カーレンジャーが好きすぎて「戦隊の助監督」になった荒川史絵が叶えた目標と新たな野望

荒川さん

1975年に放映開始した『秘密戦隊ゴレンジャー』にはじまり*1、およそ40年の歴史を誇るスーパー戦隊シリーズ。特撮ヒーロー作品の代表格として知られる「戦隊」において、女性で初めて監督を務めたのが荒川史絵さんです。高校生の頃『激走戦隊カーレンジャー』に憧れ、映像系の大学を経て特撮の道へ進んだ荒川さん。助監督としてさまざまな戦隊シリーズに関わり、2015年に『烈車戦隊トッキュウジャー』のVシネマ作品『行って帰ってきた烈車戦隊トッキュウジャー夢の超トッキュウ7号』にて監督デビューを果たします。

仕事がどんなにつらくても、目標になかなか手が届かなくても、戦隊を嫌いになることはなかったという荒川さん。好きを仕事にし、大きな夢を叶えるまでの道のりについて伺いました。

高2の夏、突如「戦隊ヒーロー」に開眼

まず、荒川さんが戦隊に本格的にはまったきっかけを教えてください。

荒川さん(以下、荒川) 高校2年生の夏に『激走戦隊カーレンジャー』を、たまたまテレビで見たことがきっかけです。最初はなんとなく眺めてたんですが、エンディングテーマで流れた『天国サンバ』の歌詞が気になったんですよ。

激走戦隊カーレンジャー……1996年3月〜1997年2月まで放送された特撮テレビドラマ。『秘密戦隊ゴレンジャー』から数えると20作目のスーパー戦隊シリーズ。自動車会社に勤める5人の若者が「激走戦隊カーレンジャー」となり、宇宙の暴走族「ボーゾック」の悪巧みを阻止するために「クルマジックパワー」を使い戦っていく。作品のモチーフは「車」。敵が「5対1は卑怯」と言い放ったり、普段は会社員として過ごすカーレンジャーたちの給料を公開したりと、シュールな物語が展開される。リーダーであるレッドレーサーは、自動車会社ペガサスのテストドライバー陣内恭介(演:岸祐二)が変身する

というと……?

荒川 「キックはやさしくしてね」とか「ラーメンおごっちゃうからたまには負けたりしてね」とか、“悪の戦闘員目線”の歌なんです。「なんだこれ、面白い!」と思って、翌週からちゃんと見るようになり、気付けばハマっていました。

歴史ある戦隊シリーズの中でもカーレンジャーはやや異色……というか、変わった作品として知られていますよね。斬新な設定・演出は当時の子どもたちの度肝を抜いたように思います。

荒川 そう、そこが魅力でもあるのですが……当時としてはちょっと早すぎたのかもしれませんね。ツッコミどころが満載で、今ならSNSで話題になりそうですけど。

でも、荒川さんは夢中になった。どんな点が特に魅力だったんでしょうか?

荒川 長くなるけど、いいですか?

お願いします。

荒川 まず、カーレンジャーは変身前と変身後の姿との「リンク率」がすごいんです。戦隊作品の多くは戦う時だけ変身して、物語の部分とか、重要なお芝居はすっぴん(変身前)の状態でやることが多いんです。でも、カーレンジャーは変身した姿のままで普通に日常に溶け込んでいて、その状態で芝居をしているシーンが多くて。そのおかしさがたまらなく好きで。

それから、全体的にコメディタッチなんですけど、そのうちの2割くらい、すごく熱いシーンがあるんですよ。そもそもコメディ的な演出も狙っていないというか、カーレンジャーの世界ではそれがかっこよかったり、正義だったりする。傍から見たら、だいぶおかしいんですけどね。そのギャップみたいなものも、大好きです。作品をどんな視点で楽しむかは人によって異なりますが、私はこのあたりにやられました。

荒川さん

特に印象深いシーンは?

荒川 たくさんありますが、あえて挙げるなら第32話の『RVロボ大逆走!』という回ですね。レッドレーサーがリーダーとしての自覚を持てと言われて暴走するシーンが一番好きです。あとは、終盤で陣内恭介(レッドレーサー)があえて変身せずにゾンネット(敵役である宇宙暴走族ボーゾックの女性幹部)への愛を語るシーンも最高です。

「戦隊史上初の女性監督」の座は、誰にも渡したくなかった

カーレンジャーを好きになったことで、「戦隊を作る人」になろうと考えたわけですか?

荒川 そうですね、何かしらの形で関わってみたいと思いました。ちょうど進路を決める時期で、国語と英語は得意だったので文系に進もうと考えていたのですが、社会が苦手で……。それで、国語と英語だけで受験できる映像系の大学に行き、東映に入って特撮の仕事をしたいと。

特撮の仕事といっても美術やカメラマンなどいろいろあると思いますが、最初から監督を目指していたんですか?

