「デザイン思考を取り入れても、なかなか社内に定着しない」。デザイン思考が日本企業でブーム的な動きを見せてから数年が経過しているが、実を結ばず、定着しなかったケースも少なくない。なぜうまくいかないのか。

なぜデザイン思考やデザイン経営が求められるか
なぜデザイン思考やデザイン経営が求められるか

 イノベーションへの期待が高まるにつれ、デザイン思考を導入する企業が日本でも相次いだ。草の根的に有志社員が取り組んだ例も増えた。しかし、うまく定着しないケースが後を絶たない。なぜか。それは「デザイン」という言葉に課題があるからだろう。「デザインは私には関係ない」「なぜデザインが必要なのか」といった社内の声が聞こえるようでは、頓挫してしまいかねない。

 デザイン思考は優秀なデザイナーやクリエイターの思考法を学び、新たな発想につなげることができるとして、多くのビジネスパーソンから賛同を得たはずだった。しかし、いざ社内に導入するとなると大きな抵抗にあってしまう。デザイン思考の重要性を理解させるには、どうすればいいか。草の根的に推進してきた有志社員も、人事異動や退職でいなくなれば、推進体制はすぐに瓦解してしまうだろう。このままデザイン思考は消えてしまうのか。

デザイン思考はますます重要に

 だが、そんなことはない。デザイン思考の重要性はますます明らかになってきているからだ。グローバルな視点で見ればなおさらだろう。先進国だけでなく、多くの国がいい製品を安価に作るようになっている。モノが不足している時代であれば、モノを作れば売れただろう。メーカー側がマーケットの主導権を握ることもできた。しかし、モノがあふれている時代にはマーケットの主導権はユーザーに移ってしまう。企業はもはやユーザーに選ばれる立場であり、この傾向は今後、さらに強まるだろう。

 そうなると、ユーザーが何を望んでいるか、ユーザーが何に困っているかなど、ユーザー視点で考え、ユーザーに選んでもらわないといけない。だからこそ、デザイン思考が重要になる。経済産業省と特許庁が2018年5月に「デザイン経営」を宣言した背景にも、そういったマーケットの大変革がある。デザイン経営の推進に、デザイン思考は必要不可欠なものではない。しかしデザイン思考を身に付けた企業は、デザイン経営にも近づきやすいはずだ。

 デザイン思考の「次」は、新しい思考法を試すことではない。デザイン思考を企業にしっかりと定着させ、根付かせることである。ここを確実に行わなければどんな新しい思考法も定着しない。

 このために重要なのは、ビジネスパーソンとデザイナーが一緒になって、社内の抵抗をどう乗り越えるかだ。社内にデザイン思考を定着させるため、NTTコミュニケーションズは「デザイン」という言葉をビジネス用語の「顧客志向経営」にあえて置き換えたという。デザインという言葉では理解させるのが難しいと判断したためだ。相手がどう考えているか、理解してもらうにはどうすればよいかを、まさにデザイン思考を使って考えたのだ。経営トップが強引に推進しても現場がやる気を失ってしまっては意味がない。どうすれば社内を説得できるのか。それこそ自分たちで考え、相手に共感を示すことこそ、デザイン思考の第一歩ではなかったか。

デザイン思考を定着させるには
デザイン思考を定着させるには
デザイン思考を定着させるには、企業側の受け入れ準備や支援体制が必要になる。草の根的な活動だけでは限界に

中小企業は成果を実感

 デザイン思考への理解は少しずつ進んでいることも確かだ。クリエイター採用のWebサービス「ViViViT」を展開するビビビットは全国の企業を対象に「デザイン経営」と「デザイン思考」に関する意識調査をインターネットで実施した(18年10月29日~11月1日に実施)。この結果から「デザイン経営」「デザイン思考」を導入している企業は全体で15%未満にとどまる一方、中小企業を中心とした導入企業の70%以上は「売り上げ・利益率の増加」に効果があったと実感しているという。

 経営に「デザイン思考」を導入する際の課題については、認知や理解が足りないとの回答が多く、特に大手企業は導入後の「経営効果が分かりづらい」点を課題とする回答が多かった。逆に中小企業は規模が小さいために、社内に浸透しやすいと見られる。

 「デザイン思考やデザイン経営の認知率だけ見るとまだ低いのが現状だ。しかし導入した企業は成果を実感している。日本の企業が今後、国際的な競争力をより強めていくため、政府が『「デザイン経営」宣言』として改めて発表した。このことでも今後は規模や業種を問わず広義の意味でも狭義の意味でもデザインを経営に取り入れる企業が増えていくだろう」(ビビビットの小宮大地社長)。

