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「がんばる。こんなにも応援してくれる人がいるから」~原裕美子さん摂食障害と事件について語る

江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授
2005年世界陸上で優勝したラドクリフ選手を追う原裕美子選手。腕が細い…(写真:ロイター/アフロ)

 群馬県太田市内のスーパーでキャンディーなどの菓子3点(382円相当)を万引したとして起訴されている、元女子マラソン日本代表の原裕美子さん。事件の背景となった摂食障害との壮絶な闘い、今の生活ぶり、走ることへの思い、病を克服する決意などを語った。

いじめから陸上へ

――子どもの頃から走るのは好きだった?

「はい。実は、小学校5,6年生の頃、クラスで仲間はずれにされていたんです。放課後は遊びに行く先もなく、家にこもっていた時に、中学校の陸上部の先生がやってきて、『駅伝大会に出るんだけど、1人足りないから出てくれないか』と誘って下さったんです。兄や姉が中学で陸上部だったので、私のことも知っていたみたいで。6年の時から中学の練習に行き始めました。先輩はみんなすごくやさしくて、それがうれしくて走るのも楽しくなり、楽しいからもっと練習して、練習すると早くなり……。6年の校内マラソン大会はダントツで1位になりました」

――いじめで、学校に行くのが嫌にならなかった?

「なりました。親にいじめられているのを知られたくなかったので、学校には行っていましたけど、何度も『死にたい』と思いました。楽しいはずの休み時間も、ずっと1人。行きたくなくてもトイレに行って時間をつぶし、人気(ひとけ)のない所で四つ葉のクローバーを探してみたり……。どうしたら1人でいるところを他の人に見られずに休み時間を過ごすか、いつも考えていました

――中学で練習する時間に救われた。

「はい。小学校でも、マラソン大会の時だけはクラスの人気者になれました。それで、もっと速くなればみんなとも仲良くなれるかもしれないと思って、また練習して。そんな感じで、走ることがどんどん好きになっていきました

――中学に入ったら、もちろん陸上部へ。

中学生の頃の屈託のない笑顔(きょうだいと一緒のスナップより)
中学生の頃の屈託のない笑顔(きょうだいと一緒のスナップより)

「中2、中3では1500メートルで全国大会に行って、800メートルではジュニアオリンピックにも出ました。でも予選落ち。ほかの選手が中学生に見えなくて、『すごく強そうだな-』って思って気持ちで負けちゃっていました。ようやく気持ちに火がついたのは、中3の全国大会が終わった後。春休みの関東大会の選抜合宿で一緒だった子が、800で全国優勝したんですね。合宿の時は、私が余裕で勝っていたのに……。私の方は予選落ち。すごく悔しくて、試合の翌日に、1人で1000メートルを10本走りました。『強くなりたい』と思うようになり、練習しました」

――成果は出ました?

「11月の東日本女子駅伝に選ばれて、区間賞をとりました。自分もやればできるんだな、と。『もっと強くなりたい』『練習は嘘をつかない』と思いました。その後も走るたびに結果を出していたので、自信がついて『もっと速くなりたい』と思うようになりました」

とにかく走るのが楽しかった高校時代

 姉は私立高校に進んでから、厳しい体重制限もあって貧血など体調不良に苦しんでいた。それを見ていたので、原さんは県立高校に進学。しかし1年、2年と駅伝の全国大会に進めず、陸上の先生が人事異動で転出したこともあり、別の私立高校に転校した。

――移ってどうでした?

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「陸上は楽しかったけれど、教室でみんながお菓子を食べているのに驚きました。それまでは興味なかったけれど、だんだんうらやましくなって、自分も食べたくなりました。どうしても我慢できずにお菓子を買うと、美味しくて、食べるのが止まらず、結局一袋食べてしまったり。そういう時は、練習が終わってから、部室にあるエアロバイクを漕いで、体重コントロールしたりしました」

――当時から、体重は増えたらいけないという指導はあった?

「ありました。高校に入ってすぐに体重管理が始まりました。でも、走るために必要だと思っていたので、苦じゃなかった。体重測定は、高校の時は朝練の前と本練習が終わった後の1日2回でした」

――体重が少しでも増えると気になっていた?

