仕事をしていると、好不調の波を必ず感じるものだと指摘するのは、東大教授にして「失敗学」の権威である『失敗の研究』(中尾政之著、WAVE出版)の著者。

そして重要なのは、10年に1度程度の頻度で、人生を左右するような“大波”がやってくること。その大波は最下点においては致死的な事故をもたらし、最上点では画期的な発明をもたらしたりもするものだといいます。

しかも人間は、そうした運命の“大波”に対して無力で、その動きに抗えない存在。時間の大海原の上に、浮き輪につかまりながらプカプカ漂っているようなものだということ。

けれどしっかり目を開けていれば、やがてはまわりに陸の景色が見えてくるのも事実。陸の灯台を自分の座標の固定点に設定すれば、自分と一緒に上下に揺れる波の動きを、三半規管視覚によって感じ取れるようになるのだそうです。

著者によれば、このときの上下の運動感こそ、“大波”の襲来を予知するアラーム。第六感のセンサーが、場の変化をとらえて出力した「微弱信号」だというのです。

それは、「違和感」「直感」「ヒラメキ」「天啓」「気づき」「天の声」などと言い換えることも可能。いずれにしても、なにかしらの場の変化が生じ、それを知覚したということ。

自分のアンテナを立てていれば、微弱信号がとらえられる。その時点で、脳の回転数を上昇させて「リスクから我先に逃げるか」または「チャンスにいちばん乗りで飛び込むのか」を、自分の覚悟で決めればいい。(「はじめに」より)

微弱信号は、なにげなく読んでいる新聞や、なにげなく聞いているテレビニュースのなかにも含まれているもの。そこで立ち止まって、その微弱信号を起点として記憶を総動員させ、“連想ゲーム”のようにストーリーを考えることこそが重要だということです。

とはいえ、そんな微弱信号を簡単にとらえることのできる感度の高い人もいれば、いつまでたってもとらえられない「違和感不感症」の人もいるはず(先天的な問題)。

さらには、いつもは簡単にとらえられる人も、ある日突然、ネガティブな思いに脳を占領され、まったくとらえられなくなるという異常自体も生じるものだといいます(こちらは後天的な問題)。

だとすれば、どうやって微弱信号の捕捉感度を高めればいいのでしょうか? 第3章「違和感の捕捉感度を高めるメソッド」から、答えを探してみたいと思います。

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完璧主義は「後天的な違和感不感症」につながる

手っ取り早く、後者の後天的な問題であるネガティブな思いを除去するためには、まず、思い出すとイヤになるような恥ずかしいことや残念なことについては「仕方がない」と認め、反省・修正・改善することをあきらめるべき。できれば忘れるほうがいいといいます。

時間を戻して、その事件がなかったことにはできないものの、積極的に忘れるように努力したり、きれいさっぱり忘れることはできなくても、気にかけなくすることはできるわけです。現状を改善しようと積極的に活動することは、もってのほか。

ビジネスのリーダー研修に行くと、「ストレスコントロール」という講義を必ず受けることになるが、筆者の経験ではこれがもっとも役に立つ。

ネガティブなことは忘れることはできずとも、理性的に「そのネガティブだと思ったことは、じつはネガティブではない」と自分に言い聞かせて、自分が納得してしまえばいい。

効果的な法則はいくつか提唱されているが、もっとも大事な法則は「何に対してもパーフェクトはあり得ない」ということである。(115ページより)

「なんでもパーフェクトはあり得ない」ということは人類の行動の定理。

だから、「人間はなにかしら必ず失敗する」と開きなおったほうがいいということ。いいかえれば失敗は必然的に起きるものであり、なのにクヨクヨと気にしていたらやっていられないということです。(114ページより)

後悔は二重の意味でムダである

転職の誘い、異動のうかがい、子どもの教育、住居の購入、親との同居などなど、生きていれば決心すべきことが目白押し。しかし、いったん決心したあとで「失敗した」「なんでこっちを選んだんだ」というようにクヨクヨ悩むのは無駄なこと。

それはちょうど、財布を落としたとき、「お金を失う」という一次の実損に加え、「紛失」という自分の過失をも責めることに等しいといいます。しかも、もしそれが原因で鬱になったとしたら、それは二次の実損に相当し、2倍以上も損することになります。

そういう方向に持って行くよりは、「必ず自分が決心した方向が正しい」と揺るぎない信念を持ち、自分自身に「根拠なき自信」を、あとづけでもいいから埋め込むべき。著者はそう主張しているのです。(117ページより)

失敗の一般化が死を招く

ネガティブな思い込みを除去するためには、「失敗の一般化が死を招く」という報告が効果的だといいます。

たとえば、「僕の発表に対して観客の反応がなかった。だから、僕は世の中で存在価値がないんだ」とイジける。そうではなく、たまたま発表の内容が、観客とは畑違いの話だったのかもしれないし、たまたまマイクの調子が悪くて、聞き取れなかったのかもしれない。