出典/ビビビットの「デザイン経営」「デザイン思考」に対する企業の意識調査

ソーシャル活動に期待

 ビジネスや社会貢献、大学教育など、デザイン思考に対する期待は高まるばかり。現状を打破する新たな試みとして、デザイン思考の力に期待している。

 例えば証券アナリストの中には、三井化学が18年3月に実施したデザイン施策の一つで、期間限定で開催した展示会「MOLpCafe(モルカフェ)」を高く評価している人もいる。みずほ証券のエクイティ調査部の山田幹也シニアアナリストはデザインの価値に注目しており、三井化学がモルカフェで見せた手法に感心したという。素材の魅力を数値で表現するのではなく、例えば「びちゃびちゃ」などの擬音で表現していた点。「三井化学の例はデザインの考え方を生かした、今までにない新しい試み。インドなども経済が上向きになるにつれて、デザインをますます重視するようになる。だからこそ、デザインに注力している三井化学のような例を評価した」と言う。

これからはインドなどもデザインに注目してくる
これからはインドなどもデザインに注目してくる
各国のGDPなどを示すと、1人当たりのGDPが5000ドル以上になると、国民がデザインに注力するという。インドなども近づいており、世界的にデザインが重要なテーマになる(みずほ証券の資料より)
みずほ証券の山田幹也シニアアナリストが書いた三井化学のリポート。「MOLpCafe(モルカフェ)」を高く評価している
みずほ証券の山田幹也シニアアナリストが書いた三井化学のリポート。「MOLpCafe(モルカフェ)」を高く評価している

 18年12月5日には博報堂DYホールディングス主催で「デザイン思考でSDGsに挑む~IDEO.orgの活動実例を通して考える社会課題解決型イノベーションの起こし方~」と題するセミナーが開催され、多くの参加者が詰め掛けていた。米IDEOのCCOであるポール・ベネット氏と同じくIDEO.orgのCEOであるジョセリン・ワイアット氏が登壇。SDGs(持続可能な開発目標)を、いかにデザイン思考の力で解決したかを語った。

 東京女子大学でも18年度からコミュニケーション分野の一環で、情報デザインを教える講座が始まった。現代の社会の問題を解決することを考えたとき、社会をデザインするという視点が欠かせないからだ。「コミュニケーションをデザインする-情報デザインのすすめ」と呼ぶ連続講座も開始され、人気だった。

18年12月5日に開催された博報堂DYホールディングス主催の「デザイン思考でSDGsに挑む~IDEO.orgの活動実例を通して考える社会課題解決型イノベーションの起こし方~」と題するセミナー。米IDEOのCCOであるポール・ベネット氏と同じく米IDEO.orgのCEOであるジョセリン・ワイアット氏が登壇し、デザイン思考の有用性を語っていた
18年12月5日に開催された博報堂DYホールディングス主催の「デザイン思考でSDGsに挑む~IDEO.orgの活動実例を通して考える社会課題解決型イノベーションの起こし方~」と題するセミナー。米IDEOのCCOであるポール・ベネット氏と同じく米IDEO.orgのCEOであるジョセリン・ワイアット氏が登壇し、デザイン思考の有用性を語っていた
東京女子大学では18年度から情報デザインを教える講座が始まった。現代の社会の問題を解決するとき、社会をデザインするという視点が欠かせないからだ。写真は「コミュニケーションをデザインする-情報デザインのすすめ」と呼ぶ連続講座の様子。授業中にレコーディンググラフィックの手法を採用するなど、新しいスタイルの授業だった
東京女子大学では18年度から情報デザインを教える講座が始まった。現代の社会の問題を解決するとき、社会をデザインするという視点が欠かせないからだ。写真は「コミュニケーションをデザインする-情報デザインのすすめ」と呼ぶ連続講座の様子。授業中にレコーディンググラフィックの手法を採用するなど、新しいスタイルの授業だった

 デザイン思考、デザイン経営の導入はもはや待ったなし。これらが本当はどんな意味で、なぜ必要なのかを次ページで見ていこう

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図の文字を一部修正しました。[2019/1/23 13:30]

デザイン思考とは何か

「理解」「発想」「試作」を素早く行い、新たな発想につなげる
「理解」「発想」「試作」を素早く行い、新たな発想につなげる

優秀なデザイナーやクリエイティブな経営者の思考法をまねること

 デザイン思考とは文字通り、デザイナー的に考えることである。デザインをビジネスに活用すればイノベーションを起こせるのではと、世界中の大手企業が注目している。なぜ今、デザイン思考なのか。それはこれまでのやり方では新しい発想を生み出すことに各社が限界を感じているからだ。デザイン思考が重視するのは、生活者である人間の姿だ。生活者がどんな行動を取り、どんな考え方をするか、どんな感情を示すかなどを詳細に観察し、時にはインタビューすることで何を求められるのかを把握することが、発想の起点になる。

 ニーズを理解できれば、簡単なスケッチを描いて示し、ニーズと合致するかを検証するデザイナーもいる。求められているものが明確になるまで、こうした作業を行きつ戻りつしながら、何度も繰り返す場合もある。

 こうしたデザイナーの思考法にできるだけ近づくために、デザイン思考の手法をプロセス化した方法論が、米スタンフォード大学の「ハッソー・プラットナー・インスティテュート・オブ・デザイン」、通称「d.school」が提供しているものだ。今ではd.schoolの手法だけでなく、多くのデザイナーやクリエイターが自分流の「デザイン思考法」を打ち出している。ただ、どのデザイン思考法も根幹は同じ。デザイナーたちが重視するのは、生活者である人間の姿である。既存の技術やマーケットをベースに論理的に発想するやり方を「ロジカル・シンキング」と呼ぶなら、デザイン思考は発想の起点が全く異なるのだ。

