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オウム事件死刑執行、その正当性と今後の課題を考える

江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授
(写真:Natsuki Sakai/アフロ)

 今国会後にはあるかもしれない。そうは思っていたが、存外早く、その日が突然やってきた。しかも、オウム真理教教祖である麻原彰晃こと松本智津夫のみならず、教団組織の各部署のトップであり、6人の元弟子たちもほぼ同時に執行された。

 麻原の判決が確定してすでに12年。オウム裁判最後の被告人である高橋克也(地下鉄サリン事件運転役、無期懲役が確定)の裁判が1月に確定しているので、そこから6か月以内に執行するのが法律の建前である。当局には、平成の大事件である本件は、平成のうちに区切りをつけようという意識もあっただろう。様々な皇室行事を避け、政治的思惑や憶測を回避しようとして、今の時期となった事情は理解できる。凶悪事件の首謀者であり、多くの信者に犯罪を実行させた麻原が、最初に執行されるのは当然だ。

 ただし、元弟子6人を教祖と同時に執行したのは、極めて遺憾であった。

教祖は、心の病のせいで事実を語れなかったのか???

「真相は闇の中」か?

 麻原が執行されたことについて、マスメディアでは、まるで決まり文句のように「真相は闇の中」というフレーズが使われる。彼は裁判中に精神を病み、心神喪失状態になって、何も語れなかったのだとして、執行は不当と訴える人たちもいる。

 そういう人たちは、裁判をちゃんと見ていないし、裁判に関する記録や報道も丹念に読んでいないのだろう。裁判は、判決公判だけ見ればすべてが分かる、というものではなく、また、裁かれたのは、麻原だけでもない。彼を含めて192人のオウム関係者が起訴された。その裁判を通し、事件の動機も含め、刑事事件としての真相は概ね明らかになっていると言える。

 確かに、麻原自身の口から事件の真相めいた事柄が語られたことはない。そのことに、納得できない人がいるのは当然である。ただ、残念ながらそれは彼自身が選択した結果だ。その無責任さを責めることはあっても、それを心の病のせいにするのは違うだろう。

自身の法廷では意味不明、他の法廷では…

 麻原は、自身の法廷で、1996年10月の井上嘉浩(地下鉄サリン事件等で死刑、今回執行)に対する弁護側反対尋問、同年11月の広瀬健一(地下鉄サリン事件実行犯、死刑)への反対尋問の時に、激しい介入を行ったが、2人の証言態度は変わらず、審理妨害のもくろみは功を奏さなかった。それ以降、不規則発言で退廷させられたり、次第に意味不明のことをつぶやいたり、法廷で居眠りをするなどの、一見すると異常な状況が続き、被告人質問でも何も語らなかった。

 ところがその一方で、彼は弟子の法廷に呼ばれた時には、結構饒舌に語っていた。心神喪失どころか、自らを防御するための実に合理的な対応もとっていた。

批判した元幹部を恫喝

 たとえば、1997年6月には林郁夫(地下鉄サリン事件実行犯、無期懲役が確定)の法廷に証人として呼ばれたが、宣誓を拒否。その態度に、林が他の信者の名前を挙げ、「あなたは彼女にも及ばない」と批判すると、麻原は激高。

「クリシュナナンダ(林の宗教名)、いい加減にしろ。お前のエネルギーが足から出ているのが分からないのか、まだ」

などと恫喝した。

合理的な防御行動

 1999年9月、豊田享(地下鉄サリン事件実行犯、死刑囚)と杉本繁郎(同事件運転役、無期懲役が確定)の法廷でも、麻原は宣誓を拒否しようとした。裁判所は、目が見えない彼のために、書記官が代読し、麻原には署名指印のみを求めたが、

「危険だ」

などと嫌がった。読まれた通りの文章が紙に書かれているのか確認できないため、警戒したらしい。ところが、杉本の弁護人が、教義を話題に水を向けると麻原はやおら饒舌にしゃべり始めた。弁護人は機転を利かせ、自分で宣誓文を書けばいいのではないか、と提案。白紙に麻原は自筆で宣誓文を書いて署名した。余計なことを書き込まれないようにだろう、余白部分は手で切り取る周到さだった。こうした行動は、警戒心の強い彼が、自分を守るためにとった合理的な行動と言えるだろう。とても心神喪失状態にある人の行動ではない。

都合が悪くなると英語まじり、意味不明に

 ただ、宣誓をしたことで、この後彼は、弁護人から事件について厳しく追及されることになった。麻原は、教義についてはよく語ったが、事件については自己の関与を否定し、途中で英単語まじりの意味不明の発言になった。

 豊田の弁護人から「あなた、都合が悪くなると、英語をしゃべっているように見えるんだけど、そうじゃないんですか」と喝破された時には、意味不明の答えを返すしかできなかった。