「いつも僕は損する役がまわってくる」の「いつも=always」と、「すべての人が僕をバカにしている」の「すべて=all」という言葉を、自分からなくしてしまうといい。実際は「たまに」とか「わずか」なのである。(118ページより)

限られた特殊環境下の結果と、自分の一般条件下の存在価値は、まったく関係がないということです。(118ページより)

他人は自分が思うほど自分を気にしていない

さらに効果的なのは、「他人は自分が思うほど自分を気にしていない」という考え方。その例としてここで紹介されているのは、著者自身の体験談です。

というのも、筆者は「世界一受けたい授業」(日本テレビ系)という番組でテレビ出演したとき、オープニングでジャケットのボタンを掛け違えて登場したというのです。そのことに気づいたのは3分後。

そこでスタッフに「恥ずかしいから収録をやりなおしてほしい」と頼んだものの、「誰も気づきませんよ」と相手にされなかったというのです。

実際のところ気づく人は皆無だったのだとか。たしかに、そんなものなのでしょう。(119ページより)

マンネリが「先天的な違和感不感症」を引き起こす

前述した「先天的な違和感不感症」の人の感度は、本人の努力次第で向上させることができるのだそうです。とはいっても、「感度を高めよう」と改まって机の前に座り、背筋を立てて気を整えればうまくいくというものでもありません。

大切なのは、部屋から出て、街に出てみること。とくに、知らないところに行ってみるのがいいそうです。そして知らない映画を見て、知らない本を読み、知らない人と話してみる。

なにげないことのように思えるでしょうが、そうしたことをきっかけとして、なにかをとらえるようになれるわけです。

微弱信号を感じない不感症の最大の原因は「マンネリ化」。毎日、判で押したように、同じ駅で降りて職場へ行き、同じ席についてルーティンワークをこなしていると、手を動かし、声を発してはいるものの、なんら想像的な仕事はしていないのに気づかないもの。

筆者の体験だが、こういうときは、慣れた通勤・通学路ではなく、いつもと違うルートを歩いてみる。または、次の駅で降りて、歩いて会社に戻ってきてみる。 残業はせず、夕方5持きっかりに仕事を終えて、混んでいない電車に座って本を読みながら帰る。

そして、自宅の近くの飲み屋に、6時の開店とともに入ったら、ビールではなく普段は飲まないような酒を飲む。少し考えても、いろいろな非日常が待っている。(121ページより)

当然のことながら、こうした非日常的な動作は、いつでも実行可能。誰にでもできることですが、初めてのことをしてみれば、同じ街の風景のなかにも、いままで気づかなかったものを見つけることができるといいます。

それこそが脳の活性化であり、違和感の検出感度の向上だということ。(120ページより)

マインドワンダリングの状態で違和感をとらえる

微弱信号は、勉強に集中して我を忘れているときや、ぐっすり寝ているときには感じないものだそうです。逆に、勉強の途中に窓の外の空を見上げたり、寝る前に布団に入ってきょうの出来事を思い出したりというような、どうでもいいときに感じるものだというのです。

脳が空回りしてムダに見えるが、いい意味でリラックスしてたわいもないことを瞑想できる、いわゆる“マインドワンダリング”状態に、微弱信号を感じるのである。(123ページより)

マインドワンダリング状態になると、違和感がとらえられるようになり、自分で考えた仮説が創成できるようになるといいます。

そのためには、仕事や勉強、スポーツなどで一心不乱になっている集中状態から、深呼吸や背伸びなどの体操をすることによって、脳をリラックスした状態に移行させることが大切。ただし寝るのではなく、「頭は空っぽ」という状態にしておくべき。(122ページより)

デフォルトモード・ネットワークで記憶を解放する

デフォルトモード・ネットワークとは、脳の安静時、すなわち「なにもしていない」ときに働く特殊領域。この場合のデフォルトとは、集中でも睡眠でもない、その中間の標準状態という意味だそうです。そして、そういう状態のとき、一番リラックスできてアイデアが浮かぶもの。

筆者は、散歩中、水泳中、新幹線や飛行機での移動中、何かをデッサンしている最中、鉄道模型をつくっている最中、つまらない会議で眠らずに床を見ている最中など、どうでもいいときにアイデアが浮かぶ。

アイデアと言っても、まったく何もないところから生まれるものではない、日ごろからそのアイデアのネタをためておかないと、やはり何も生まれない。(126ページより)

デフォルトモード・ネットワークでは、蓄積された記憶がとりとめもなくわき出るもの。そのネタの萌芽のようなものが違和感だということです。(125ページより)




失敗にはネガティブなイメージがありますが、著者のウィットに富んだ文章を読んでいると、「失敗してもいいのだ」ということが感覚的にわかります。だからこそ堅苦しく考えず、リラックして読み進めたいところです。

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Photo: 印南敦史