「高校の時は極端な変化はなかったので、あまり気にしてませんでした。走るのが好きだったので、走ってコントロールしていました。いっぱい走っていっぱい食べて。ちょっと増えても、あまり言われることもなく、走っているとすぐに減りました」

――走るのが好きだった。

「楽しかった。日曜日で学校が休みの時は、近くの山まで往復26キロ走りに行ったりして、とにかく走るのが大好きだった。みんなから、『暇さえあれば走っているね』と言われたくらい」

――高3で成績はどうなりました?

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「全国高校女子駅伝を走ることができて、当時、栃木県の最高記録を出しました。あと日本選手権の県大会で初めて1万メートルを走ったら優勝してしまって、関東大会に行って、そこでも優勝して日本選手権に出られることになったんですね。そこで大学生や実業団の選手に混じって、まさかの9番になって、びっくりしました」

――マラソンを走ってみたい思いはありましたか?

「高校の時は下宿していたんですが、そこの奥さんは、以前フルマラソンをやっていて、マラソンの話を毎日のように聞かされていました。世界大会に出ると、試合の後にパーティがあって、ごちそうが食べられるとか、有名選手にサインがもらえるとか、一緒に写真がとれるとか……(笑)。部屋にサインや写真も飾ってあって、『あー、私も欲しい!』って思いました。そのパーティに出たくて、マラソンやりたいと思ったんです」

実業団チームで過酷な体重管理の日々

 高校卒業後は、京セラに入社。かつて女子駅伝の強豪高校の指導者として知られた監督が指導をしていた。

――体重制限には厳しい方と伺っていますが……。

「厳しいです。私は高3の冬にけがをしてしまったこともあって、体重オーバーで入ったのですが、待っていたのは減量、減量、減量の毎日で……。みんなと一緒の練習に加えて、私だけ夕食後に毎日エアロバイクを60分漕ぐよう指示されました。他の人は日曜日がお休みでも、私は朝練ありで、『体重が何キロだったか報告の電話を入れろ』と」

――体重は、1日何回も測るの?

「1日少なくとも4回。朝練前、朝練後、本練前、本練後。それもだんだん体重管理が厳しくなりました。特に汗をかきにくい冬には、本練前の体重が朝練後より0.4キロ以上多いとダメ。水を飲んだらその分増えるので我慢して、いつも喉の渇きを感じながら過ごしてました

――食事も制限が?

「1年目、私はいつも監督の前に座らされて、『これは半分残して。これは食べていい。これには手を付けるな』と指示されてました」

――1人前食べられないの?!それはお腹が空くでしょう?

「空きます。回りの人は、ヨーグルトとか買って食べているのに、私は食べられない。すごくうらやましくて……。我慢しても、時々我慢しきれなくなる。お菓子の大袋を安く売っている店が近くにあるんです。1つだけのつもりが、ずっと我慢しているから、目が食べたくてしょうがない。もう口から手が出るみたいに、体中で欲しがっていて……葛藤しながら、あと1個、あと1個……。気がついたら全部食べちゃってて、『あー、どうしよう。また明日怒られる』と。夜中に起きてエアロバイクを漕いだり、サウナに入ったりして体重管理していました」

――大変でしたね。

「60分のバイクも、コーチがつきっきりで見ていて、『お前のせいで、おれまで怒られる』と言われる。一生懸命やってるのに『さぼってんじゃねえ』と怒られるし……。もう(陸上を)やめたくて、やめたくて……。1人で泣いていたら、寮母さんが声をかけて励ましてくれたこともありました」

――走るのが好きな子だったのに、もう陸上が楽しいとは……

「思えない。監督からは『陸上部は、結果を出すことで社員に勇気と感動を与えるが仕事だ』と言われていましたし、私もそう思っていました。仕事なんだから走らなきゃいけない、と。走りたいとか、走るのが好きとかっていう気持ちは全然なかった。体重を落とすために走る、怒られないために走る。それしかなかった」

過食嘔吐が始まる

 入社1年目のある日、お風呂に入っている時、ふっと胃の中のものが込み上げてくるのを感じた。

「初めは『やばい』と思ったんですけど、『吐けば食べても体重が増えないんじゃないか』と気がついたんです。『そうすれば、今まで我慢していたものも、思い切り食べられる』と。それからです、食べ吐きをくり返すようになったのは」

――やってみてどうでした?