 さらに麻原は、かつての弟子である豊田や杉本からも追及を受けた。杉本から、「もういい加減に目を覚まして、現実というものを認識したらどうですか。いつまでも最終解脱者だとか、教祖とかいう幻影に溺れていてもしょうがないでしょう。今のまんまじゃ何の問題も解決しない。分からないですか」とたたみかけられると、麻原は不機嫌そうに

「お前、黙っていた方がいいと思うけどな、そろそろ」

などと言い返すのが精一杯だった。

裁判長に「失礼だね」と反論

 これに懲りたのか、その後は、弟子たちの法廷に呼ばれても、宣誓を拒否して証言拒絶を続けた。2002年2月に中川智正(坂本弁護士一家殺害などで死刑、今回執行)の法廷では、書記官が代読した宣誓書に署名指印を求められると、

「他人の代読に対し、署名指印することはできません」

と拒否。自分で宣誓するとして、

「真実に従って、何事も隠さず、偽りを述べない証言をすることをここに誓います」

と述べたが、わざと読めないようなぐちゃぐちゃの字で署名した。裁判長から「これでは署名とはとても言えない」と言われると、

「失礼だね」

などと応答し、再度の署名を求められても

「もう、署名書いたよね」

と言って拒否した。あとは

「仏陀のお父さんは私だよ」

など、関係ないことを好き勝手に喋って終わった。

 このように法廷であった事実をないがしろにして、心神喪失を言い募る議論は、人々を惑わすだけで、有害無益だと思う。

弁護人を拒絶するワケ

 ちなみに、控訴棄却を決めた東京高裁は、麻原自身の一審公判廷での言動、精神鑑定に加え、10回以上の及ぶ弟子たちの公判出廷での対応も詳しく検討したうえで、「被告人の訴訟能力は保たれている」と判断した。一審の途中から弁護人との意思疎通を拒んだのも、麻原からしてみれば、自分を黙らせておく一方で、次々に証人から不利な証言を引き出して検察官の立証に手を貸しているとしか言いようのない弁護人と決別し、自分自身で窮地を脱する道を拓こうとする意図の現れ、と分析。さらに控訴審でも、弁護人や三女が連携協力していることに不信感を抱くようになって、面会を拒否する行動に出ているとも理解できる、としている。

 この控訴審にも、拘置所は麻原の状態を観察した記録を提出しているが、判決が確定した後もそれは続いていただろう。執行すれば、三女らが国を相手に裁判を起こすことも十分予想される中、精神状態のチェックと記録はなされていたはずである。実際に裁判となれば、国はそれを根拠に、死刑の正当性を主張することになるのではないか。

異例ずくめの執行

1日に7人も、国会会期中に

 ただ、いずれにしても異例ずくめの死刑執行であったことは、誰も否定できないだろう。

 1日に7人の執行は、法務省が死刑執行の事実と人数の公表を始めた1998年11月以降、最多。それ以前も含めても、戦後、これだけの死刑が1日で執行されたのは、東京裁判で死刑となったA級戦犯7人が1日で処刑された時以来ではないか。

 死刑執行は国会閉会中に行われるのが通常。ただ、今国会が閉じれば、自民党総裁選に向けた動きが活発化することが予想される。そうした政治イベントとはできるだけ距離を置くため、できるだけ早く執行したいのが法務省の本音だったろう。その結果として、会期中の執行となり、国会内での議論も可能になったのは、悪い判断ではなかった。

従来のルールより教団の序列優先?

 同じ事件の共犯者の死刑は同時執行されるという暗黙の原則も、今回は適用されなかった。今回執行された早川紀代秀は、教団外の人を殺害した5事件(地下鉄サリン、松本サリン、坂本弁護士一家殺害、公証役場事務長監禁致死、VX襲撃)のうち、関わったのは坂本事件のみだが、同じ立場の岡崎一明は今回は執行されていない。坂本事件に加え、松本サリン事件でも有罪となった端本悟も同様だ。

 地下鉄サリン事件を起こした頃のオウムは、組織を国家の省庁制に模して、そのトップを「大臣」「長官」などと呼んでいた。今回、執行の対象に選定された6人は、いずれも「大臣」「長官」の立場にいた者だった。死刑囚のうち、麻原に引き立てられ、最も近い存在だった6人をまとめて執行した、ということのように見える。

 裁判の執行の順番が、国のルールではなく、このような教団の立場や序列によって決められる、ということには強い違和感を覚える。

刑事司法とは異なるアプローチの必要性

 しかも、教祖と最もつながりのあった6人を同時に執行することで、現在の教団が「尊師と一緒に転生した高弟たち」のストーリーをでっち上げ、同時に執行された元弟子たちを理想化、神格化し、教祖への忠誠心を煽るのに利用されかねない。

 私はかねてより、教祖と弟子を分けて扱い、死刑の執行はまず麻原のみ行うように提言してきた。それは、第1に教団にこのような”尊師と高弟の神話”を作る事態を防ぐため、第2に、弟子たちは執行を急ぐよりも、今後のカルト問題やテロ対策のための研究対象として活用すべきと考えてきたからだ。

