ただの倉庫のおっさんではありませんでした。
『ドンキーコング』出荷時に、任天堂の宮本茂さんがシアトルの倉庫で出会い、『マリオブラザーズ』でマリオの名前のネタ元となったマリオ・セガール氏。
そのごも同じ倉庫でずっと働いていたというマリオ氏が、84歳でお亡くなりになりました。
Mario Segale, the namesake of Nintendo’s Mario character, dies at age 85https://t.co/vgFVwlfMYp
— Benj Edwards (@benjedwards) 2018年11月1日
This is the first labeled photo of him as an adult on the Internet pic.twitter.com/fm4Do6tikY
実は周辺一帯の大家さん
死亡記事によりますと、氏は1934年にシアトルにて、イタリアから移民してきた農夫ルイスさんとリナ・セガールさんの間に一人っ子として誕生しました。そして高校を卒業した後に、ワシントンで起業した建設業者M.A. Segale, Inc.が大成功。45年後には、セガール家の不動産事業に専念するため約68億円で会社を売却したのでした。
Kotakuいわく、シアトル周辺の商業施設を運営していた氏は、ビジネスの中で徐々に日本製のテレビゲームと、家電メーカーとも関係を築くようになったのだそうです。
命名時の状況
1981年にタックウィラの倉庫をニンテンドー・オブ・アメリカに貸していたセガール氏。当時、宮本茂さんが『ドンキーコング』を開発し、マリオの原型となる「ジャンプマン」と恋人の「レディ」をデザインしました。任天堂は、これらのキャラクターに名前を付けようと考えており、倉庫の大家さんであるマリオさんから「マリオ」を頂戴し、米ニンテンドー社員の妻から「ポリーン」が命名されたのでした。
ちなみにマリオ氏の奥様はドナさん。もしこっちが採用しれていたら、歴史が少し変わっていたでしょうね。
New York Timesの記事では、デイヴィッド・シェフ著『ゲーム・オーバー: 任天堂帝国を築いた男たち』という本にてこう書かれていると報じています。
荒川實氏が社長だった当時、任天堂は家賃の支払いをしょっちゅう滞らせるので、マリオ氏はよく社内に取り立てに行っていました。当時チームがジャンプマンの命名で行き詰まっていたタイミングと重なり、マリオ氏が帰ったあと、彼の名前をいただくことを思いついたのです
自分の名前が使われたことについて
氏は目立つことを好まない性格でしたが、1993年に一度、The Seattle Timesのインタヴューに答えたことがありました。大ヒット作となり、映画化もされた『マリオブラザーズ』シリーズで名前が使われたことについて、こうお答えになっています。
私は今でも印税の小切手を待っているよ
なるほど、任天堂はこのときまだ謝礼をお支払いしていなかったんですね。
マリオ氏は10月27日に地元の病院で死亡。死因は明かされていません。New York Timesでは、彼とドナさんとの夫婦生活は62年に及び、4人のお子さんと9人のお孫さんを授かったそうです。
常に悪い噂を避け、人生で成し遂げたこと以外で知られたいと思っていたというマリオ氏。死亡記事では、「彼の末裔と彼を知る人々に、彼の影響は常に存在するだろう」と綴られています。
Source: Twitter, The Seattle Times, New York Times, National Public Radio