テクノロジーが人間をさらにダメにする。そこへの反逆も然り。
リリースされたばかりの、macOS 10.14 Mojave。目玉機能のひとつが、デスクトップのファイルを整理する「スタック」です。デスクトップ→右クリック→「スタックを使用」で使用でき、ポチっとクリックするだけで散らかったデスクトップが几帳面系デスクトップに早変わりしてしまいます。画像もドキュメントもZIPも、綺麗にひとまとまり。
このスタック、分類の方法は「最後に開いた日」「種類」「作成日」「タグ」などに変更が可能。画像やドキュメントといった種類ごとにまとめるのが基本として、最新順や作成日順などはファイルソートにも便利です。
便利、良い言葉ですね。でも、本当に、それで良いのでしょうか?
たとえばメールの添付データや、サイトからダウンロードしたpdf書類、先方に送る予定のZIPファイル。すべてをデスクトップにぶちまけていたとしても、スタックを使えばまるでファイル整頓上級者のごとき意味のある分類分けをしてくれます。見た目も美しいし、ファイルごとに関連性もあるから検索だって容易です。
ですが、それは虚構の姿、テクノロジーが見せる陽炎(かげろう)。Finderから見れば、デスクトップに大量のファイルが存在するのは変わりません。スタックはデスクトップの見かけ的にファイルをまとめてくれるのであって、Finder表示では変化がないんです。Dock内のフォルダやスタック表示みたいなものですね。
スタックを使用してれば、テキストファイルをいくつデスクトップに置いても、表示されるのは「書類」ファイルひとつ。100枚以上のデジカメ写真をばらまいたとしても、「イメージ」ファイル1つしか、デスクトップには表示されないのです。その裏に無数のjpgが潜んでいるとしても……。
いくらデスクトップにファイルを置いても、散らかり具合は全く変わらない。その「行為と表示の齟齬」は、人類にとっての甘美な毒になり得るのではと、そのように思うのです。PCを点けるたび汚スクトップにげんなりしていた人が、スタックのおかげで美スクトップを手に入れる。その日から彼はPCを点けるのが楽しくなる。
でも、その美スクトップは彼の整頓力で作られたものではないし、彼のずさんなデスクトップ管理がこれから改善することもないのです。まるで諸星大二郎ワールドのごとき、見かけだけのユートピア!
……のように考えることも、できるっちゃできます。でもでも、見た目上のファイルが整理されればOSにかかる負荷は軽くなるし、目視でファイルを探すときにもやりやすくなります。外部ディスプレイに繋いだときにファイルの位置がガラっと移動するのもなくなります。階層が深くなるのはやむなしですけど。
テクノロジーによる、見せかけの清潔感。それもまた科学の恩恵ですが、スタックを使わないことで「俺は機械じゃなく自分の手で分類分けするんだ」と、逆に人間性が強まることもあるかもしれない。相容れぬ二つの意思。それはまるで、テクノロジーと人間という関係そのものであるかのよう……。
まぁ、便利だし使っとくか(ズコーーーッ)。
Source: Apple