 彼らがいかにしてオウムに引き寄せられ、心を絡めとられ、従来の価値観を放棄し、柔軟な思考を止め、挙げ句に殺人の指示まで唯々諾々と受け入れていったのかなどを、心理学や精神医学、あるいはテロに関する専門家が、刑事司法とは異なるアプローチで調べ尽くせば、今後のカルト・テロ対策に有益だったろう。

 アメリカのテロ対策の専門家が来日し、死刑囚のインタビューを行った、という話も聞いた。ところが当該の日本では、オウム問題はもっぱら刑事事件として処理されて終わった。それだけでよかったのか、大いに疑問である。

初めての再審請求をしたばかりの死刑囚も

 また、今回の執行対象者には、井上嘉浩のように、初めての再審を請求したばかりの死刑囚もいた。井上の場合、無実の人が事件に巻き込まれた冤罪事件ではない。ただ、地下鉄サリン事件での役割について、一審は「連絡・調整的な役割にとどまっている」として無期懲役判決にとどめたが、控訴審では「総合調整ともいうべき重要な役割」と評価が変わり、死刑判決となった経緯がある。

 法務省は、かつては再審請求中には死刑を回避する傾向があった。だが、そうなると深く反省して死刑を受け入れた人が執行され、そうでない者が長く執行されずにいる不公平が生じる。それを避けるために、最近は複数回にわたって再審請求を起こしている死刑囚の執行が相次いでいる。とはいえ、井上のように、初めての再審請求を起こしたばかりの時に執行というのは、例がないのではないか。

 なぜ、そこまで急いで、かつての幹部をまとめて処刑する必要があったのか、はなはだ疑問だ。法務省は、麻原と共に執行した6人を選んだ基準について、きちんと説明する必要があると思う。

 

今後どうするべきか

オウム事件の教訓とは

 これで、オウム事件の死刑囚は6人となった。報道によれば、法務省は今後、順次執行していく、という。しかし、彼らはカルトによる未曾有のテロ事件の生き証人である。その彼らを何ら調査研究に活用する機会を永遠に失ってよいのだろうか。

 死刑囚の多くは、オウムに入る以前は、ごく普通の、あるいはとてもまじめな若者たちだった。その一人、広瀬健一は獄中で詳細な手記を書いている。(「彼はどのようにして地下鉄サリンの実行犯になったか」 )

 オウム事件の最大の教訓は、人の心は案外脆い、ということだ。どんな人であっても、タイミングや条件が合ってしまうと、思いの外簡単にカルトに引き込まれてしまう。

 だからこそ、その心の支配の仕組みはもっと研究されるべきだし、カルトの怖さやその手口を若い人たちに教えていく必要がある。そのためにも、オウム事件では何があったのか、事実をしっかり伝えていかなければならない。

裁判記録の確実な保存を

 そこでも、本来は生き証人が活用できればよいが、執行によってそれができなくなるとすれば、あとは裁判記録である。死刑囚となった者はもちろん、それ以外の被告人や証人らが、法廷で多くの証言を残している。法に基づいた手続きによって集められた証拠と、公開法廷の証言・供述によって構成される裁判の記録は、事実を知るための第一級の資料である。すべてのオウム事件の記録を、きちんと保存し、できれば早めに国立公文書館に移管して、必要に応じて閲覧ができるようにすべきだ。

普遍的な悩みが利用される

 オウム真理教に人々が集まったのには、『ノストラダムスの大予言』以来のオカルトブームや、まもなく20世紀が終わるという世紀末の漠然とした不安があり、バブル景気の中、日本中に札束が飛び交い、人々の価値観も異様な時代背景があった。

 それに加え、オウムは、生きがいややりたいことを見つけあぐね、自分の居場所探しに悩む若者たちを巧妙に絡めとっていった。どのようにしたら、自分らしく、意味のある人生を歩めるか模索する若者や、家族や友人との関係に悩む人たちに、「解脱悟り」「人類救済」などといった、一見高尚でやりがいのある目的と、「グルと弟子」という強い結びつきを与えた。

 こうした人生の悩みは、普遍的である。昭和の末期から平成の始め頃の若者たちだけではなく、今でも、そうした悩みを抱えている人はたくさんいるだろう。

 カルトの怖いところは、そこに絡めとられ、最初は被害者だった人たちが、そのうちに勧誘や集金活動で人を騙すなどの加害者になっていくことだ。個々に悩みを抱える人たちが、カルトの被害者にも加害者にもならないように、オウム事件からもっと教訓を学び、事実を次の世代に伝えていく必要があると思う。

 地下鉄サリン事件が起きた1995年以来、繰り返しお願いしてきたことだが、高校のカリキュラムの中で、カルトの怖さ、問題点、そこから身を守るための注意事項など、オウム事件を知らない若い世代に情報として伝えるようにして欲しいと思う。

(敬称略)

ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

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