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「それまで体重が減らなくて毎日のように怒鳴られていたのが、怒られなくなり、こんなラッキーなことはない、と思いました。自分の食べたいものは好きなだけ食べられて、体重も減って」

――その後、いい記録も出るようになった。世界陸上にも出場しましたね。

「その時も、ずっと食べ吐きをしていました。世界陸上への出場が決まった後、チームメイトが吐いているのに気がついて、『体によくないからやめた方がいいよ』と言ってくれたんですね。でも、全然元気だったし、練習にも影響ないし、誰にも迷惑かけてないからいいじゃん、と思って聞かなかったんです」

体への様々な悪影響

――その後も体は大丈夫でしたか?

歯が悪くなって……。吐くために、胃酸で歯が溶けてしまう上に、筋トレで食いしばるので、根っこの方からダメになっていきました。結局、私の両奥歯は全部インプラント。歯医者代で軽く400万円はかかっています。歯医者に行くことが多くなり、吐くのをやめたいと思ったんですけど、やめたらまた体重が増えて、前のように怒られると思ったらやめられない。どうしたらいいんだろう……。そんな感じで京セラ時代を過ごしていました」

――歯以外にも影響は?

疲労骨折が続いたのもそうです。オーバートレーニングの影響もあるけれど、けがが治りにくかったのも、吐いていたから。『けがをしている時こそ体重は増やすな』と監督に言われるので、治るまでは食べたものを全部吐かないと怒られてしまう、と思ったんです。少しでも増えたら怒られるから」

――疲労骨折は何回?

「8回。最初は世界陸上の後、かかとが痛くてかばっていたら、右の中足骨、5番目の小指のところをやってしまい、それをかばったら、今度は親指。さらに2番目、3番目、と…4回連続で」

――痛いのに休めないの?

「チームでは『足が痛い』は禁句のムード。それに、けがすると室内で筋トレとエアロバイクを3,4時間ぶっ通してやるとか、メニューがかえって厳しくなるので、怖くて言えない」

――当時の身長体重は?

「身長は163センチありましたが、体重は43キロから44キロでキープしていました。痩せすぎですよね。昔の写真を今見ると、気持ち悪いです

――その当時は、気持ち悪いとは……

「全然思わなかったです」

――生理は?

「高校に入って、すぐに止まっちゃったんです。まだ体重は47、8キロあったんですが。当時は楽だし、いいや、とそれくらいにしか考えていませんでした。その後、ユニバーサルに行ってから小出監督に『生理が来ないと、疲労骨折にもなりやすいんだよ』と言われて、婦人科に通うようになりました」

――移籍前の監督は気にしていなかった?

監督が気にするのは、タイムと体重だけです」

――骨密度は?

「それも、ユニバーサルに行ってから測りました。数値は忘れましたが、『これはやばいよ』と言われ、骨粗鬆症の飲み薬をもらって飲むようになりました」

治療を受けたが……

 京セラ時代、中国で合宿した時、彼女1人が監督に財布を預けるように命じられた。外で買い食いをしないためだ。その夜、彼女は宿舎を抜け出して市場に行き、初めてジュースやお菓子を万引きする。しかし、その時は見つかってしまい、失敗だった。

 その後、国内でも何回か万引きをしたことはあるが、自分が著名人であることがブレーキになった。まだ、なんとか自分で制御が可能だった。

 小出監督には、摂食障害のことは打ち明けてあった。小出監督は「選手寿命が縮まっちゃうよ」と心配し、病院を紹介してくれた。万引きが抑えられなくなった時には、医師に相談。窃盗症などの治療で有名な病院を紹介された。

 原さんは、自主的に入院した。そこでは、患者が互いに自分の話をするミーティングを重視する。それが、効果を発揮する患者もいるが、彼女は逆だった。それまで知らなかった万引きの仕方など「聞きたくない情報」がどんどん入ってくるのが嫌になり、3週間で退院。この体験で医療機関に不信感を抱くことにもなった。

