「外に出ると、人の目がとても気になります」 「人に接するとき、すごく気をつかってしまいます」 「ミスしないかと、いつも不安です」 「何をするにも気になって、何回も確認します」 「些細なことがいつまでも気になってしまいます」 (「はじめに」より)

「気にしい」のもやもやが消える方法』(根本橘夫著、WAVE出版)の著者によれば、「気にしい」の人とはこういうタイプ。感じやすく、考えすぎる人を指すのだそうです。

もちろん、考えること自体は希望につながるものです。しかし考えすぎてしまうと、未来は不安に、現在は優柔不断に、過去は悔いばかりになってしまうものでもあります。

いってみれば「気にしい」な人は、まさにこういった世界に住んでいるというのです。

けれど「気にしい」な人だって、「細かいことは気にすべきではない」とか「考えすぎないようにしたほうがいい」ということは十分に理解しているはず。

だからこそ「気にしい」から抜け出るためには、その本質を理解し、適切な対処法を習得する必要があるというのです。

著者は、教育心理学、性格心理学を専攻とする東京家政学院大学名誉教授。そうした立場に基づいて、本書では「気にしい」克服のために役立つ情報と具体的な対処法を紹介しているわけです。

第5章「『もやもや』が消える心の持ち方」のなかから、いくつかの要点を抜き出してみることにしましょう。

「自己チュー」を捨てれば人目も気にならない

考えすぎたり、気にしすぎたりするのは、特定の見方や思い込みにとらわれているため。そうした見方を変えたり、思い込みを捨てると、ストレスが減って気持ちが楽になると著者は言います。

Aさんは、外出すると人の目が気になって、自分のやりたいことができません。 バスに乗れば、先に乗っている人の目に圧迫されて、とにかく手近の席に座ってしまい、降りるまで背中に視線を感じています。

「いいな」と思うファッションを見つけても、「あなたの体形じゃ、似合わないですよ」と店員さんに笑われそうで、店に入ることができません。 一人のときは、とくに外食が苦痛です。一人でレストランに入ると、孤独な人と思われるようで…。

それで、がんばって入るときはファースト・フード。それもできないで昼食抜きにしてしまうこともあります。(92ページより)

人目を気にする人は、自分では謙遜しているつもりでも、実際には尊大な気持ちになっているのだといいます。

理由は、「みんなが私に注目している」と思っているから。また、それほど自分を重要人物だと思っているから。そして、あたかも自分が世界の中心であるかのように思い込んでいるからーー。

そう指摘する著者は、これを「尊大な自己中心性」と呼んでいるのだそうです。

たとえば「私は雨女」などという人がいますが、それもまた、本人の思いとは裏腹に、尊大な自己中心性にほかならないといいます。考えようによっては、自分は天候さえ支配できると思っているということになるからです。

つまり、人の目が気になってしまうのも、尊大な自己中心性によるもの。これを捨ててしまえば、人目が気になることはなくなるといいます、そのためには、まず自分の尊大な自己中心性を自覚することが大切。

人はそれぞれ自分のことで忙しく、関心はもっぱら自分のことに向いています。その証拠に、自分が失敗したことや恥をかいたことは次々と思い出せますが、ほかの人の失敗や恥ずかしい出来事は、ほんの少ししか思い出せません。ほかの人に対しては、自分に対するほど関心がないからです。

そして、それは誰もが同じ。人にはみなそれぞれの生活があり、こちらが気にするほど、みんなこちらに気を留めているはずがないということです。

また、「ほかの人」は無数にいて、それぞれお互いに注目の対象となるわけですから、「こちらだけに注目している」ことなどあり得ないわけです。

いちばん、あなたを気にしている人は、あなた自身です。あなたほど、あなたを気にしている人はどこにもいません。(95ページより)

さらに言えば、ほかの人から見られても、なにも困ることはなし。恥ずかしいことが起きても、身体的苦痛や傷害を受けるわけではなく、恥ずかしさ以外にはなんの実害もないからです。

いわば自分で勝手に傷つき、勝手に心に重荷を抱えているだけだということ。そのことをしっかり頭に入れておくと、それは過剰な自意識から抜け出す助けになるそうです。

なお、尊大な自意識のつらさから抜け出すための手段として、著者は「セルフトーク法」を勧めています。自分に対して、たとえば次のような言葉をかけるだけのシンプルな方法。

「尊大な自己中心性は捨てよう!」

「人はみんな、自分のことで忙しい」

「見られても何も困ることはない」

「気にするだけ損、損!」

(96ページより)

もちろんこれ以外でも、自分の好きな言葉でOK。ばかばかしいと思わず試しにやってみれば、意外に役立つことが実感できるはずだといいます。

しかも私たちは、ふだんから意識せずにこれを日常生活で使っているというのです。あきらめようとするときには「まあ、しようがないな」と口に出したりしますし、自分を奮い立たせようとするときには「よし、がんばろう!」などと口にするわけです。

