働いていると、どうしても「生産性」や「費用対効果」などという言葉に縛られ、思考ががんじがらめになってしまいがちなこの世の中。

何らかの救いがあればとビジネス書を手にとるも、「〇〇〇するための10カ条」「〇〇〇になるための法則」といった内容に、かえって強迫観念を助長されるような思いになる人も少なからずいるのではないでしょうか。

そんな”ビジネス書“的強迫観念を和らげてくれるのが、作家・いとうせいこうさんと、主治医である精神科医・星野概念さんとの対談本『ラブという薬』です。

いとうさんがカウンセリングを受けていることを公表し、悩みを掘り下げることで、「悩んでいい、弱くてもいい。けがをしたら外科に行くように、つらかったら精神科へ行けばいい」というメッセージを悩める人に伝えたい。本書にはそんな思いが込められています。

精神科の診察室の舞台裏

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Image: YUKO CHIBA

ビジネス書といえば、おしなべてわかりやすく合理的。引きのあるタイトルとムダのない表紙のビジュアルで、その本を読むことで自分が何を得られるかを端的に教えてくれます。

その点、本書『ラブという薬』はタイトルも表紙のイラストも含め「言い切らない」のが印象的。帯にあるのは「きつい現実が、少しゆるい現実になりますように」という、まるで“祈り”のような言葉です。

今回お話をうかがった星野さんも「何も教えはないですからね、この本には(笑)」と笑います。

しかし、精神科の診察室で繰り広げられるいとうさんと星野さんのやり取りを読み進めると、本質的なコミュニケーションのあり方について考えさせられ、いつしか自分の場合はどうだろうと客観的に自己分析していることに気がつきます。ある意味、ビジネス書よりもビジネス書らしいと言えるかもしれません。

真逆だと思いますけどね(笑)。僕が読み直しても、明らかな教えは一個もないんですけど、読む人がどう取ってもいいしどう考えてもいいという自由さはありますね。

たとえば僕は日本酒が好きですが、甘口とか辛口とか酸が立っているとか、感じ方は人それぞれ。正解は誰にも決められないんです。

『10の法則』などとうたったものを頼るのももちろん悪いことではないし、たしかに夢を見させてくれますが、自分の心地よさに身を任せても大丈夫、それでもそんなに失敗しないよっていうのは、この本で伝わるのではないかと思います。

論破せず、あいまいじゃダメですか?

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本の中で「すばやく明確に自分の立場を表明するやつが偉い、みたいな空気はある」といとうさんが語っているように、白黒をつけ、論破しないとカッコつかない雰囲気のあるご時世で、「自分が心地よいグレー」があってもいいのではないかというのが星野さんの思いであり願いでもあります。

僕は昔NBAの選手になりたいという夢があったので、これさえやれば身長が20cm伸びるとか、英語がペラペラになるとかいうハウツーものに手を出したこともありました。

でも、自分にはしっくりこなくて、あいまいさに身を任せているほうが心地がよかったんです。自分はダメなんだなと思いながら友だちと話していたら、意外と周りもそうだった。

それからですね、心地よいグレーがあってもいいと思えるようになったのは。

心が迷ってグレーゾーンから抜け出せない自分を責めてしまう人にとって、星野さんの言葉は大きな救いになるのではないでしょうか。

発酵に学ぶチームビルディング

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自分が心地よい環境で力が発揮できればいい。そんな思いを星野さんは「」にたとえて話します。星野さんが日本酒好きであることは先ほども紹介した通り。おいしく飲むうちに、発酵のおもしろさにハマったのだとか。

発酵のメカニズムはシンプルで、酵母などの菌は環境が整っていさえすれば発酵にひと役買えるんです。活躍できる環境がなければ何も起こらない。単純です。

それは人にも言えることで、環境に恵まれれば活躍できるかもしれないのに、規則で「お前はこれをやれ」「1年目はこうあるべきだ」と決めつけられるのは、あう人はいいかもしれませんけど、僕みたいなタイプにはちょっと苦手かもしれません。

飲み会のときだけはしっかり力を発揮する宴会部長みたいな人が会社にいてもいいと思うんです。

ちょっとだけ人の手が入っていい環境をある程度整えてあげて菌がうまく活躍できればおいしいお酒になる、と星野さん。

それって、僕の仕事にも通じるなと思います。悩んでいる人の話を聞いて、その人の自助機能がうまく働くように整えてあげる。その感じは目指すべき精神科臨床だと思うんです。

酒だけでなく醤油や味噌をつくる人たちがやっていることは精神科医とすごく重なる。それで、発酵にハマっているんですけどね。

これは会社のチームビルディングにも言えることかもしれません。部下にまかせて自由にやらせてみるけれど、いつも見守って、おかしな状況にならないように、いい結果につながるように、必要なときにはちょっと助け船を出す――。たとえば映画「オーシャンズ11」でジョージ・クルーニーが演じたリーダーのように。

僕、「オーシャンズ11」や「特攻野郎Aチーム」が大好きなんですけど、みんな勝手なんですよ。業務を忘れて兄弟喧嘩して、ライバルの泥棒に侵入されたりとか。

それをリーダーのジョージ・クルーニー(ダニー・オーシャン)と、右腕のブラッド・ピット(ラスティ・ライアン)は『しょうがねーな』って感じで見てるんですけど、最後はどうにかなる。そういう感じが全体的にいいなって思います。

人に心を開くのが苦手な人に読んでほしい

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言い切らない。必ずしも白黒を決めなくていい。かといって合理性やわかりやすさを否定するわけでもない。

本書、そして星野さんの語り口には「断定しないことの心地よさ」があります。

僕自身、合理性に乏しく考えをまとめるのも遅いし、こうして話していてもすぐ脱線しちゃうんですけど(笑)、そういう自分は存在価値がないと思う人にこの本を読んでもらえたらうれしいですね。

僕は自分を否定してしまう人や、他人とうまく交われずに心を開くことが苦手な人に興味があるんです。自分がそうだからかもしれません。

星野さんが精神科医の道を選ぶはじめのきっかけになったのは、いつもひとりぼっちだったあるクラスメイトの存在でした。家庭環境が人と違うだけで仲間外れにされる理由がわからなかったので、星野さんは事あるごとに彼女に声をかけていたそう。彼女は何も話さないし、無視されることもありましたが、それでも話しかけることをやめませんでした。

そんななか、林間学校の肝試しでその子と二人組になり、手をつないで歩いていたら思いのほか話が弾んだのだとか。

閉ざしていた扉が開いたっていう感覚があって、なぜだかすごく感動したんです。ですから今でもそういった感覚を仕事に求めているかもしれません。経験上、扉が開くと表情がやわらかくなることを知っているので、患者さんが話せる雰囲気をつくることを心がけています。

本書のあちこちに、星野さんのやさしさが散りばめられている理由がわかった気がします。 閉ざした心の扉を開き、相手の本音を聞き出す精神科医のアプローチは、ビジネスでさまざまな人と会話を重ねる私たちにも生かせるテクニックかもしれません。

星野概念さん

<プロフィール> 1978年、東京生まれ。総合病院の精神科医として勤務する傍ら、□□□(クチロロ)のサポートメンバーなどの音楽活動も行うほか、WEB「Yahoo! ライフマガジン」や雑誌「BRUTUS」などで連載を持つ文筆家としても活躍。

<著書> 『ラブという薬』(いとうせいこう、星野概念共著/リトルモア)1,500円+税

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今回、「カフェグローブ」との合同取材という形を取りました。ぜひ、そちらも読んでみてください。

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Source: リトルモア, カフェグローブ