 食べ吐きは続いたが、移籍後は走ることへの意欲は戻っていた。

2010年の北海道マラソンで優勝。見事に復活したかに見えたが……
2010年の北海道マラソンで優勝。見事に復活したかに見えたが……

「ユニバーサルに入る前、いったん実家に戻った時、地元の市民ランナーの人たちと一緒に走って、走ることの楽しさを思い出しました。小出監督からは、高橋尚子さんや千葉真子さんの話を聞いて、『私もああなりたい』と夢を持ちました。それに、小出監督はものすごく褒めてくれるんです。うれしくて、褒められたいから頑張る。練習のない日も、自主トレしていました。世界でメダルを取るのが夢だったので、そのためにはQちゃんのような練習をするんだと、1日最低40キロ走っていた時期もありました」

 ところが、以前からの座骨神経痛が悪化。治ると、走れなかった分を取り返さなければと焦り、また悪化した。そのストレスを、なんとか食べて吐くことでなんとかコントロールしていた。

食べている時は、すべてを忘れられる。何も考えずにすむ

信頼を裏切られて…

 結局、体調はよくならず、ユニバーサルをやめざるをえなかった。それでも、世界でメダルの夢は諦められず、実家に戻って、1人トレーニングを続けていた。その時、かつてのコーチから頼まれ、東京でクラブチームを手伝うことになった。その後、この元コーチとの金銭トラブルに巻き込まれる。彼女にとっては大枚を失ったことに加え、信じていた人に裏切られたのがショックだった。

「自分ではどうしようもなく、毎日もがいて泣いて、もがいて泣いての繰り返しでした。食べ吐きはひどくなり、万引きもほとんど毎日やるようになっていました。『私がだまし取られた金額に比べれば、こんなの屁でもないわ』と思っていたし、捕まっても『確かに悪いことだけど、私以上に悪いことをしている人がいるんだから』という気持ちでした」

 彼女を傷つけた者と万引き被害を受ける店とは何の関係もない。

「そうなんです。なのに、そういうことに、全然頭がいかなかった」

 トラブルで失った多額な金額を、お菓子やパンの万引きしで穴埋めできるはずもない。そういう合理的常識的な思考ができなくなるのも、摂食障害が心の病であるゆえんだ。

 この時期に、彼女は初めて警察に逮捕され、罰金30万円の略式命令を受けた。それでも、刑罰の重大さより、頭の中は金銭トラブルのことでいっぱい。実家に戻った後、返済を要求するが、なかなか応じてもらえず、ストレスは高まる一方だった。弁護士を立てて交渉し、なんとかお金は返ってきたが、少なくない弁護士費用を支払わなければならなかった。そうしている間に、また万引きがひどくなり、再び逮捕されて罰金刑を受ける。

 昨年7月に足利市のコンビニで万引きして逮捕されたのは、結婚を約束した相手に裏切られ、それなりのお金も失った後だった。初めて正式裁判となり、懲役1年執行猶予3年の判決を受けた。

 万引きをくり返す摂食障害の患者は少なくなく、症状の一つとも言われている。これまでの状況を見ると、原さんにこの症状が出るのは、決まって強いストレスにさらされた時だ。今回もそうだった。

人の目が怖い

 前回の事件が大きく報道され、地元でも広く知られ、原さんは人の視線を恐れるようになった。前回とは別の病院で入院治療を行い、仮退院したが、地元の新聞が自分の事件に触れているのを見つけ、誰かが監視して実家に戻ったタイミングで記事を掲載したのでは、と思い、恐怖した。

「家にいても、誰かが望遠鏡で見ているんじゃないかと気になり、車に乗っても、異常なくらいミラーをチェックして……。マスクなしでは外出できませんでした。食べ吐きはますますひどくなり、夜も眠れなかった」

 摂食障害患者は、食べ物を貯め込む癖がある人が多い。退院して実家に戻った後の原さんは、不安が高じるにつれ、段ボール1箱分のストックでは安心できず、3箱分も食べ物を貯め込まずにはいられなくなった。ほとんどがパンと炭酸飲料。あとはスナック菓子だ。

 事件の日の夜、レンタルDVDを返しに行った帰りにスーパーに寄ったのは、翌日から3連休になることもあって、買い置きが足りないのではないかという不安にかられたためだった。この店は、閉店時間が近くなるとパンが半額になる。それを食べ吐き用に買うつもりだった。前回の事件で裁判官から注意されたことを守り、いつもは買い物は母と一緒に行くようにしていた。だが、この時は1人。念のためバッグは持たず、財布一つを持って店に入った。