つまり、これを意識的に行うことで、心と行動を意図する方向に向けるのがセルフトーク法だということ。(92ページより)

人前で話すのが楽になる発想の切り替え

人前でプレゼンテーションしなければならないとき、「失敗したらどうしよう」「質問にうまく答えられないのではないか」「レベルが低いと思われるかもしれない」など、いろいろなことを考えてしまい、気持ちがつらくなったりするものです。

そして、いざその場になると、口が乾き、喉が震え、心臓はバクバク、膝もガクガク、頭に血が上ったりもして、ひどく混乱してしまうわけです。

人前でのプレゼンが苦痛なのは、失敗したり、低い評価を受けることで傷つくことから、自我を守ろうとする意識が働いているためです。

プレゼン本来の目的をないがしろにして、傷つくのを避けることを主な目標にしてしまっているのです。(97ページより)

プレゼンするときは、たしかに評価されることを避けられません。しかし、「評価される場だ」という思いが強すぎると、それが過度のプレッシャーになり、自分の力を発揮できなくなります。

「失敗は絶対に許されない」という気持ちが強くなり、発表後もうまくいかなかった点ばかりが気になってしまうのです。

しかし本来、プレゼンテーションの目的は、伝えるべき内容を聞き手にわかりやすく説明すること。そこで、この目的を確認し、この目的遂行にだけ注意を集中させればいいわけです。

すると、どのように話の展開を組み立てればいいのか、どのような資料や図表を提示すればいいのか、というような建設的な方向へと気持ちが向くもの。自己防衛したり、自分を誇示しようとする意識から抜け出ることができるということです。

仕事のことで上司に報告しなければならないときにストレスを感じるのも、「落ち度を指摘されるのではないか」「叱られるのではないか」というようなことばかりを考えてしまうから。しかし、上司への報告の本来的な目的は、「状況を正確に伝えて指示をあおぐ」ことです。

もちろん自分のミスがあれば叱られる可能性はありますが、それはそれとして、本来の目的を達成することに集中すべき。

そうすれば、叱られることは副次的なこととなり、気持ちが楽になるはず。その場、そのときに、本来の目的を確認し、その遂行だけに意識を集中させるように努めるべきだという考え方です。(97ページより)

役割に徹すれば平気でいられる

人前で緊張してしまう人も、役割で行動すれば平気でいられるものだと著者は主張しています。

私のもとに、人間関係が苦痛ということで、相談に来ていた学生がいました。ウエイトレスのバイトが決まった際、最初はできるかどうかとても不安がっていました。

ところが、実際にやってみたら接客は意外に楽にでき、むしろ、お客さんが途切れているときに、バイト仲間と話をするときのほうがプレッシャーだと言います。バイトとはいえ、ウエイトレスという役割で行動する時は、気持ちが楽だったのです。(99ページより)

本来の目的を確認すれば、自分がいかなる役割であるかがわかるもの。先ほどの話でいえば、わかりやすく提示するプレゼンターという役割であり、上司に報告して指示をあおぐ部下としての役割。

そうした役割を果たすことに意識を集中すれば、楽な気持ちで目的を達成することができるということです。

また、相反する欲求があると、心の平穏はなかなか保てません。たとえば、人前に立つのがとても苦痛であるにもかかわらず、目立ちたいという強い欲求を持つ場合などがそれにあたります。

そういうときには、「目立たなくていい、ただ役割を果たせばいい。発表者(=伝達者)という役割に徹しよう」と決意すると、心が落ち着いてくるといいます。(99ページより)

緊張したほうが得をすることも

たとえ緊張していることが知られても、なにも困ることはないと著者は断言しています。それどころか、むしろ自分を守ることにも役立っているというのです。

なぜなら、人前で緊張する性質だと、「緊張したのでいまくいかなかった」と自分で思うことができ、また、ほかの人もそう思ってくれるから。

事実、まったく平然とプレゼンテーションする人よりも、緊張で多少どぎまぎしながらプレゼンテーションする人のほうが好意的に評価されるという報告もあるのだそうです。

しかも圧倒的多数の人は、緊張している人に対し、「落ち着いて、がんばって!」と応援しながら見ているのであり、あざ笑ったり、バカにする人のほうが圧倒的に少数。

そもそも緊張してしまうのは、「緊張してはいけない」と思うから。しかし必要なのは緊張しないことではなく、不安にならないことでもないもの。

緊張しても、不安であっても、自分の力を発揮できるようになることが大切だということです。その証拠に、緊張してもかまわないと割り切れば、持っている力を発揮できるものだといいます。(101ページより)




本書はどこから読んでもOK。でも、そのあとで全体を読んでほしいと著者はいいます。なぜなら、有効な対処法やヒントが、他の箇所にも含まれているはずだから。

つまりは「気にしい」脱却のためのヒントが、本書の至るところに隠されているということです。そういう意味でも、現状をなんとかしたいという方には格好の1冊であるといえるでしょう。

Photo: 印南敦史