2018.11.10

イギリスのアンダークラス=チャヴの出現は「過酷な階級化」の序章だ

連載「イギリス階級物語」第1回・後編

「チャヴ」と緊縮財政

なぜ2000年代になってチャヴという人種がメディアを賑わせるようになったのだろうか。ひとつには、単に、労働者階級でさえない新たなアンダークラスがイギリスに生じているという事実があり、それをチャヴという類型が代表しているということであろう。

ただし、チャヴがアンダークラスであっても、アンダークラスがすべてチャヴであるわけではない。

では、なぜほかならぬチャヴがアンダークラスを代表したのか?その理由を考えるためには、この言葉の流行のもうひとつの側面を見なければならない。これについては、イギリスの若き社会評論家オーウェン・ジョーンズの著書『チャヴ──弱者を敵視する社会』(依田卓巳訳、海と月社、2017年)に詳しい。

ジョーンズによれば、チャヴという言葉はとりわけ2010年以降のイギリス保守党の緊縮政策(とりわけ福祉のカット)において利用された。保守党はチャヴと呼ばれる種類の人たちを、まじめに働きもせずに失業保険などの福祉を不当に享受している人びとだとした。

保守党は、『チャヴ』の第一章で論じられているシャノン・マシューズちゃん誘拐事件を利用してそのようなイメージを強化したという。シャノン・マシューズちゃん誘拐事件とは、2008年の2月、西ヨークシャーの町デューズベリで当時九歳だったシャノン・マシューズが行方不明となった事件であった。

同年3月にシャノンは発見されるのだが、彼女はシャノンの母カレン・マシューズのボーイフレンド、クレイグ・ミーハンの叔父の所有する家で発見されたのだ。誘拐は、カレンとクレイグ、そしてその親類による、懸賞金目当ての狂言だったのである。

メディアは、とりわけ保守党寄りのメディアはこの事件に食いついた。このショッキングな狂言の主人公たち、つまりカレンやクレイグが、上記の「チャヴ」の典型に当てはまる下層階級であり、カレンがシングルマザーで福祉の受給者であったことが、格好の餌となったのである。

保守党はこれを利用して、公的な福祉をカットする彼らの政策を推し進めることに利用した。怠け者で道徳的に退廃したチャヴたちに税金を投入して福祉を施すことは間違っている、と。

このように、福祉をカットするにあたって「労働者階級を悪魔化する」こと(ジョーンズの本の副題の直訳)が、2010年以降の保守党の専売特許であるのかどうか、つまりそれ以前の労働党はどうだったのか(ジョーンズは労働党のシンパである)という疑問は残る。

ともかくも、チャヴは、新自由主義的な競争社会となったイギリスで生じた負け組アンダークラスの名前であると同時に、まさにその新自由主義を押し進め、社会的な福祉をカットするのに利用されたのである。日本でも見たことのある光景である。

そのようなチャヴが、魔法のように転身してクールなスーツを身にまとったジェントルマン・スパイとなる『キングスマン』の物語は、どのような役割を果たしているだろうか。

これは、チャヴを「悪魔化」することのコインの裏側のようなものであろう。つまり、本来であればイギリス社会の現実の矛盾を表しているはずのチャヴを銀幕の上でだけ変身させることは、「現実の矛盾の想像上の解決」と呼ばれるべき行為なのである。

だとすれば、『キングスマン』のちょうど正反対に位置する映画は、ケン・ローチ監督の『わたしは、ダニエル・ブレイク』(2016年)ということになる。『キングスマン』は『わたしは、ダニエル・ブレイク』の現実を想像的に覆いかくしているのだ。

映画『わたしは、ダニエル・ブレイク』公式HPより

カンヌ国際映画祭で、パルムドールを獲得したローチ監督の最新作は、まさに保守党下での緊縮財政の結果を悲劇として描く。主人公ダニエル・ブレイクはニューカッスルに暮らす元大工だが、心臓病を患って医者に仕事を止められている。

だが、失業手当の申請に対して役所が下した判断は「就労可能」であり、彼は失業手当を手にするためには形だけの職探しをしなければいけなくなる。彼は外注化された福祉の窓口業務の理不尽な壁に阻まれつつ、次第に困難に陥っていく。

それを、彼が偶然に知り合ったシングルマザーのケイティ・モーガンの苦難とともに描くのが、この映画である。

『わたしは、ダニエル・ブレイク』には、働こうと思えば働けるのに、怠けて生活保護を不正受給しようとするチャヴ、などという人物はどこにもいない。いるのは、働きたいのに働けず、「水際作戦」で不当に福祉から遠ざけられて困窮する人びとだ。

この映画が表現するのは、2013年に行われ、イギリスの階級を7つに分類した「イギリス階級調査(Great British Class Survey)」が「プレカリアート」と名づけた15%(!)の人びとである(プレカリアートとは、precarious(不安定な)とproletariat(労働者階級)を合成した言葉で、臨時雇い労働者および失業者の層のこと)。

その苦境は、保守党が「チャヴ」を利用しながら推進した緊縮財政の産物だ。そのような人びとの存在を、『キングスマン』は覆いかくす。

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