そうして僕は笹塚に助けられた

執筆: chocoxina 

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荷物はほとんど実家に置いてきた。

いちばん大きなリュック一つと、古物屋で買った1000円のトランク。その中にありったけの着替えと生活必需品を詰め込んだら、趣味のものが入る余地はほとんど残っていなかった。

不動産屋にもらった鍵で古びたドアを開け、風呂なしの6畳間にひととおりの荷物を放り投げる。ふう、とついたため息が部屋の寒さで白いかたまりになり、ほどなく隙間風にかき消された。

2月のある静かな夜、僕は笹塚に逃げてきた。

身一つの自分に、ディスカウントストアが優しい

この場所に特別なこだわりがあるわけではなかった。

即入居可で、極力安い部屋があるところ。なるべく当時の仕事場から近く、交通費のかからないところ。実家の継母が年の離れた妹を口汚く怒鳴り散らす声や、僕の部屋の前を通るたびに発する悪態が聞こえないところ。家の不和をどうにもできない父が、僕に当たり散らしてこられないところ。そういう場所ならどこでもよかったのだ。

引越しの当日、冷蔵庫もガスコンロもない部屋でどうにか腹を満たすべく外に出ると、駅から歩いて15分ほどのところにドン・キホーテを見つけた。引越しにかかる諸経費で、ほぼ金を使い果たしていた自分にとってこれほど有り難い店もなく、喜び勇んで缶詰や米を買い込んだのをよく覚えている。

そして新しい住まいで初めての食事として、ごはんを一合とレトルトのみそ汁、炊飯器で蒸したもやしと、ホテイの焼き鳥缶を食べた。たったそれだけのものが感激するほど美味かったのは、きっと「安心」の味がしたからだろう。

ともあれ「ドンキがある」というただそれだけのことで、金も希望もない僕の新生活にいくらかの光が射したのだ。

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街の魅力の一つがドンキ、なんて言うのは少し滑稽な感じもしてしまうが、近隣住民のほぼ100%が利用しているのは間違いないし、僕は今も2日に1度は利用している

自転車があればどこへでも行ける街

独り暮らしを始めてしばらく経ったころ、僕が冷蔵庫よりも先に買ったのは自転車だった。奨学金を返しながら時給850円(当時の東京都における最低賃金)で働いていた当時の自分にはかなりの痛手だったが、今でもあの時の判断は間違っていなかったと思う。

笹塚から自転車を使うと、新宿や渋谷といった交通の要所のほか、中野や高円寺、下北沢や三軒茶屋などの著名な駅に、交通費をかけずに20分ほどで行くことができるのだ。しばしば出向先までの電車賃が出せず仕事を休み、そのおかげで翌月のもらいが減る、という悪循環に陥っていた日々のことを考えれば、自転車を買う数万円など安いものだった。

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地図上の赤い丸は、駅から4kmの範囲を示している

僕が笹塚を「選んだ」わけ

そんな風にしてどうにか一人暮らしを続け、種々の書類によどみなく新しい住所を書けるようになってきたころ。父からくる着信の頻度が、1日50回から月1回になり、とうとう全く来なくなったころ、賃貸の更新時期が近付いてきていた。

笹塚に来た直後と比べれば、いくらか生活にも余裕がある。夏には木枠の窓の隙間から絶えず虫たちが往来し、冬でも夜ごとコートを着込んで銭湯へ行かなければならなかった当時の住まいについても、そろそろ「何とかしたい」と思えるようになってきたころだった。

今度はどこに引越そうか。実家を出たころと違って場所はいくらでも選べたのだが、結局、また笹塚で部屋を探すことにした。

この街でしばらく過ごし、いくらか心のゆとりをもって生きられるようになるにつれ、「勤務地から近く、ディスカウントストアがある」というだけではない笹塚の魅力を感じるようになっていたのだ。

何者でもない僕と中庸な街

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駅を出てすぐの交差点。首都高の真下にある大きな道路(甲州街道)と、いかにも活気に満ちた商店街とが交わる

僕は、何者かになりたくて東京に来たわけではない(そもそも実家は東京都下にある)。人生をかけて叶えたい夢も、理想の暮らしを描いた青写真も持ち合わせず、ただ生きるために引越してきた。笹塚は、そんな僕に何らのプレッシャーもかけてこず、街の一員としてあるべき姿も要求してこない。ただそこに居ることを許容してくれる、おだやかな街なのだ。

夢ももてず、金はまだまだ足りず、若ささえ少しずつ失いつつあった当時の自分。そんな僕が、例えば下北沢で夢を追う若者や、新宿の高級デパートから出てくるナイトワーカー、そしてそんな彼らとの相互作用で発展してきた街並み、そういった物のなかで暮らしていたとしたら。きっと、彼らにあって自分にない物のことばかり考えて、劣等感にまみれながら毎日を過ごしていただろう。

笹塚は、数々の個性的な街に囲まれながら、それらのどの雰囲気にも染まらない場所で、その中庸さが当時の僕には心地よかった。そして生活に余裕が出て、周りの「個性」に用事ができたときには、その街々にすぐ顔を出せる立地が役に立った。

新宿から歩いて1時間、という距離

さまざまな街まですぐ行けるのは笹塚の大きな利点だが、とくにターミナル駅である新宿からの距離が4kmほどで、その気になれば歩いて帰れるのはありがたかった。

趣味を通じて会った友人たちと山手沿線で貴重な時間を過ごし、その時間を酒の力に任せて限界まで引き延ばしたあと、長くまっすぐな道をゆっくりと帰る。道中買った水をちびちびと飲みつつ、その日あったことを思い返しながら歩いていると、家に着くころにはすっかり酔いも覚めている。

