「2018 FIFAワールドカップ ロシア大会」では、男子日本代表が決勝トーナメントに進出。戦前の下馬評を覆す活躍をみせてくれました。その要因として、解説者やジャーナリスト、多くのメディアが、「メンタルの強さ」を挙げています。

では、アスリートに必要なメンタルとは? 指導者やリーダーはどのようにしてアスリートのメンタルに影響を与えるべきなのか。

そこで、「ラグビーワールドカップ2015 イングランド大会」の初戦で、格上と言われた南アフリカから逆転勝利を飾ったラグビー男子日本代表のメンタルコーチを務めた、スポーツ心理学者の荒木香織(あらき・かおり)さんに、スポーツ心理学者という職業について教えてもらいながら、メンタルの鍛え方とリーダーとしてのあるべき姿を聞いてみました。

スポーツ心理学者が行うべき、3つの仕事

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荒木香織(あらき・かおり):園田学園女子大学人間健康学部教授。学生時代は陸上競技選手として活躍し、その後渡米。スポーツ心理学を中心に学び、修士課程、博士課程(Ph.D. スポーツ科学)を修了。現在は、教育、研究活動のほか、最新の科学的知見を基盤として、アスリート、指導者、アーティスト及びビジネスパーソンを対象にメンタルトレーニングのプログラムをコンサルテーションしている。
Photo: 香川博人

—— まず、スポーツ心理学者は、どのような職業・仕事なのでしょうか。

荒木さん:一般的には、心理学の側面からスポーツの実践や指導に科学的知識を提供する専門家と言われていますが、スポーツ心理学を学ぶための教科書に「次の3つのことをスポーツ心理学者としてやりなさい」と書いてあります。

1. 科学的な研究

スポーツ心理学に関わる研究活動を行い、論文にまとめて発表。教育やコンサルタント業務に生かす仕事です。私の場合は、文部科学省や財団などから研究費をいただいて、「完全主義傾向」「成功していくアスリートの心理と環境」を現在の研究テーマにしています。

2. 教育を通じた次世代の育成

スポーツ心理学を学問として学生に教えるとともに、アスリートや一般の方々に生かしてもらうための情報を提供する仕事です。私の場合は、大学の授業を通じて次世代の育成をしたり、 今年度は 「指導力を鍛える」をテーマに、アスリートやビジネスパーソンが参加するセミナーを開催しています。

3. コンサルタント

プロアスリートや大学・企業のスポーツチームなどを対象に、スポーツ心理学の視点から コンサルテーションを行います。たとえば、私は2012年から2015年までラグビー男子日本代表のメンタルコーチを務めていましたが、これはディフェンスコーチやオフェンスコーチと同じで、メンタル面から選手やチームにアプローチすることが仕事でした。現在は、ラグビーやバレーボールなどのチーム、プロゴルファーやプロ野球選手などアスリートのコンサルテーションを行っています。

荒木さん:この3つのバランスが大事になります。日本では、研究だけで現場に出ない人や心理学の学位がないのにコンサルタントを肩書きに活動するケースが多々あります。

専門職であるのは確かですが、人の心に働きかける仕事で、人生を左右することにもつながるので、学問をベースに、多くの人たちの声に耳を傾けながらコンサルテーションをするべきだと考えています。当たり前ですが、無責任なことはできませんからね。

指導者、アスリート、ビジネスパーソンに必要なのは、レジリエンスと環境

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Image: Nattapol Sritongcom/Shutterstock.com

—— 現在、取り組んでいる研究を具体的に教えてください。

荒木さん:成功していくアスリートの心理面の特長である「レジリエンス」について研究しています。これは、挑戦を続けて乗り切る力であったり、たいへんな状況でも前向きに取り組んでいく能力のことを指します。これまで、スポーツの世界では、根性や忍耐と言われていた分野ですけど、レジリエンスを身につければ、逆風の状況でも楽観性や希望的なマインドを持ち合わせて前に進むことができるので、ストレスを抱えることがなく、目標に向けたプロセスを健康的に歩んでいくことができるようになります。

また、どのような環境で、どんな性質を持っていれば、よりよい経験ができるのか、勝利を導くことができるのかについても研究しています。指導者が選手に適切な環境を提供してないと、伸びるはずの選手も成長しません。ここでいう環境とは、指導者のビジョンを選手やスタッフ、チーム全体で共有し、健康的で信頼感のある関係性をつくることです。「勝てればなんでもいいんだよ」となってしまうと、手段を選ばなくなってしまいますからね。

これはビジネスでも同じで、ビジョンがないまま会社や部課長から指示されたことをするだけでは、社員は思考が停止して、レジリエンスも育ちません。選手や社員を中心に考えながら、人生が豊かになるような学べる場にすることが大切です。

—— 研究テーマに「完全主義傾向」もあるそうですが、これはどのようなものでしょうか。

荒木さん:完全主義傾向には ポジティブ、ネガティブの2タイプあります。ポジティブな完全主義傾向は、ものごとを前向きに考え、ここまでたどり着いたから、次はここまで進めるようにやっていこうとするタイプ。一方、ネガティブな完全主義傾向は、完璧に目標を達成できないとダメだと感じたり、失敗を恐れて挑戦をしないタイプです。

私の最近の研究では、ポジティブな完全主義傾向の人はレジリエンスを持ち合わせている人が多く、悪い完全主義傾向の人はレジリエンスがないことがわかっています。大学やセミナーでは、このような仕組みをかみ砕いて論理的に説明しています。