 まず目についたお菓子を数点、店の籠に入れた。続いてパンコーナーでパンをいくつか籠へ。それまでの間に、籠の中のキャンディなど3点を衣服の内側に隠し入れた行動が、罪に問われている。ただ原さん自身は、その時の自分の行動を「目の前が、雲がかかったように白くなり、視界が狭くなったことしか覚えていない」という。

 被告人質問ではこう語った。

「(服の内側にあるお菓子を)なんとか閉店時間までに籠に戻して精算しようと思いました」

 なぜ、それができなかったのか。

「すれ違う人すれ違う人、私を見ているようで、怖くてできなかった」「近くにいる人も遠くの人も、『ほら、原裕美子だ』『万引きの人だよね』と言っている声が聞こえてきて……」

 店内をうろうろしているうちに、警備員に声を掛けられ、捕まった。店を出なくても万引きは成立すると、逮捕されてから聞かされた。

「死にたい」と思った時に

 私は以前、摂食障害で万引きをくり返した人から似たような話を聞いたことがある。「塀の中の摂食障害」の第1回に登場したB子さん。やはり万引き時の記憶がはっきりしないうえ、頭の中で実際にはありえない声を聴いている。彼女はその後、解離性障害と診断された。

 原さんの場合も、弁護側の依頼で鑑定を行った精神科医が、摂食障害や社交不安障害に加え、解離性障害の一種である「離人症」の可能性を指摘している。

 逮捕された後の心境を、原さんはこう述べた。

「もう死にたい、死にたい、そればっかりでした。自分が死んだ方が家族も苦しまずに済むと思って、留置場で何度か首を絞めたけど、むせるだけでダメでした」

職場でパソコンに向かう
職場でパソコンに向かう

 保釈後に再び入院し、じっくり治療した。状態は改善したが、退院後は自宅には戻らず、病院の紹介で依存症患者が社会復帰するための施設に入った。仕事を紹介され、平日の朝10時から午後6時まである人材派遣会社で給与計算などの事務仕事をするようになった。会社では、社員たちも事情を知ったうえで普通に接してくれ、とても居心地がいい、という。出勤前には施設の人の朝食と昼食の準備をし、休日に食材の買い出しも引き受けている。人の目も気にならなくなった。

「会社の仕事は、もっと短くてもいいと言われたんですけど、暇だと余計なことを考えてしまうので。お昼はお弁当を作っています。作るのは好き。おかずは、母がやっていたのを見よう見まね、あとはいろんなアプリで見たのを参考に。3食とも自分で作っています」

――食べ吐きは?

「まだありますけど、回数は減っていますし、できるだけできない環境を自分で作るようにしています。それもあって、できるだけ仕事を入れるようにしているんです。だから、忙しいけれど、1日が充実している」

――ストレスはためこまないようにしないと。

職場で上司と談笑。同僚みんなが事情を知ってうえで、温かく迎えてくれた、という
職場で上司と談笑。同僚みんなが事情を知ってうえで、温かく迎えてくれた、という

「自分が変わってきたなと思うのは、前だったら1人で『どうしよう』と悩んでいたのが、今は回りの人に相談ができる。『助けて』という一言が、少しずつ言えるようになりました。今回の事件の時も、1人で苦しまないで、誰かに言えていればよかったと思う。我慢しても解決できないのに、ひたすら我慢して、ある時爆発して事件を起こして……これじゃダメですよね」

――我慢しすぎないことが、一番のレッスン。

「そうです。競技をやっていた時は、我慢の先に結果がついてくると思っていた。仕事も生活も同じと思っていましたけど、この2年でそれは全然違うんだ、というのを学びました

子供達が私と同じ道を歩まないように

――今は走っています?

