「乃木も、アー人を殺しては……」明治天皇の名言・珍言をご存知か

文化の日は明治天皇の誕生日です

11月3日の文化の日は、もともと明治天皇の誕生日である。明治時代には天長節として、昭和2年の1927年からは明治節として祝日だった。そして戦後の1948年に文化の日となり、今日に至っている。

明治天皇といえば、「五箇条の御誓文」「軍人勅諭」「教育勅語」などの厳しい言葉ばかり注目される。だが、知られざる名言、珍言も少なくない。

今年は明治150年である。今上天皇の「お気持ち」が注目されてから日も浅い。この佳節にあわせて、明治天皇の言葉から明治時代をあらためて振り返ってみたい。

なお発言の年には、正月時点での明治天皇の満年齢を付した。

明治天皇〔PHOTO〕gettyimages

「わしは楠木正成である」(1871〜1874年、18〜21歳)

明治維新は、宮廷に荒々しい武士の気風を持ち込んだ。雅かもしれないが、なよなよとして引きこもりがちな公家の文化は、近代化に臨んで改められなければならなかった。

明治天皇はこの宮中改革を受け入れ、白粧をやめ、髷を切り、代わりに武道をたしなみ、馬に乗り、侍従などを集めて宴会を開き、勇壮な物語を肴に大酒を飲むようになった。

ある日、明治天皇は士族出身の侍従・高島鞆之助と剣道をして、

「わしは楠木正成である。賊将尊氏を撃つのだ」

と叫びながら、木刀でなんども高島を叩いた。北朝の子孫・明治天皇が、南朝の功臣・楠木正成に成り代わるとは、なんとも不思議な光景である。

高島の在任期間は1871年から1874年までなので、この発言もその間のものと推測される。

 

ちなみに、この時、高島があまりの痛みに打ち返そうとすると、天皇は、

「今日はこれでやめよう」

といって、そそくさと引き上げてしまった。本気で打ち合えば、士族に勝てるわけがない。そこはそこで、冷静な明治の帝なのであった。

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