勝てないチームが、歴史的勝利をつかんだラグビー男子日本代表のメンタル

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「ラグビーワールドカップ2015 イングランド大会」1次リーグ初戦で過去2回の優勝を誇る南アフリカに逆転勝ちを収めた男子日本代表チーム。
Photo: Gallo Images /Getty Images

—— 次にコンサルタントについてですが、具体例としてラグビー男子日本代表のメンタルコーチとしてどのようなことをされたのでしょうか。

荒木さん:私は世界的に知られるエディー・ジョーンズさんが男子日本代表チームのヘッドコーチを務めることになった2012年からメンタルコーチとして参加しました。しかし、ラグビーワールドカップに出場した24年間で1度しか勝ったことがないこともあり、選手たちは勝つことに対しての自信がなく、やる気も低いまま。年功序列で選手間のコミュニケーションにも問題がありました。

そこで、エディーさんと相談しながら、リーダーシップ・グループの取り組みを行いました。一般的には指導者のリーダーシップでチームを推進していきますが、チームを構築するためには戦う選手たちにもリーダーシップが必要なので、自分たちでラグビーを考え、実行できる力を身につけるために、複数名の選手がリーダーシップを発揮する体制にしたわけです。具体的な作業としては、私が選手たちが何を考え、何をしたいのかを引き出して、プロジェクトを提案するスタイルで一緒に考えながら進めていきました。

たとえば、当初の課題として、日本代表というチームに対する誇りがないことがありました。海外のチームと戦う際、試合前に国歌斉唱をしますが、それまでは、歌わない選手がいたり、外国生まれの選手は歌詞すら知りませんでした。そこで、国歌斉唱に限らず、国を代表する誇りをチームや選手として表現しないと、自分たちの意思統一や一体感は芽生えてこないことをリーダーに伝え、リーダーが中心となってチームの意識改善を行いました。実際、ある国とのテストマッチでチームが一体となって大きな声で歌う姿を体感したときに、選手は“みんなが誇りを持って、期待を背負って戦う”ことに気づき感動したと試合後に話していました。個々の選手に自信が少しずつ芽生えてきたプロセスの1つだったと思っています。

また、毎年目標を設定していましたが、ラグビーワールドカップが開催された2015年は、主体性・自主性が目標でした。南アフリカ戦のラストプレイで同点を狙ったエディーさんの指示に従うのではなく、リーダーを中心に自分たちで意思決定してスクラムを組んで攻め入り、最後に逆転のトライを決めたことは、試合の結果はもちろんですが、メンタルとしても大きな成果でした。

—— では、成果や結果を出すためのリーダーシップを身につけるために必要なことは?

荒木さん:リーダーがフォロワー(統率するメンバー)に示すべきポイントは4つあります。

1. フォロワーにとって理想的な影響力を持つ

リーダーとしての判断力や根気、手腕など、お手本となるような行動で、フォロワーが信頼・信用できるように示すこと。

2. フォロワーのモチベーションを鼓舞する

フォロワーを引っ張るイメージではなく、モチベーションを鼓舞できるように声を掛けたり、サポートしたり、フォローすること。

3. フォロワーの思考を刺激する

現状を違う方向から思考・精査・判断するなど、情勢の変化に対処・対応できるように、フォロワーの力を引き出していくこと。

4. フォロワーを配慮する

フォロワー個々の特長や興味を理解する気持ちを持って、その力を引き出すために配慮すること。

荒木さん:この4つの要素を完璧に持ち合わせている人は滅多にいませんが、得意なことからはじめて、足りないことは自分の思考を切り替えたり、学ぶ姿勢を持つなど鍛えることで身につければよいわけです。

がんばりたいと思っている人に最大限の力を発揮してもらう、夢のある仕事

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Photo: 香川博人

—— では、一問一答形式で、スポーツ心理学者という職業についてうかがいます。仕事の魅力は?

荒木さん:私が学んできたスポーツ心理学の基盤やコンサルテーションは、治療を目的にしたものではなく、がんばりたいと思っている人に最大限の力を出させてあげるという、夢のある仕事です。前述の3つの仕事を通じて、人の人生に影響を与えていることを実感しているので、もっと勉強して最高によいものを提供したいと思っています。

—— 仕事をしていて、良かったなと感じたことは?

荒木さん:私の仕事は、選手や個人、チームにいろいろな準備をさせてあげることなので、コンサルテーションを通じて提供したことを納得して一所懸命に取り組んで成果が出たときが1番うれしいですね。それは、勝敗や成果だけではありません。先日も、現役引退した選手から「あのとき引退を判断することについて話ができてよかったです」という話を聞いて、良かったなぁと思いました。判断する力や思考するプロセスは、これからの人生でも必ず生かすことができるので、身につけたことをずっと活用してもらいたいですね。


「大学時代の陸上競技部監督から、不安を抱える場面で励ましや助言をもらえたことで今の私がいる」と語る荒木さん。人の人生に大きく関与する仕事であるスポーツ心理学者という仕事について、「監督のように、私も人に良い影響を及ぼすことができる存在でありたいと思うし、研究者として、コンサルタントとして貢献したい」と話してくれました。

私たちに大きな感動と勇気を与えてくれるスポーツの世界。しかし、メンタルを鍛えてレジリエンスを持ち、リーダーシップを身につけることは、勝敗を決するスポーツだけでなく、ビジネスやさまざまなシーンで活用することができます。ぜひ参考にしてみたいですね。


Photo: 香川博人

Image: Carl Court , Gallo Images /Getty Images , Nattapol Sritongcom/Shutterstock.com

取材協力: CORAZON