荒川 最初に興味を持ったのは音響ですね。効果音や音楽をつける仕事です。カーレンジャーの劇伴は佐橋俊彦さんという方が作っているのですが、それがまた良いんですよ。カーレンジャーって、劇伴がものすごくかっこよくて……。

ただ、撮影録音のコースは数学が必須だったので諦めました。数学、全然できなかったんです(笑)。造形や衣装、メイクなんかも、ぶきっちょなので難しいだろうなと。得意なものがなかったのですが、実は特別な技術がいらない「助監督」なら自分にもできるんじゃないかと思ったんです。それで、いずれは監督を目指せたらいいなと、最初はそれくらいの気持ちでした。とりあえず、特撮の現場に行ければいいかと。

ちなみに、「助監督」はどのような業務を担当するんでしょうか?

荒川 会社や作品によって異なりますが、私が関わっていた作品の場合は「監督の演出補佐」という感じですね。監督一人に助監督3~4人という体制が基本で、映画のやり方に近いと思います。助監督は主にフォース、サード、セカンド、チーフといった序列があり、新人はフォースないしサードから入って小道具などを担当します。セカンドはメイクや衣装の管理を担当しつつ、現場を回すための補佐ですね。チーフはスケジュール管理がメインです。

私の場合はフォースからのスタートでした。本当にたまたまご縁があって、東映の戦隊チームに入れてもらえることになり、大学4年生の夏くらいからちょこちょこ現場へ行くようになったんです。何も分からないまま、カチンコを叩いていました。初めて関わったのは、『百獣戦隊ガオレンジャー』*2の劇場版でしたね。

憧れの現場。楽しかったでしょうね。

荒川 はい。キャラクターを生で見られたり、アクションシーンに興奮したり、現場に行くのは楽しかったです。……でも、仕事自体は激務で、ただただしんどかったです。当初は何度も辞めようと思っていて、新人の頃から2~3年くらいはあまり良い思い出がないですね(笑)。

荒川さん

それでも辞めなかった。

荒川 正直なところ、辞めるタイミングを逃し続けました(笑)。当時、戦隊を作るチームって基本的に1チームしか稼働していなくて、ひとつの回が終わったらすぐさま次の回と切れ目のないスパンで作っていかないといけなかったんです。ただ、現場に入った当初、女性スタッフが少なかったこともあってか、「荒川さんがいて助かりました」と女性キャストの方に言われることもあって。そういった声もあり「もうちょっと頑張ってみるか」とがむしゃらに食らいついていたら、ずるずると時間がたっていて、気付けば20代後半になってましたね。そのあたりからは、もう半ば意地になって頑張っていたように思います。

意地……ですか。

荒川 はい。せっかく何年も頑張ってきて、怒られ続けてきて、ここで辞めたら悔しいじゃないですか。辞めるにしても、何かしらの形で名前を残してからにしようと……。そういう意地ですね。で、この頃くらいから「そういえば、戦隊で女性が監督をした作品ってなかったよな」ということに気付き、「私が最初になってやる!」と思うようになりました。2008年くらいかな。

そこで、目標ができたんですね。

荒川 ここまでやってきたんだから、「戦隊史上初の女性監督」の座を他の人に取られてたまるかと。それだけは絶対に達成してやろうと思いました。

監督デビューしたのは2015年。監督を本気で目指すようになってから7年後でした。

荒川 その間、同期は続々と監督デビューしていて、落ち込むこともありました。やはり女性が監督をするのは難しいのかなと。「女だから監督させないんですか?」って直談判したこともあります。でも、前例がないから会社としても悩ましかったのかなと思うんです。約40年にわたって先人たちが築いてきた歴史を崩すわけにはいかない、そういう空気も感じていました。

激務に加え、なかなか目標に届かないもどかしさもある。つらい状況の中、戦隊そのものが嫌いになったりすることはありませんでしたか?

荒川 それはなかったですね。やっぱり私は現場でキャラクターを見れば元気になりますし、自分が関わった作品の放送を見れば「かっけえじゃん!」と思えて、私がやっていることも多少は役に立っているのかなと感じられましたので。周りのスタッフの皆さんも優しかったですし。

私が信じる「かっこいい」を撮る

そんな中、助監督をされていた『烈車戦隊トッキュウジャー』のVシネマ作品『行って帰ってきた烈車戦隊トッキュウジャー 夢の超トッキュウ7号』で、ついに監督デビューを果たされます。当時の状況を教えてください。

荒川 当時はいったん戦隊を離れて、仮面ライダーシリーズの助監督をやっていました。その時にトッキュウジャーのチーフプロデューサーだった宇都宮孝明さんから電話がかかってきて、「今度Vシネマやるから頼むわ」と。私はチーフ(助監督)をやってくれという意味だと思って、「いいですよ、監督は誰ですか?」と聞いたら「君だよ」って。……そんな感じで、わりとあっけなく(笑)。本当にありがたかったです。

烈車戦隊トッキュウジャー……2014年2月〜2015年2月まで放送された特撮テレビドラマ。キャッチコピーは「勝利のイマジネーション」。高い想像力・イマジネーションを持つ者として認められた5人が、敵を迎え撃つ戦士・トッキュウジャーに選ばれ、戦っていく。作品のモチーフは「列車」。主人公のライト(トッキュウ1号)は、志尊淳が演じる

その時の心境は?