 現状を分析・理解してアイデアを考え、プロトタイプを作って検証して再度、現状を分析したり考えたりする、といった思考法を優秀なデザイナーらは「頭の中」で無意識に行っているはず。だからルールやプロセスとして説明しにくいし、明確な定義も言いにくい。「デザイン思考は分かりにくい」とされるのは、このためだろう。あえてデザイン思考について定義すると「人間を中心に発想すること」といったシンプルな表現になってしまう。

サイクルを何度も繰り返す

 デザイン思考の方法論をまとめると、上図のように集約できるだろう。

 簡単に言えば、まずは生活者の状況を理解するため、現場の動きを詳細に観察する「フィールド観察」を行ったり、「インタビュー」を実施したりすることが起点だ。分かった事実を基に議論して多くの意見を出し、その後は意見を収束させて、課題を浮き彫りにしていく。こうした「議論の発散」や「議論の収束」は、デザイン思考のさまざまな場面で必要になる。

 さらに課題の解決に向けて「ブレーンストーミング」などの手法でアイデアを出していく。解決策をまとめていき、試作品の開発に移る。最初は紙でもいいからすぐに試作品を作り、イメージを確認することが重要だ。生活者に見せるなどして試作品を検証し、不具合があれば再度試作品を作ったり、解決策を検討したりする。こうしたサイクルを何度も繰り返すことで、次第に完成へと近づけていくのである。生活者の本音を的確に把握して発想すれば、たとえ技術やマーケット上の「常識」とは異なっても、生活者の本当の利便性向上につながるものが出来上がるに違いない。

デザイン経営とは何か

「デザイン経営」は、ブランドとイノベーションを通じて、企業の産業競争力の向上に寄与するという(「『デザイン経営』宣言」の報告書より)
「デザイン経営」は、ブランドとイノベーションを通じて、企業の産業競争力の向上に寄与するという(「『デザイン経営』宣言」の報告書より)

企業の根幹にこそデザインの「考え方」を取り入れよ

 デザイン経営とは、イノベーションの創出やブランディングといった企業経営の中核に、デザインの要素を取り入れた経営スタイルである。商品の開発などでデザインを重視している企業は多いが、それは色や形といった狭義のデザインであり、商品開発のプロセスでは下流工程に属するものだった。開発部門の下にデザイン部門が置かれるなど、どちらかと言えば、デザインの役割が低く捉えられていた。

 しかしデザイン経営ではデザインを重視し、商品開発の上流に置く。商品の色や形だけでなく、商品のコンセプトづくり、企業のブランディングなど経営の根幹に関わる部分を担う。広義のデザインとして、デザイン経営を捉える場合も多い。このため経営トップの直属にデザイン部門を配属し、CDO(チーフ・デザイン・オフィサー)を置く企業も出てきている。イノベーションの創出にもつながるため、デザイン経営に関心を抱く経営トップも増えている。

「デザイン経営」のための具体的取り組みを示す。「経営チームにデザイン責任者がいること」「事業戦略構築の最上流からデザインが関与すること」が重要になる(「『デザイン経営』宣言」の報告書より)
「デザイン経営」のための具体的取り組みを示す。「経営チームにデザイン責任者がいること」「事業戦略構築の最上流からデザインが関与すること」が重要になる(「『デザイン経営』宣言」の報告書より)

経産省・特許庁もデザイン経営を宣言

 これまでは企業が独自にデザイン経営に取り組んできたが、流れが一気に変わりつつある。経済産業省・特許庁は2018年5月23日、デザインによる企業の競争力強化に向けた課題の整理と対応策を検討してきた内容をまとめ、「『デザイン経営』宣言」と題する報告書として発表したからだ。従来のデザインの考え方を超え、企業経営に大きく関わる存在としてデザインを再定義している。

 「『デザイン経営』宣言」によると、デザイン経営とは、デザインを企業価値向上のための重要な経営資源として活用する経営であるという。「デザイン経営」の条件として、(1)経営チームにデザイン責任者がいること、(2)事業戦略構築の最上流からデザインが関与すること、の2点を挙げている。デザイン責任者とは「製品やサービス、事業を顧客起点で考えられているかどうか、ブランド形成に資するものであるかどうかを判断し、必要な業務プロセスの変更を具体的に構想するスキルを持った人」を示すという。

 デザイン思考とデザイン経営は、直接に結び付くものではない。デザイン経営はイノベーションやブランディングが目的なので、外部のデザイナーやクリエイターに依頼して進めることができる。社員にデザイン思考を学ばせているからといって、デザイン経営を推進しているとは言えない。しかしデザイン思考を学べば、デザイナーやクリエイターとの共通言語になることは確か。デザイン経営を推進しやすくなることは間違いない。

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