これから、宗教上の義務の話をしようというわけではありません!
熱心な福音伝道者である私の両親でさえ、長期休暇が日曜日の朝と重なった場合は、家族を教会に無理矢理連れて行こうとはしませんでした。
けれど、どんな宗教を信仰していても、旅先で宗教的儀式に参加したほうが良い理由は2つあります。
美しいものを体験するために行く
これまでも休暇中に教会(や、そのほかの礼拝の場)を見て回ったことがある人は、次のようにすれば、感動がさらに深まります。建物だけでなく、独自の伝統も保存してきた教会を探しましょう。そして、賛美歌や説教、祝福に浸りながら、信者席から建築物を眺めてみましょう。
私は子どものころ、「現代化された」教会に通っていました。プレゼンソフトの「PowerPoint」を使い、賛美歌の代わりにソフトロックを流すような、個性のない教会です。こだわりが1番強かったころでも、とりわけ美しい教会を選んでは、好んで儀式に参加していました。それは、歴史上有名な場所を鑑賞するには素晴らしい方法だったからです。
私は、サンフランシスコのさまざまな教会で行なわれている、人道主義に重きを置き、原理主義にとらわれない説教を高く評価していました。
こうして私は、自分が住む街の魅力を発見していきましたが、それはまた、新しい街の魅力を発見する素晴らしい方法でもあります。
むやみやたらに写真を撮るなど、観光客のような振る舞いはやめましょう。建物内を少し散策したい場合は、説教の後にしましょう。そのころなら、会衆がぶらぶらと動き回ることが多いので、違った光景を見ることができます。
前もって、教会のサイトで、儀式に関わるしきたり(そして、自分が参加する儀式の後でイベントが予定されているかどうか)を確かめておきましょう。さらに、その特定の宗教にまつわる礼儀作法も調べておきます。
『How to Be a Perfect Stranger』という本は、さまざまな宗教やキリスト教の各宗派の儀式を訪れるための礼儀作法に関するものです。こうした本を参考にしてもいいでしょう。
人に出会うために行く
上級者向けの方法も紹介しておきましょう。実際にその土地に住む人と会ってみるのです。
私は、教会では人と交わらずにひとりでいましたが、ニューヨークタイムズ紙の記者Seth Kugel氏は、地元の人に会って新しい体験をする方法として、教会を訪れることをすすめています。Kugel氏は著書『Rediscovering Travel: A Guide for the Globally Curious』の中で、次のように書いています。
ひとり旅をしている時、私は何度も教会を訪れたことがあります。なぜなら教会は、人々の生活を構成する、もっとも秘められた一部でありながら、一般大衆に向けて開かれた、言わば歓迎を義務づけられた場所だからです。
Kugel氏は、ハンガリーへの旅行について書いています。ハンガリーでKugel氏は、夕方のミサに参加して、地元の大学生とおしゃべりをしました。そしてついには、ある学生の祖父の家に招かれて、地元のフルーツブランデーを買いました。
それがKugel氏の「やり方」なのです。人々に声を掛けて、地元の人々と直接交流しようとし、その土地のレストランでは見つけられないような、文化的観点から見て本物の、興味深い食事を見つけるのです。Kugel氏は「Think」というラジオ番組で自分のアプローチについて語っているので、ぜひ聞いてください。06:33から、教会について話しています。
誰かの家庭に入り込む必要はありません。親切な出席者と少し話したり、聖歌隊や儀式を司る聖職者を褒めたりするだけで良いのです(儀式をパフォーマンスと呼んではいけません)。
自分にとって居心地の良いテリトリーから、少しだけ外に出てみましょう。それが、旅行家と観光客の違いなのです。
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Image: Jeff Sheldon/Unsplash
Source: Amazon(1, 2), Think, The Art of Noticing
Nick Douglas - Lifehacker US[原文]