと思われる匿名の投稿から推察することができる(なお、この投稿は逮捕後の供述から容疑者のものであることが確定した)。

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