2018年7月14日、ライフハッカー[日本版]はおかげさまで10周年を迎えました。
10年といえば、いろんな常識が更新されるのに充分な年月。その時々のライフハッカー[日本版]のなかの人はどのようなことを考えて、どのような形で「ライフハック」をお届けしてきたのでしょうか? 10年という節目に、歴代のライフハッカー[日本版]編集長に当時のことを振り返ってもらうことにしました。
10年前から見ていただいているという方(ありがとうございます)も、SNSのタイムラインから今日初めてこのサイトにたどり着いたという方(以後お見知り置きを)も、少しの間お付き合いいただければと思います。
1回目は、2014年2月から2017年6月まで編集長を務めた米田智彦さんに寄稿いただきます。
名前:米田智彦
在籍期間:2014年2月〜2017年6月
PROFILE:1973年福岡市出身。出版社、ITベンチャー勤務を経て、文筆家・編集者・ディレクターとして出版からウェブ、企業のキャンペーン、プロダクト開発、イベント開催、テレビ、ラジオへの出演と多岐にわたる企画・編集・執筆・プロデュースに携わる。2011年の約1年間、旅するように暮らす生活実験「ノマド・トーキョー」を敢行。約50カ所のシェアハウス、シェアオフィスなどを渡り歩き、ノマド、シェア、コワーキング、デュアルライフといった新しい働き方・暮らし方を実体験。2014年3月から2017年6月までウェブメディア「ライフハッカー[日本版]」の編集長を務めた。TOKYO MXテレビ「モーニングCROSS」のコメンテーターとしても出演中。著作に『僕らの時代のライフデザイン』(ダイヤモンド社)『いきたい場所で生きる 僕らの時代の移住地図』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)等。京都造形芸術大学で非常勤講師も務める。2018年2月、株式会社シー・エヌ・エス・メディア代表取締役に就任。2018年4月、ウェブメディア「FINDERS(ファインダーズ)」創刊。
現在、あなたはどんなことを考えてどこで何をしていますか?
良質なコンテンツをいかに読者に届けるかということを常日頃から考え、株式会社シー・エヌ・エス・メディア代表取締役、FINDERS発行人兼創刊編集長をやっています。
10年前、あなたはどんなことを考えてどこで何をしていましたか?
2008年は、フリーランスのライター・編集者として活動しつつ、主に上野の出版社で、メンズファッション誌のエディトリアル・ディレクターをしていました。
また、ウェブマガジン「TOKYO SOURCE」を運営しながら、その内容をまとめた、初の共著『これからを面白くしそうな31人に会いに行った。』を出版しました。
10年後、あなたはどんなことを考えてどこで何をしていると思いますか?
相変わらず編集業・文筆業をやっていると思います。場所は日本・東京ではないかもしれませんが、ニューヨークなのか、ロサンジェルスなのか、ベルリンなのか、アムステルダムなのか、台北なのか、想像もつきません。
ライフハッカー[日本版]の編集にあたって一番大切にしていたことを教えてください。
読者がメディアに触れる時間を暇つぶしの「消費」にするのではなく、未来の自分への「投資」として記事を読んでくれることです。
在籍時の印象に残っているエピソードを教えてください。
アメリカ発の「タイニーハウス(小屋)」ムーブメントに乗って、日本でも「小屋展示場」というイベントが2014年秋に開催されたのですが、そこに、自分が考案した巨大な「モバイル・トイレ型書斎」をクリエイターたちとコラボして制作し、実際に展示したことです。
展示期間が終わった後、その小屋をメディアジーンのオフィスに持って帰ってしばらく置かせてもらっていたことに関しては内心ヒヤヒヤしながらも「クリエイティブなことに寛容な会社だなあ」と感謝の念しかありません。
それから、コールマンさんの記事広告で「デジタルデトックス・キャンプ」と称して、田貫湖のキャンプ場で編集部泊まり込みで撮影をしたことも良き思い出です。
また、シンガポール、スウェーデン、オランダ、ドイツ、ケニア、モザンビークなど海外取材をたくさんさせていただいたことも編集者として大きなステップアップになりました。
当時のライフハッカーを一言で言うと?
オリジナル記事、記事広告の両方で、オモロイことをどんどんやろうという活気にあふれていました。
今のライフハッカーの印象は?
良い意味で読者目線により沿って実用的な記事を量産するメディアに変わったかなと思います。
いまライフハッカーにいるとしたら、どんなことをしていると思いますか?
エストニアやアゼルバイジャンなど、これから面白くなりそうな国に、取材に行っていると思います。
10年後のライフハッカーはどんなメディアになっていると思いますか?
変わらず、読者の生活に役立つライフハック術を伝えるメディアであり続けると思いますが、僕が「小屋」を作ったように、時には変化球を投げて世間を驚かせる企画を出してもらいたいですね。
Image提供: 米田智彦
Source: FINDERS, TOKYO SOURCE