荒川 びっくりしすぎて、実感があまり湧きませんでした。もちろんうれしいんですけど、どこか他人事というか、不思議な気持ちでしたね。ただ、これが最初で最後の機会かもしれないから、絶対面白い作品にしようと。前例がなかったこともあってか、女性が監督を務めることに対しネガティブな意見を耳にすることもありましたけれど、そんなの知らんよ!って感じで、思い切りやらせてもらいました。

外部の声は気にせず、自分が見たいもの、面白いと思うものを作ろうと。

荒川 そうですね。脚本の段階から意見を取り入れていただき、自分が好きな監督やシリーズのセオリーにのっとりつつ、やりたいことは全てできたと思います。もう、楽しかった思い出しかないです。「子ども向けだから」というのも変に意識はしていません。私自身がかっこいいと思うもの、熱いと感じるものを作ればいい、ととにかく自分を信じました。

荒川さん

今思えばありがたい、自由に「好き」と言える環境

荒川さんTwitterより

荒川さんは現在、フリーランスとして活動されています。現在の主なお仕事について教えていただけますか?

荒川 『牙狼<GARO> -魔戒烈伝-』という特撮ドラマの助監督や、『絶狼<ZERO> -DRAGON BLOOD-』の監督をやらせていただいたり、最近までは中国の特撮ヒーローの仕事などをしていました。あと、たまに東映作品に助監督として入ったり、刑事ドラマの現場に行ったり、いろいろですね。

今は、2019年1月からスタートしたドラマ『トクサツガガガ』の特撮パートで、キャラクター担当に近いことをしています。

トクサツガガガ(1) (ビッグコミックス)

原作は丹波庭によるマンガ。『ビッグコミックスピリッツ』にて連載中

トクサツガガガは「隠れ特撮オタク」の女性が主人公。職場の同僚などには特撮好きであることを隠していますが、荒川さんはカーレンジャーを好きになった高校生の頃、それを周囲に明かすことにためらいはなかったですか?

荒川 私の場合は、隠さなきゃという感覚はまったくなかったですね。友達にも普通に「カーレンジャー面白いんだよ」って話していましたし、学校の休み時間にはカーレンジャーが載ってる子ども雑誌を熟読してました。同級生がファッション誌を読んでいるのと同じ感覚で、かっこいいシーンを切り抜いて喜んだり(笑)。それでも特に周囲から浮いたりせず、平和でした。

親御さんにも、特に咎められなかった?

荒川 うちの親ものんきな人なので、あなたが好きならいいんじゃないって感じでした。心の中では、何か思うところがあったのかもしれないですけどね。受験の年になっても「後楽園ゆうえんち*3にカーレンジャーショーを見にいきたい!」とか言ってる娘に対して、そんな場合じゃねえだろ、くらいは思っていたのかもしれない。でも、少なくとも「いい歳して恥ずかしいでしょ」とか、「男の子が見るものでしょ」とか、そういうことを言われた記憶はありません。

年齢や性別に関係なく、好きなものを好きと言える環境だったんですね。

荒川 そうですね。今思えば、恵まれていたのかもしれません。だから、特に疑問を持つことなく特撮の道へ進めたのだと思います。好きなものを否定されたり、からかわれたりする環境だったら、どうなっていたか分からないですね。

荒川さん

人が何を好きだろうと、ほっといてほしいですけどね。

荒川 そうなんですよ。でも、世の中、けっこうほっといてくれない(笑)。私は男の子向けの戦隊が好きだけど、プリキュアもセーラームーンも好きです。「なんでも好き」じゃ駄目なの? と思うことはありますね。

いつか、「カーレンジャー」の監督を……

最後に、これからの目標を聞かせてください。

荒川 やっぱり、戦隊シリーズの「本編」の監督をやりたいですね。今、私の同世代がメイン監督をガンガン担当している中で、自分の状況と比較してしまってしょんぼりしたりもしますが、いくつになってもいいから達成したいです。

あと、いつかやってみたいのはカーレンジャーのVシネマ。もう終了してから20年以上たっちゃってますけど、あのカーレンジャーのノリならしれっと復活しても許されるような気がするので。その2つの野望を叶えないことには、引退できませんね。

取材・文/榎並紀行(やじろべえ)
撮影/関口佳代

お話を伺った方:荒川史絵さん

荒川さんプロフィール1979年生まれ。2001年『百獣戦隊ガオレンジャー』から特撮(主に戦隊シリーズ)の現場で働くように。2015年『行って帰ってきた烈車戦隊トッキュウジャー夢の超トッキュウ7号』で監督デビュー。
Twitter:@bon_ranger_

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次回の更新は、2019年1月23日(水)の予定です。

編集/はてな編集部

*1:シリーズ第一作目とした扱われる作品については、『バトルフィーバーJ』をカウントされることもあるが、本記事ではゴレンジャーを第一作目とカウントし記載する

*2:2001年〜2002年に放送された、東映制作の特撮テレビドラマ

*3:現名称:東京ドームシティアトラクションズ