徒歩1時間、というと少し長過ぎるようだが、例えば「今あんなにしなやかに生きている友人も昔は、自分と同じようにつらい思いをしていたんだな」なんてことを思い出しながら、酒に火照った頬を夜風にさらす時間というのも、なかなか悪くないものだ。

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甲州街道と並行するように、新都心から代田橋まで伸びるこの道路は「水道道路」と呼ばれ、かつて玉川上水から新宿に通っていた水路の名残りだという

ほどよく気の利いた店

もちろん、笹塚はその周辺だけでなく、内側にもさまざまな魅力をたたえている。この街にいくつもある「ほどよく気の利いた店」のなかから、特にお気に入りのラーメン屋を紹介しよう。

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その店は名前を「とんくる」といい、笹塚駅を出て甲州街道を渡った「十号通り商店街」の中にある。いかにも「家族でやってます」的な手づくり感が微笑ましい外装をしているが、ちゅるんとした極細麺が無化調の豚出汁スープをすくい上げる、繊細な味わいのラーメンが食べられる名店だ。

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トッピングを追加して担々麺にすることもできる。ネットでは「繊細な味が壊れる」なんて意見さえある組み合わせだが、こういう食べ方を許容する懐の広さもまた笹塚らしい

ある平日の昼下がりに僕が「麺固め油普通」をすすっているとき、この家の娘さんが、友達とそのお父さんを連れて帰ってくるのに居合わせたことがある。

友達を連れてカウンターの跳ね上げを潜り抜ける娘さん。店の奥に消える彼女に宿題の話をしながら、カウンターで待つお父さんからオーダーをとる奥さんの声。自分の娘が戻ってくるまでビールと餃子を楽しんだあと、親子二人でラーメンを食べる父親。そういうものに囲まれて食事をしていると、自分がこの街の一員になれたような気がしてうれしかった。

お店は必要以上に気を使わない。客も溶け込むための努力を要さない。笹塚には、そういう静的で暖かな空気が流れているのだ。

さて、笹塚の「ほどよく気の利いた店」としてもう一軒、リサイクルショップの「INDIGO」にも触れておこう。

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ここは外装からイメージされるような小洒落た家具やブランド小物以外に、安価な生活家電や衣類なども取りそろえている。僕が最初の引越し直後に700円の衣装ケースを買ったのも、仕事上の必要に迫られて小綺麗な書類カバンを買ったのも、その数年後に念願かなって冷蔵庫を買ったのもこの店だった。もし将来、今より数段広い家に引越すことがあれば、ここで洒脱(しゃだつ)なソファやダイニングテーブルを買うことになるだろう。

自分がどんな風に生きていたときも、この店には当時の自分にとって必要なものがあったし、思えばそれは笹塚という街そのものと同じなのだ。

暮らしに根ざした魅力

もっと日々の生活に根ざした部分、すなわち毎日の買い物においても、笹塚の魅力を感じることができる。

駅前では「ライフ」と「サミット」、二つの大型スーパーが互いに価格を争っている。

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もっと質のいいものが必要なら「Queen's Isetan」や「成城石井」も駅徒歩0分の距離にあるし、代田橋方面に少し足を運べば「業務スーパー」で安価な冷凍肉を買い込むこともできる。こうして書き出すと、各店の経営が心配になるくらい食料品店の多い街だ。

僕が笹塚に来たばかりのころ住んでいた部屋には、およそ台所と呼べるような設備はなかったのだが、当時も高校時代の友人の部屋(たまたま近所に越してきたのだ)に転がり込んではしばしば料理をした。

なるべく安く買った食材を持って彼の家に押しかけては、台所を占有したうえに風呂まで借りる、という、いびつで厚顔無恥な生活をしばらく続けた。ちょっと財布に余裕のあるときは、趣味性の高い料理をつくったりもできた。当時の僕がどうにか人の形を保って生きてこられたのは、彼とスーパーマーケットのおかげだと言っていい。

あいにく彼はその後、地価の安い埼玉に引越して彼女と同棲することになったのだが、それからも度々「笹塚に戻りたい。十号通り商店街の愛川屋でさつま揚げを買って食べたい」と漏らしていた。
当時僕から被った迷惑を差し引いてなお、彼にとってもまた笹塚は魅力的だったのだろう。

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愛川屋は、2018年中ごろまで営業していたおでん種の専門店で、今その跡地には笹塚らしく「ほどよく気の利いた」感じの大衆酒場が店を構えている

未来の僕も、きっと笹塚が好きだろう

僕が笹塚に越してきてから、今年で6年目になる。

その間に、近所のとあるテナントはうどん屋からラーメン屋、雑貨屋に入れ替わり、今は中華料理屋に落ち着いた。僕自身はその間何度か仕事が変わり、経済状況も変わったし、また僕そのものもきっと変わってきたはずだ。

でも、笹塚自体はいつも変わらず穏やかでほどよく気が利いていて、どんな状態の僕にとっても居心地よく、小さなよろこびに満ちた街だった。

笹塚にいればきっとこれからも、自分のありようが少しずつ変化するたび、その時々の自分が求めるものを見つけられるんじゃないか、と思う。例えば近い将来、導かれるように「入ったことのない店」の暖簾をくぐったら、その店はきっと前からの顔なじみと同じように、僕のことを適度に放っておいてくれるだろう。

そうそう、かつて実家のベッドで夜ごとふさぎ込み、未来のことなど少しも考えられなかった僕が、こんな風に「近い将来」の話をできるようになったのは、間違いなく笹塚という街のおかげだ。

 

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著者:chocoxina

chocoxina

Google検索とボードゲームが好きなライター。名前は「ちょこざいな」と読ませている。

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