以前、市民マラソンのイベントに参加した時の原さん
以前、市民マラソンのイベントに参加した時の原さん

「時々。やっぱり走ると気持ちがいいんですよ。この秋、近くである大会があって、誘われて出ました。開会式で紹介された時には、みんなに引かれるんじゃないかと思ったら、大人も子どもも大きな拍手で迎えてくれたんです。走っている時も、応援が途切れなくて、終わったあとも高校生からトレーニングについて質問されたり、大人たちから『がんばって』と声をかけられたり、子どもが『一緒に写真撮ってください』と寄ってきたり……。私が子どもに近寄ったら悪影響じゃないかと思ったんですけど、親御さんも喜んでくれて。走ることの楽しさを体中で感じたのものあるけど、こんなにも自分の見えないところで私を応援してくれる人がいたんだというのも感じて、本当に『がんばろう、がんばらなくちゃ』と思いました」

――なぜ、今回インタビューに応じようと思ったの?

「きっかけは弁護士さん。留置場で死ねなかった時、『原さんが元気になって戻ってくるのを待っている人はたくさんいるよ。元気になって戻って安心させてあげよう』と言われました。摂食障害で1人で苦しんでいる人に、1人で抱え込んでも治るもんじゃない、誰かに助けを求めた方が先につながる、とも伝えたいし、病院や治療法はいろいろあることも知って欲しい気持ちもあります。(自分の摂食障害や事件のことは)みんなが知っていることなのに、以前は必死で隠そうとしてましたけど、逆にオープンにした方が精神的に楽なんじゃないか、とも思いました」

――摂食障害を抱えている女性アスリートは多いようですね。

ランニング教室で子どもたちに教えた時の原さん。
ランニング教室で子どもたちに教えた時の原さん。

特に高校生が心配。日本のトップレベルの高校の合宿を見に行ったことがありますが、『あぶないなー』と思いました。本当に細い子がいっぱいいて。中学生もそうです。子どもも親も、結果が出るとうれしくなって、先を考えずにどんどん求めるんですね。監督や先生に『もっと速くして下さい』って。でも、中学高校生でやらせすぎると、けがも増えるし、生理も止まるし、後に伸び悩むんです。中学でやり過ぎて、高校で伸び悩んで苦しんでやめていく子も見ました。小さい頃は、楽しい思いで競技をやってもらいたい。大人になってからの方が大きな大会もあるし、人生も長い。私と同じ道は歩んで欲しくないと思ったので、自分が経験したよいことも悪いことも、機会があれば、子供達に伝えたいと思います」

専門家は「たくさんの『原裕美子さん』がいる」と

 摂食障害患者の治療を続けている内科医で、日本摂食障害学会理事の鈴木眞理・政策研究大学院大学教授は、原さんが摂食障害を発症したのは「必然です」と指摘する。

「標準体重の78~81%しかないのですから、月経は止まり、脳は飢餓に耐えかねて過食は生理的に起こります。それに打ち勝つのは、排尿を我慢するのと同じで、不可能です。そのうえ、体重や記録の縛りはひどく、嘔吐せざるを得ない状況に追い込まれました。特筆すべきは、自ら医療機関を受診したのに、改善するどころか、悪い方法を覚えるという最悪の結果になったこと。とどめは、コーチとの金銭トラブルです。陸上一筋で社会的にうぶな彼女が信頼していた人に裏切られた。窃盗は、最初は飢餓の反動でしたが、コーチとの一件以降、社会への恨み晴らしの様相を呈しています」

 今回の事件で、検察は摂食障害の影響は小さく、犯行態様は病的とまではいえず意識的な犯行として、懲役1年を求刑している。

 これについて鈴木教授はこう見る。

「家族に迷惑をかけ、彼女もそれを心苦しく思っていて、そのうえ執行猶予中に犯行するのは、やはり病気が原因と考えるべきでしょう」

 そして、女子アスリートの摂食障害について、鈴木教授は次のように呼びかける。

今、規則正しい生活と就労ができる施設で生活されていることは理想的だと思います。人間関係で裏切られることが多かった彼女にとって、初めての他人との安らげる環境だと思います。それにしても、本当に、本人に何の非があるのだろうかと思える、不幸なアスリートの顛末です。日本中にたくさんの『原裕美子さん』がいるのだと思います。このような不幸の上で、私たちは女子駅伝やマラソンを応援していていいのでしょうか?

職場で同僚と笑顔で会話。
職場で同僚と笑顔で会話。

(記事中の写真は、職場でのもの以外は原さん提供。すべての写真につき無断転載をお断りします)

ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

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